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有福温泉
所在地 島根県江津市有福温泉町
交 通 JR山陰本線江津駅からタクシー20分・JR広島新幹線口から浜田行高速バス1時間50分・ 浜田から石見交通バス30分
車 浜田自動車道浜田ICからR9を経て県道50号を20分
由来 泉温30℃〜50℃、泉質は単純温泉で、リュウマチ、神経痛、脳病、外傷性障害に効能。江津市の西部の山間渓谷の温泉で、今からおよそ1,300年の昔、諸国行脚中の法道上人が発見したとされている。三方を山に囲まれ、敬川の清流に沿い、山の斜面や河岸に旅館や共同浴湯が軒をつらね細い通が階段状に入りくんでおり、鄙びた風情を持つ温泉街を形成している。昔から、湯治場として多くの共同浴場(御前湯、さつき湯、弥生湯)を中心として温泉集落が栄え、江戸時代の才人、頼山陽が病弱な青年時代訪れたこともある名湯である。現在では各旅館に引湯されて内湯の設備が整い、石見地方の保養温泉地として発展している。近くには、京都西本願寺と対をなす雄木と伝えられる高さ約12m、幹の太さ10m、樹齢千年以上といわれるイチョウの巨木がある
泉質 アルカリ性単純温泉
泉温 47℃
効能(適応症)皮膚病、神経痛、リウマチなど
共同浴場 3軒(御前湯、さつき湯、やよい湯)
おみやげ 善太郎餅、有福焼など
照会先 江津市観光協会
TEL 0855-52-0534
FAX O855-52-0644
観光スポット しまね海洋館アクアス、石見海浜公園、
小川家雪舟庭園、じばさんセンター
料理 瓦宝楽焼、舟盛り料理など。
都野津柿本人麻呂の歌碑と人麻呂の松
万葉の代表的な歌人である柿本人麻呂の生涯については不明な点が少なくない。7世紀から8世紀の初頭にかけて、持統、文武両帝につかえた宮廷詩人で、晩年石見国権守としてこの地に下り、没したという。人麻呂の歌には、石見の風土とそこに生きる人々の姿を高らかに歌いあげたものが多い。歌碑は江津市内に点在しているが、そのひとつが都野津柿本神社にある。ここは人麻呂が仮寓した地と伝えられ、人麻呂の妻依羅娘子ゆかりの地であるともいわれている。歌碑には、(「石見乃也高角山之木際従……」葉集巻二の132」)の歌が万葉仮名で刻んである。この歌碑を守るように枝を傘のようにひろげた黒松の大木があった。樹齢800年以上と推定され、高さ13.7m、根元まわり5.5mの見事な巨木は、人麻呂が仮寓した記念として植えられたといういわれがあり、古くから人々に親しまれ、昭和44年(1969)には、県の天然記念物に指定されていたが、近年枯死が確認され、平成9年(1997)1月17日伐採された。
小川家雪舟庭園
小川家所有のこの庭園は室町時代後期の画僧として有名な雪舟が築庭したと伝えられている。小川家はこの地方の旧家の一つに数えられ、祖先は、承久の変によって後上羽上皇が隠岐に流されたとき和木に移り住んだ北面の武士といわれている。小川家の門をくぐり広い敷地内に入ると、左手に泥壁の蔵、右手に室町時代を偲ばせる書院がある。本庭は、書院の裏庭にあたり、広さは約360?ある。背後の小高い丘陵を築山的に利用し、下部に南北に細長い池泉を設けている。中腹あたりから、巨石を組んで、枯滝石組を意匠している。書院から観賞できるよう、巧みに構成され、一見、無造作に散らした石組は水の枯れた滝にも、深山幽谷にも見え、水墨画の世界を体現している。雪舟の築庭と伝えられているが、雪舟の時代より古い特徴も処々にのこしている。池泉の護岸石組などは後世に改作されているが、池泉庭園の一部に枯山水意匠をするところ、三尊石組の作庭などに、室町時代初期の手法をつたえている。早い時期の民家庭園の資料として、島根県指定名勝となっている。
