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"隠岐は絵の島花の島 磯にゃ波の花咲く 里にゃ人情の花が咲く"、隠岐を代表する民謡しげさ節である。今もなお唄い伝えられているこの歌に、隠岐のすべてがある。紺碧の海と松の緑のコントラストが美しい。、  
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隠岐島の観光

 
大山隠岐国立公園
 
本土から約40キロの日本海に浮かぶ隠岐は、住民の住む4つの島など大小約180の島々からなる諸島です。

抜けるような青空と紺碧の海がたくましさと躍動感を感、じさせる夏の隠岐。

そして北西の季節風がもたらす風波に荒れる日本海に不気味ささえ感じる冬の隠岐。

これら自然の明と暗が織りなす島嶼(とうしょう)環境の中で、古来、日本海という自然の大動脈を通じて大陸の先進文化が日本本土に伝来しましたが、隠岐はその玄関口であり、また中継点にありました。

当時の日本にとつての国際社会とは、中国の歴代王朝を中心とした束アジア文化圏であり、、まさに「環日本海文化圏」であったといえます。

この大陸文化の影響を強く受けた日本の原始、古代から中世の歴史の涜れの中で「流人の島」隠岐の歴史と文化が育まれました。

近世に入ると、越前、加賀などの「北前船」の活動が活発化しできました。

本土各地との商業活動も始まり、隠岐は「辺境の島嶼」ではなく、本土の生活や文化が移入され、本土の情報も容易に伝えられる島へと変貌していきました。

隠岐を代表する民謡「しげさ節」や「どっさり節」など独特の情緒を持つ隠岐民謡には、蝦夷地(現在の北海道)から九州までを行き来する船頭によって伝えられた各地の文化や民謡から発達したものが多いのです。

また新聞記者の安井武己氏は「隠岐の島起こしを考える」という特集記事「山陰中央新報』1991年1月20日で「海岸美や固有の動植物といつた美しい自然、貴人の配流の島だったことなどによる歴史資料の豊かさ、さらに島民の素朴な人柄、人情味」を"静的な要素"と呼び、「祭りや牛突き、柑撲に狩猟、釣りといった躍動感あふれる勇壮な」ものを"動的な要素"と呼んでいます。

そして「静の穏やかな隠岐と、動の雄々しい隠岐。この対極に位置する二つの要素を、隠岐はどちらも持っており、「対極であるからこそ、互いに相手の要素を際立たせているともいえる」と述べています。

隠岐は本土が長い歴史の中で失っていった人情や伝説を、離島という厳しい自然環境であったことから、後世に継承し、より豊かなものにしていったといえます。

そして厳しい環境の中で育まれた「たくましい」島民の「優しさ」は来島者を歓待し、大きく包み込みました。

ラフカディオハーン (小泉八雲)もまた隠岐を訪れてその魅力にとりつかれ、旅行記「伯耆から隠岐へ=知られぬ日本の面影」を残しています。

その中で「少なくとも島前では現代の人工的もの総ての範囲を脱して自己を識る歓喜をそこで感じた」と述べたハーンは晩年、隠岐に家を建てて住みたいと念願していたと伝えられています。

