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布志名焼雲善窯は国道九号線を松江から西に玉造温泉へ向かう途中の宍道湖畔にあります。
初代土屋善四郎芳方は松江城下の横浜町に居住した土器屋善右衛門の子で、藩主の名により楽山焼(五代目)御用方を二五年間勤め、その後布志名に移り焼物御用教方を勤めたが天明六年正月に歿しました。その子善四郎政芳も引き続き御用を仰せつかり、様々な仕事をしたので時の藩主松平治郷(不味公)から「雲善」の弓と瓢印を拝領しました。土屋家では代々その印を使用しています。また政芳は「でご善」と愛称され、文政四年正月に歿しました。
土屋家は代々京焼風な仕事を得意としており、仁清、乾山などを写した二代目善四郎(初代雲善)の後を受け華麗な作品が多いです。土屋家に残る「仕立帳」には南画の焼締め物、安南写しの染付けなどもあるが色絵もの数々書かれています。
現陶主の幹雄は、九代書四郎として二四〇年余の歴史を守り 続けています。創業時には朝鮮、萩系の釉が多かったが御用品として色絵物が好まれるようになり、江戸末期から大正時代にかけては黄釉に金彩画を施したものが多く作られました。現在は初期の素朴な釉薬を生かした作品づくりを手掛けています。主として乾山大根茶碗、御本写立鶴、不味公好み海老絵茶碗、刷毛目、伊羅保、布志名青磁などの水指ほか茶道具等伝統を伝えた作品があります。
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