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母里の窯は島根県の最東端の窯で棄は鳥取県に接しています。昔から安来二里半(三○キロ)、米子三里(十二キロ)といわれていましたが今は車で一五分乃至二〇分程度です。松江へは大凡七里半(三〇キロ)程です。江戸時代は松江藩の分藩母里藩があった所で母里藩時代に窯が築かれ母里村の時代を経て現在の伯太町の時代迄続いています。幕末の弘化元年(一八四四年)に始まった窯は嘉永三年(一八五〇年)現在の豊岡に窯が移され明治に入って豊岡焼といわれていました。この豊岡焼から分れて明治二二年(一八八九年)稲垣茂平、利市父子が現在の登り窯を築き以来百有余年この窯で焼き続けています。創業時から日用陶器が大部分を占めていましたが時代の変遷から消費者の好みが民芸陶器から更に上を志向するなど多様化してきた時代、茶陶を始め花入や壷などの製作にも力を注いでいます。茶碗は近年萩焼風のものも焼いていますが使えば使う程昧の出る作品を目指しています。日用陶器の内では伝統的な卸し皿が特に好評で他に青ゴスと呼ぶボテボテ茶碗などがあります。全工程を手作業で行うため一年一回の窯出しですが残り少ない登り窯の伝統にかけてもその名に恥じない品を作るため懸命の努力をしております。皆様方の御愛用を頂ければ誠に幸せに思います。
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