 
変化に富んだ海岸線
 
隠岐の海岸線を見ると、外海に面した場所と湾内とではその景観が一変しているのに驚かされます。

また浸食の激しい外海部でも、冬期に季節風が吹きつける北西部の海岸は特に激しく、巨大な海食崖や海食洞が多く見られます。

海食崖の代表は何といっても国賀海岸の摩天崖です。

海上からほぼ垂直にそそり立つ257メートルの岩壁はまさに絶景といえるでしょう。

また知夫村の赤壁など、ほかにも多くの優れた海食崖の景勝地があります。

海食洞の代表的なものも国賀海岸に見られます。

巨大な岩の架け橋通天橋や、200メートルにも及ぶ天然のトンネル、明暗の岩屋など、大小さまざまな変化に富んだ海食洞が多く見られまず。

また海岸や小島にはクロマツが茂り、海岸の景観をより素晴らしいものにしています。

クロマツの林床や海岸部には、オキノアブラギクやオキタンポポ、トウテイラン、ダルマギク、オキノアザミなどの隠岐を代表する植物が多く生息しています。

このほか、大波加(おおはか)島や星神(ほしかみ)島などの無人島では数千羽のオオミズナギドリが子育てをしており、菱浦港や別府港ではクロキヅタが生息しています。

このクロキヅタは紅海や大西洋にしか生育しない珍しい滞藻なのですが、不思議なことに隠岐にも見られ、海藻としてはわが国唯一の天然記念物に指定されています。

このように非常に変化に富み優れた景観を有する隠岐の海岸線は、昭和38年に大山隠岐国立公園に指定され、その保護と利用が図られてられています。

 
豊かな内陸部の自然
 
隠岐に渡ってみると想像以上に島が大きく、けっこう山国なんだなという感想を漏らす人が多くいます。

特に島後は島も大きく山も険しいため、いったん内陸部に入り込むと島というイメージは消え去ります。

隠岐最高峰の大満寺山は標高608メートル。

一連の山塊は急峻で岩場も多く、トカゲ岩や鷲ヶ峰のびょうぷ岩など県下でも第一級の景勝地が見られます。

また植生も豊かで陵線や尾根部にはクロベ、ヒメコマツなどが生育し、林床にはオキシャクナゲが群生しています。

このオキシャクナゲはホンシヤクナゲの一品種で、葉が小さく鉢物などに適し土産物としても利用されています。

またわが国で最も低い場所に自生しているところから、暖かい気候にも耐え栽培しやすいシャクナゲといわれています。

谷奥部などにはスギやモミ、ウラジロガシなどが生い茂り、老木や岩場には地元で「隠岐ふうらん」と呼ばれるナゴランや「ささふうらん」と呼ばれるフウラン、セッコクなどの着生ランが生育しています。

しかし、残念なことに近年は乱獲等のため自生しているものはほとんど見られなくなつてしまいました。

また隠岐の島町布施の中谷奥には、樹令250年以上といわれるスギの巨木林があり注目を集めています。

最近、歩道や展望所が整備されたこともあり、ここを訪れる人が多くなりました。

内陸部の林内には隠岐島固有の種であるオキノウサギやオキサンショウウオ、オキタゴガエル、オキオサムシ、オキマイマイなど珍しい生物が多く生息しており、ヤマネ(天然記念物)やカラスバトも生息しています。

このように大満寺山一帯には優れた自然が残っており、国立公園にも指定されています。

よく隠岐島全域が国立公園の指定区域のように思われがちですが、指定されているのは海岸部と内陸部ではこの大満寺山を中心とする一部だけなのです。

このほか隠岐島は中国地方唯一の黒曜石の産地として知られ、今でも五箇村の一部では土産物の原料として掘り出されています。

この黒曜石はマグマが急激に冷やされ、結晶になる前にガラス状に固まったもので、割れ口が馬のひずめのようになるのが特徴です。

この割れ口がカミソリの刃のように鋭いところから、縄文時代には矢じりなど重要な生活道具として使われました。

 
遠流の島
 
隠岐は「涜人の島」とよくいわれます。

作家の司馬遼太郎は「日本史上の離れ座敷」と呼び、歴史の半面は「流人の歴史である」と言っています。

また「隠岐国」とも呼ばれます。それは隠岐が佐渡、淡路、対馬、壱岐の四島とともに、八世紀に体系化された律令制度によって、一島で一国とされたからです。

隠岐が流刑の地となったのは、佐渡、常陸、安房、伊豆、土佐と合わせて、律令制度によって流刑の中でも最も重い「遠流の地」と定められてからでした。

それ以来、江戸時代の終わりにかけて、天皇や皇族、公家、学者、僧侶などたくさんの人々が流されました。

近世までの流人は政治犯がほとんどだったようですが、それ以後、隠岐には近畿、山陰、山陽方面の主として犯罪者が流刑されたようです。

流人の中には隠岐の歴史を彩った人々が何人かいます。

そのうちの一人、平安時代の学者で公家の小野篁(小野小町の祖父)は承和元年(834)に遣唐副使に任命され、中国へ派遣されることになりましたが、大使の藤原常嗣との間で遣唐船の交換を巡って対立、抗議した篁は病気と偽り、命令に服さなかったため承和5年に隠岐へ涜刑となったのです。