島の星山(星高山)
江津駅の南約5血、江津市のほぼ中央部にある、牛の背のように連なる標高470mの山。貞観16年(874)隕石が降下したことから、島の星山、星高山と呼ばれるようになったという。高さ約60cmの星石といわれる石は、現在では中腹の真言宗の冷昌寺の境内に保存されている。
江津周辺には、万葉歌人、柿本人麻呂の歌に詠まれた地名が多く残っている。「石見のや高角山の木の際より我が振る袖を妹見つらむか」依羅娘子との惜別の情を歌った高角山は、この島の星山ともいわれ、山の中腹には万葉の古道や歌碑がある。近年、中腹まで道路が敷設され、「椿の里」という公園ができている。この公園では、早咲き、遅咲き等100種類以上の椿が植栽され、四季折々の花樹とともに美しい自然を演出している。駐車場のほか、250段の健康階段、健康園路や休憩所、観光望遠鏡などがあり、ハイキングまたは山頂を目指す途中の休憩地として最適である。椿の里から続く山道を1時間ほど登ると山頂につく。春はサクラの花が咲き乱れ、夏には山ツツジが稜線を覆い、秋には紅葉が錦を織りなし美しい。ここからは、江の川河口がパノラマのように眼前に広がり、人麻呂の長歌に詠まれた「石見の海」の「か青なる」「和多豆(渡津)の荒磯」が望める。
岩瀧寺の滝
江津市波横町本郷の東、邁摩郡温泉津町井田との境に近く都治川(本郷川)の遷急点にあたる滝である。都治川は岩瀧寺谷と呼ばれる渓谷をなし、古刹熊野山岩瀧寺の背後に延長121m、幅およそ18mで4段につらなる雄大な滝を懸ける。旅の修業僧が開いたといわれる岩瀧寺は、もと真言宗であったが、のちに曹洞宗に改宗された古刹である。滝をみおろす山上には熊野権現を祀る。滝から吹きおろす風は清涼をよび、夏には来遊者が多い。
多鳩神社
多鳩神社は、都野津駅から少し入った高野山の麓にある。うっそうとした森の中にあり、かつて石見の二の宮と称せられていた歴史の古い社である。古来海の神を祀った場所といわれ、貞観3年(861)大和国高市神社の八重事代主命の分霊を勧請したものと伝えられている。『延書式』では旧那賀郡11社中筆頭にある。多くの末社を有し、江戸時代には本社領36石余、末社領23石余、合計60石を領していた。社殿は大社造りの本殿、幣殿、神餅所、拝殿などが配置された建築で、周囲の深閑としたたたずまいの中に神秘的な雰囲気をかもし出している。また、境内には周囲1.5mの珍しいナギの大樹がある0古くから海神として崇敬されており、舟人が南国から持ち帰って植えたものと伝えられている0また、全国的にも珍しい舟を描いた大額絵馬も多く奉納されている。
有福の善太郎像
私心を捨てて、愚者としての謙虚さにつつまれた念仏者のことを妙好人という。天明2年(1782)に生まれた善太郎は、若いころは乱暴者で村人から「毛虫の悪太郎」とあだなされ、嫌われていた。しかし、3人の子どもが次々に死んでいくという不幸に遭遇してから、命がけの念仏行者になった。野良仕事の最中でも、近くの光現寺の鐘がなると、裸足のまま法座にかけつけたという。盗人と疑われ、ののしられた相手に、帰り道おなかがすくだろうと草餅を与えたり、どろぼうが逃げ場を失って木に登ると、その木にはしごをかけて逃がしたなどの逸話が、今に伝えられている。 浄光寺境内には野良着姿で手を合わせた善太郎の像が建っている。また、善太郎が帰依していた光現寺には、野良仕事のあいまに覚えた天衣無縫な字で書いた善太郎の手記や手紙類が陳列され、善太郎の碑も立っている。
江の川祭り