篁は相当な文化人で、しかも美男の都会人だったので大変もて、二年の在島期間に三人の島の女性との恋の話が伝わっています。

中でも美しい村の長者の娘「阿古那(奈)」との悲恋は、篁が阿古那に贈った二体の木像彫刻(西郷町上西の都万目に伝わっている歯痛に霊験があるとされる地蔵堂の「あごなし地蔵」)の伝説とともに、島人の哀感を伝えています。

 

思いきや ひなの別れにおとろへて あまのなはたぎ いさりせんとは

…小野 篁『古今和歌集』

 

延応元年(1239)2月22日に、隠岐で60歳の生涯を閉じたのは後鳥羽上皇です。

上皇は寿永2年(1183)に祖父の後白河法皇の院政のもとで天皇に即位し、建久9年(1198)から院政を行いました。

上皇は朝廷での親幕勢力の排除に努め、公家勢カの伸張を図りました。

そして、ついに承久3年(1221)こ朝権回復を目指し、時の鎌倉幕府の執権北条義時の追討を命じ挙兵しましたが、幕府軍に完敗しました。

この承久の乱の失敗によって、上皇は隠岐へ配流されることになったのです。

この年の8月に隠岐へ到着した上皇一行は、侍二人と女官、医師それぞれ一人のわずか四人の従者だけだったといわれます。

 

われこそは 新島もりよ おきの海の 荒き波風 こころして吹け

…後鳥羽上皇『遠島百首』

 
この和歌は渡海の際に、上皇が船中で詠まれたと伝えられています。

行在所は海士町苅田の勝田山の源福寺境内に急造され、近くには在地の豪族村上氏の居館があり、上皇のお世話をしていました。

上皇はこの粗末な行宮で多くの和歌を詠み、在島中の御製は『遠島百首』にまとめられています。

また上皇自身の勅撰によって藤原定家らに撰修させた『新古今和歌集』をさらに厳撰し、御製も含めた三百八十余首を取捨し『隠岐本新古今和歌集』を撰修しました。

豪気な気性で相撲、水泳、流鏑馬など武道を好み、和歌や管弦にも長じた文武両道の後鳥羽上皇は在島19年、わびしい隠岐の行在所でついに病を得、幕府打倒と都への遷幸の望みを果たすことなく、一生を終えたのでした。

後鳥羽上皇の没後百年近く経って、上皇同様、鎌倉幕府を打倒して天皇親政を実現しようとしたのが、後醍醐天皇でした。

天皇は鎌倉末期の正中(しょうちゅう)の変(正中元年、1324)に次いで、元弘元年(1331)に元弘の変を起こし失敗しました。

幕府は捕らえた天皇の隠岐配流を決定し、天皇一行は翌年3月に京都を出発しました。

お供は一条行房、六条忠顕、三位局廉子という寂しいものだったと伝えられています。

4月1日に美保関から隠岐へ向けて出航、翌日到着しました。隠岐での天皇の心境について

 

すまのあま 浦こぐ舟の 輯をたえ よるべなき身ぞ 悲しかりける 

…後醍醐天皇『続古今和歌集』

 
などの和歌が残されています。

今も論争が続いているのが、天皇の行在所問題です。

口碑伝説を根拠にする島前黒木御所説(西ノ島町)と、文献資料に依拠する島後国分寺説(西郷町)(現隠岐の島町)の二説です。

どちらの説も決定的とはいえず、今後の研究と史料調査の進展が期待されます。

強烈な個性と強固な意志を持った天皇は在地の豪族近藤氏や村上氏等の支援もあり、島外の倒幕派と密接な連絡を取り、脱出の機会を狙っていました。

そして、元弘3年(1333)閏(うるう)2月、六条忠顕ら二、三人と隠岐脱出を実行し、追っ手の難を逃れ、島根半島の浦々を転々とし、伯耆の港に到着しました。

伯耆の御来屋に着いたと伝えられる天皇は、在地の豪族名和長年に擁されて船上山に入り、ここに建武の新政実現への一歩をしるしたのでした。

ここで紹介した三人以外にも、伝説の域を出ないものも含めて、多くの流人がいます。

隠岐の流人第一号といわれる柿木躬都良麿(人麻呂の子)、奈良時代の女性涜人名草直(なぐさのあたい)高根女、淳仁天皇の弟船王、八幡太郎義家の子源義視、後鳥羽上皇を批判した僧文覚上人、そして江戸初期に派手な宮中女官との遊蕩乱行をとがめられた飛鳥井少将雅賢などが配涜されています。

このように隠岐に流刑になった人々の数は、三千人を下らないといわれています。この流人たちの悲喜こもごもの思いや島の人たちとの交流が、伝説や民謡などの中に残って、今に伝えられています。

 

「公卿の子が泣く 知夫里の島で 母に鼓がついたやら……」

 …隠岐の麦つき歌 

 
隠岐観光協会(島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫4-57)Tel.08512-2-1577
西ノ島町観光協会(島根県隠岐郡西ノ島町浦郷544-38)Tel.08514-6-0021・ Fax.08514-6-1411
海士町観光協会(島根県隠岐郡海士町海士1490)Tel.08514-2-0111
知夫里島観光協会(島根県隠岐郡知夫村来居)Tel.08514-8-2272・ Fax.08514-8-2272
隠岐國商工会(隠岐郡海士町海士1490)Tel.08514-2-0376
  

隠岐の島町観光案内

 
隠岐モーモードーム
全国初の全天候型木造ドーム型の牛突き場で、迫力ある隠岐の牛突きが天候に関係なく楽しめる、隠岐の新しい観光スポットです。
 
蓮華会舞

麦焼きの舞、眠り仏の舞、龍王の舞、大平楽、二人舞、山神貴徳の舞など、それぞれ変った名前がついているこの舞は、蓮華会舞と呼ばれ、毎年4月21日隠岐国分寺の祭事に野外ステ一ジにて奉納されるものです。この蓮華会舞は、大陸文化が盛んに輸入された奈良朝時代、いくつかの珍しい芸能が輸入されたものの中の一つであり、かつては120種を数える舞があったのですが、明治維新の廃仏毀釈により多くのものがすたれ、現在7種類の舞が保存伝承されている大変貴重なものです。桜の散る中でこの天平の文化の香りのする典雅で優雅な舞が奉納されます。

 
隠岐国分寺

隠岐国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の詔で諸国に建立されたもののひとつです。明泊初年までは、本堂をはじめとし庫裡、鐘楼、仁王門など数多くの当時を物語る建物が残されていたのですが、全国的に広がった廃仏毀釈運動により、ほとんどのものが焼失してしまったのです。その後、本堂などは昭和になり再建され、廃仏毀釈により両手を失った四天王像が安置されています。また、蓮華会舞の面、獅子頭などや後醍醐天皇の隠岐脱出を現す絵が陳列されており、後醍醐天皇の行在所とみなされ、昭和9年に国の史跡に指定されています。

 
玉若酢命神社と駅鈴

玉若酢命神社は、「延書式」にも載る島後では由緒ある神社のひとつです。また、隠岐国の総社でもあり、総社大明神と呼ばれていました。本殿は、隠岐造りと呼ばれる建築形式で、茅葺きの屋根や千木、堅魚木の上に雀踊などの横木が置かれるなど、素朴さの中にも威厳が感じられる建物です。参道をのぼり、神門をくぐると右側に高さ30m、根元の周囲20m、樹齢2000年を超える杉の大木、八百杉があります。この八百杉は昭和4年(1929)に国の天然記念物に指定されています。