江の川祭りは、毎年8月16日に江津市をあげて賑やかにくり広げられる。市民総参加による、ふるさとを見直す祭典として、市制25周年を迎えた昭和54年(1979)から開催されるようになった夏空の下で、石見神楽をはじめとする郷土芸能大会、江津市音頭パレード、素朴な出店など催しものが盛りだくさんに企画される。夜になると、祭りはクライマックスを迎え、市民が待ちに待った、3,000発の花火が打ち上げられる。花火が夜空を焦がすなか、色とりどりの灯寵が、荘厳な読経に送られて流され、江の川を灯の海に変える。まさに川の町にふさわしい光と水の祭典であ
山辺神社祇園祭(ホーランエー)
江津市江津町本町の鶴山の南麓にある山辺神社は、古い神社で式内社でもある。毎年7月14日に行われる例祭は、江津の祀園祭またはホーランエーとよばれ、石見三大祭の一つに数えられている。江津の港は古くから、日本海と江の川の水上交通の要地として栄えた。ホーランエーは正徳3年(1713)ごろ、江津の港に出入りする船の航海安全を祈願して始められたといわれている。大森銀山の代官鈴木八右衛門が、銀鉱を運ぶ途中、暗夜に暴風雨にあい遭難しかけたが、海上遠くはるかに霊光を見出し、その方向に進路をとって無事江津港に入港できた。八右衛門は山辺神社宮司高橋因幡守にはかり、山辺神社の御神霊を江の川に迎え、盛大な川神事ホーランエーを創始したという。京都八坂神社の祀園祭の影響を受けているが、山鉾巡行ではなく水上渡御祭として発達してきた。山辺神社から神輿を江の川に浮かべた御座船に迎える。揃いのハッピにねじり鉢巻きの威勢のいい14人の若者が、ホーランエーの鋭いかけ声も勇ましく3隻の樺揃船を漕ぎ、これが御座船を引いて川を渡る。船名を染めぬいた色とりどりの小旗が船を飾りたて、ホーランエーのかけ声が川面に響きわたる。加えて大小何十隻もの供奉船が江の川を埋めつくす様は、水と船の観光絵巻で沿岸は遠来の見物客で賑わう。近年、氏子の減少により、ホーランエーの運営が困難となり、ホーランエーの川渡神事のみ5年に1度開催されることとなった。る。
石見焼
江津市・浜田市を中心として東西に広がる良質の陶土(都野津層)地帯は、古くから水ガメ等日用雑器としての粗陶器生産地帯であった。幕末期には、北前線により、北陸から九州にまで販路がのび、石見のハンドウの名で親しまれていた。明治中期の国道、さらに大正中期の鉄道・山陰線の開通により、昭和初期にかけて全盛期を迎えることになった。昭和40年代後半からは、成熟社会に移行し、消費の多様化、個性化が進むなかで各窯元独自の近代化への努力が進み、石見焼陶器の産地として、新たに見直される様になった。現在、石見焼きは、手作りの素朴な伝統を生かした独特の味わいと温味をもつ焼物として、消費者から親しまれ、高く評価されている。昭和57年(1982)3月、島根県ふるさと伝統工芸品に指定され、平成6年(1994)4月、国の「伝統的工芸品」に指定された。
石州瓦
石見地方では赤瓦の家並みが目につく。その赤さとつややかな光沢は、石見の自然美と石見人の明るさに通じている。主要な生産地は江津で、大田がこれに次いでいる。江津の瓦製造は室町時代に始められたと伝えられている。また元和5年(1619)浜田城築城の僚、大坂からその技術を導入したのが始まりともいう。大量生産に入ったのは明治時代初期からで、この地に多量に産する粘着性の強い都野津層の粘土を材料とし、大きな登り窯で粘土の耐火限界ぎりぎりの1,300度の高熱で焼きあげる。この高熱のために表面がガラス化し、吸水力は8%以下、硬度の高い瓦ができる。独特の赤さとうわぐすりつやの秘密は来待石を原料とした柚薬で、窯を出すときの放熱のさせ方で見事なつやを出す。何よりも雪に対しての耐久力が優れていることから、古くから万年瓦と呼ばれている。
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