 
億岐家宝物館

玉若酢命神社の宮司をつとめる億岐家は、隠岐国造の家系で、古くより駅鈴と倉印が伝わっています。駅鈴は、律令時代に宮人が駅馬を徴するとき、この駅鈴を示し宮人であるという証拠としたものといわれています。また、倉印は税の出納に使用したもので、この隠岐の倉印のほかに駿河、但馬の国に伝えられている日本に現存している三倉印の一つであり、駅鈴、倉印共に昭和10年(1935)に国の重要文化財に指定されています

 
佐々木家
隠岐最古の木造住宅。母屋は杉皮葺き、石置き屋根、切妻平屋建て。寛政4年に建てられたもので、屋敷内 には農具、飲食用具、灯火用具など重要な民俗資料が多数展示されている。
 
白島海岸

島後の最北端、白島崎の北方には、松島や沖島、白鳥などの島々が多く見られ、ここを白島海岸と呼ばれ、昭和13年(1938)国の名勝および天然記念物に指定されています。沖島は、天然記念物のオオミズナギドリの繁殖地であり、また、小白島は長い年月による風化や海食作用などによって、ちょうど巨象が鼻で海水を吸いあげているような形の岩があり、これを「象が鼻」と呼ばれています。その他多くの景勝があり、この特異な風景美を見るために多くの人々が訪れます。
汐浜ヨットハーバーは、西郷港東側の立木地区にあり、自然が造りだした入江を整備し、自然との調和がとれている全国でも有数のヨットハーバーです。

 
塩浜海水浴場

汐浜ヨットハーバーの南西側にある小さな半島を越えた所に塩浜海水浴場があります。遠浅の砂浜を持つこの海水浴場は毎年夏になると、多くの観光客が訪れ賑わいます。

 
よろい岩・かぶと岩
中村港の東端に突き出た岬一帯・海苔田鼻の先端にある巨岩。柱状節理のアルカリ粗面岩に黒い玄武岩がのったもので、よろい岩は高さ60mに達する奇勝である。
隠岐自然館
隠岐自然館は、海と島と生きものをテーマに臨場感あふれる自然系の見学施設。
●水族館………………隠岐近海の魚たち
●生き物たち展示……動物、鳥、昆虫、貝類、甲殻類
●シアターコーナー…オオミズナギドリの子育て・隠岐海中散歩
※レインボープラザ…隠岐観光の紹介コーナー・無料休憩所
 
隠岐ポートプラザ
1Fには観光案内所、チケットカウンター、2Fは隠岐自然館、3F〜6Fはホテル。隠岐観光の拠点施設です。
 
トンド祭り
毎年1月15日に行われる漁業地区、今津地区のトンド祭は、隠岐島の各地区で行われている中でも、その勇壮さやスケールの大きさからいって最も華やかであり、島内各地からも大勢の人々が訪れます。燃え上がる火の粉、海中に倒れる青竹。対岸からは一斉に裸の若衆が海に飛び込み、燃え落ちる青竹を奪い合うという勇壮なもので、持ち帰った竹は縁起物として、その年の厄年、出産等の家庭に贈られるのです。
しげさ節
隠岐は民謡の島とも呼ばれ、多くの民謡が島の人々によって唄い継がれてきています。かつて北前船が盛んだった頃、各地の文化や民謡を置きみやげとして、この島に持ち込まれた数々の唄が隠岐民謡として隠岐の人情や風俗に溶け込み生きつづけてきたのです。なかでも「しげさ節」は最もポピュラーな民謡であり、全国的にその名前が知られています。毎年5月には、隠岐島文化会館などで、しげさ節全国大会が開かれ、全国の民謡愛好者が集い、自慢ののどを競います。
 
浄土ヶ浦
名勝「浄土ヶ浦」は、布施地区の北東海岸約1kmからなり、至る所で美しい自然の景観が展望できます。古松や岩場を縫うようにして遊歩道があり、中心部の展望台からは、布施の港や海中公園の地域、そして遠くは白島崎まで一望できます。又、キャンプ場などもあり夏にはたくさんの人々で賑わいます。
 
春日の浜
春日神社に広がる浜で、夏には海水浴場で賑わいます。トイレ、シャワー、レストランなどの施設も完備されています。
 
トカゲ岩
トカゲ岩は、布施村から鷲ヶ峰にいたる途中の曲りくねった、いろは坂の展望台から見ると、切り立った80mの断崖を全長35mもある巨大な一匹の大トカゲがよじのぼっているような珍奇雄大な光景を眺めることができます。又、このトカゲ岩はその奇景のみではなく、岩質はアノーソクレース響岩質粗面岩で露出としては、世界稀有のもので学術研究上大変貴重なものです。
 
隠岐自然回帰の森

大満寺山より葛尾山に連なる山々一帯は隠岐自然回帰の森に指定されています。遊歩道やトイレ、駐車場も整備されています。

 
鷲ヶ峰天然杉

鷲ヶ峰の東北斜面一帯の約15haにわたって樹齢300年から400年の杉の天然林があります。大きなものでは、胸高の幹回りが6mもあり、その他モミ、ヒメコマツ、タロベ、カツラなどの大木も混交して育成し、一大自然林を形成しています。

 
乳房杉

島後の最高峰である大満寺山(標高608m)の東麓にある、樹齢800年ほどの古杉は、根まわ16mで地上3mのところで15に分岐し、さらに地上10m位のところから、20数個の巨大な鐘乳石状の乳根が下がり、長いものでは2.6mにも達しています。地元の人々はこの大変珍しい木を乳房杉と呼んで、毎年4月23日には、祭りを行っています。

山祭り
山祭りは、毎年4月の初丑の日に行われ、20名前後の若者が酒を飲み元気づけをして、樹齢800年もある老杉の御神体の側で、小太鼓を叩きながら木やり唄を歌い、葛を7周半その老杉に巻きつけるという帯しめを行います。この山祭りは、いい伝えによれば、村の奥山に気性が荒く器量の悪い女の魔神が棲んでいたため、村に災難がたえなかったそうです。そこで村人は恐怖のあまり大山をはじめ3箇所に山神様を祭り、災難から救われたということです。それが村の伝統行事として受け継がれて今日に伝わっているのです。
 
国民保養センター隠岐の島
国民保養センター隠岐の島は、風光明楯な布施海岸の小高い一角にあります。この施設は昭和48年に建設され、地元の人だけではなく遠来の観光客が余暇を効果的に使用し、健全なレクリエーションの場として大変喜ばれています。又、周辺には、フィンハウスと呼ばれるログハウスの貸別荘10棟をはじめ、渚の家「弁天」、キャンプ場、テニスコート、ゲートボール場などが整備されています。
ローソク島
ロウソク島は、尾白鼻の北東500mの沖合いにある高さ20mのちょうど一本のロウソクが海面より垂直にそびえ立っているような岩です。夕陽がこの岩の頂きに落ちると、まるでロウソクに灯がともったようで、その眺めは格別です。
 
水若酢神社
水若酢神社は隠岐一の宮で、祭神は水若酢命ほか2柱です。大きな黒松群に囲まれた本殿は隠岐造りで寛政7年(1795)の建立という古社です。
 
水若酢神社の大祭
隠岐三大祭のひとつである水若酢神社の大祭は、昭和48年(1973)3月に県の無形文化財に指定されており、隔年の5月3日、山曳神事で祭りの幕開けとなります。この山曳神事は、揃いのハッピに襷、鉢巻姿の7歳くらいまでの男児が父親たちに手を引かれながら山車を引きます。又、勇壮な獅子舞や悪霊の退散と五穀豊穣を構った流鏑馬の神事などが行われ、大勢の人々で賑わいます。
 
牛突き
隠岐の民俗行事で最も有名なのがこの牛突き。その昔、後鳥羽院が隠岐の中ノ島に連流された時、院を慰めるために島民がお見せしたのが始まりといわれています。前頭から横綱まで約10番の取り組みを行う本格的なものの他、夏季には観光牛突きも催されます。
 
久見神楽
伊勢命神社の例祭に奉納され、平成偶数年は7月25日、奇数年には26日に開催されています。懐かしい太鼓や笛の音とともに繰りひ ろげられ、一度観るとそのストーリーのおもしろさに驚かされます。迫力ある動きと鮮やかな衣装も、深く心に残る伝統行事です。
 
福浦トンネル
五節村の最北端にある、重栖港の西にある凝灰岩をくり抜いて造ったのが、福浦トンネルです。入口は高さ約100m、幅80mの黒滝岩で、日本では珍しい黒曜石からなっています。トンネルの途中にいくつか開けられた窓から見える青い海は素晴しい眺めです。
 
隠岐郷土館
明治初期の洋風木造建築であり、県の文化財に指定されているのが隠岐郷土館です。この白亜の建物は、明治18年(1885)周吉郡など3郡の郡役所として西郷町に建てられ、後に隠岐支庁庁舎として使用されていましたが、新庁舎の建築に伴い、五節村が明治百年記念事業として、この現在地である水若酢神社の隣接地に移転復元しました。昭和45年(1970)の6月に隠岐郷土館として開館し、漁搭用具や農耕用具など生産用具674点が国指定重要有形民俗文化財として、又、家具調度や衣服装身具など1271点が県指定有形民俗文化財として展示されています。
 
五箇創生館
隠岐の伝統文化と観光の伝承施設、五箇創生館。ここで予習してから回るもよし、想い出の場面を振り返るのもよし。島民の娯楽として古くから伝わる「牛突き」、隠岐独特の風習を持つ「古典相撲」、そして「隠岐の花々」などを大型映像シアターで紹介しています。
隠岐温泉GOKA
隠岐島唯一の温泉施設としてあらゆる効能を取り揃えている隠岐温泉GOKA。温熱、水圧、浮力などの物理作用のほか、隠岐の自然環境による転地効果などさまざまです。ゆっくりとお湯につかる浴室、温泉プール感覚で楽しめる水着コーナー、休憩ロビーやリフレッシュ後の化粧コーナーと施設も充実。悪から降り注ぐ陽の光も−役買っています。
 
ログハウス(五箇地区)
大自然の中、アウトドアの基地が、木の温りを満喫できるこのログハウスです。スポーツなら海水浴はもちろん、ハイキング、釣りなど家族連れやグループでワイワイ楽しめます。すぐ裏には深浦滝もあり、まるで空から降り注ぐような美しさが見事です。ウッディ感あふれる室内は冷暖房完備、テレビ、電話、冷蔵庫、食事用具一式といった設備が揃っているので安心。ここはひとつ隠岐の新鮮な海の幸をいち早く手料理、なんて贅沢はいかが。
 
隠岐しゃくなげ園
郷土館近くに建つ隠岐しゃくなげ園。ここにあるのは、オキシヤクナゲという隠岐特有の品種で、その数およそ1万株。4〜5月上旬にいっせいに咲き誇り、園内一面をピンク色に染め上げます。杉木立の小山いっぱいうめつくす様子は、まさに絵にも描けない美しさです。
 
ホテル海音里
快適そのものの休日を味わえるオアシスといえば、ここホテル海音里。隣接するログハウスのテニスコートからのさわやかなボールの音も心地よく響いてきます。少し離れた吉浦キャンプ場には10張り分のテントサイトがあり、ローソク島に落ちる夕陽を見た後キャンプファイヤーなどという自然派にとってはこたえられないプランも楽しめます。
 
黒曜石
黒曜石は、全国でも数箇所でしか産出しておらず大変貴重なものです。この隠岐の黒曜石は、破砕すればガラス質のシャープな刃物のような切口となり、縄文や弥生時代は、鉄や石鑓などに加工されていました。今では、この素朴で深みのある黒曜石を使い、民芸品や装飾品として多くの人たちに愛用されています。
 
壇境の滝
壇境の滝は、耶久地区から約4kmの横尾山山中にあります。那久川の上流にまるで屏風を広げたような岩壁の中央に壇境神社があり、この神社を中心にして落差40mもある雄滝と雌滝があります。この滝は、裏見の滝として有名であり日本の滝百選に選ばれました。また、全国名水百選にも選ばれているほど水質がよく、牛突き大会や隠岐古典相撲大会の勝利を運ぶ水、万病に効く長寿の水としても地元の住民に重宝がられています。また、その昔、嵯峨上皇の逆鱗に触れ隠岐に流刑された遣唐副使・小野篁が赦免を祈願してこの滝に打たれたとも伝えられています。
 
那久岬
高台に展望台があり、天候の良い日には島前を望むことができる。また、灯台まで散歩道があり、潮騒を聞きながら眼下の海も見渡せる。
 
屋那の松原
屋那の松原は、都万漁港の右手にある老木が繁る美しい松林で、昭和62年の1月、日本白砂青松百選に選ばれています。伝説によれば、昔都万村は大変災害の多い土地で、そのため飢えに苦しむ人が沢山いました。ある時、村の八百比丘尼という美しい一人の娘の枕元で神様のお告げがありました。それは一夜のうちに千本の松を屋那海岸に植えれば村を災害から守ってやるというものでした。娘はそのお告げ通り一夜のうちに松を植え、それからというもの災害の少ない豊かな村になったといわれてます。
屋那の舟小屋
松原の近くには、杉皮葺きの昔な)群が建ち並び、独特の雰囲気をかもしだしています。
 
都万村遊魚管理センター
白砂で遠浅の海水浴揚があり、家族達者で賑わう。また釣堀、地曳綱、遊漁案内もできる多目的行楽地である。近隣に多目的広場、探勝遊歩道、キャンプ場、ログハウス、ホテル、レストラン、テニスコート、体育館のあるあいらんどパークがある。
海洋釣り堀
津戸地区にある自然景観のよい、奥深い入江に海洋釣り堀があります。マダイ、イシダイ、スズメダイなどを太公望たちが気軽に釣り糸をたらしながら楽しめるようになっています。
 
高田神社
高田神社は、中里地区にあり、南北朝末期の至徳年間(1384〜1387)に、佐々木隠岐次郎左衛門の娘、小花姫に神託があり高田山項の鳴沢の池から現われたご神体がまつられていると伝えられています。また、京都四条、金蓮寺の浄阿上人がこの社に一宿した時、夢の中に「花に今なる沢池の蓮かな」という高田の神の神示をうけ、さっそく京に帰り、二条良基など公卿、僧侶などの歌人に頼み、百首和歌と千句連歌をつくってもらい高田神社に寄進しました。この都の歌人によって歌われた和歌は高田神社の社宝になっており、県指定の文化財でもあります。
 
伝統を受け継ぐ闘牛

八朔牛突き大会は、毎年9月1日に行われる壇鏡神社の例祭、八朔祭りの余興として開かれるものです。この牛突きの起こりは、隠岐に配流された後鳥羽上皇を里人がお慰めするために始めたと伝えられています。八朔牛突き大会の歴史は古く、戦国時代から始まったとの説があり、日本で最も伝統のある闘牛大会です。大会当日は、牛が豪華な化粧回しを身にまとい、鉢巻をしめ、職を何十本も立てての土俵入りを行い、巨体と巨体とが死力を尽して格闘する様子は見る者に感動と興奮を与えてくれます。

 
あいらんどパーク

多目的広場、探勝遊歩道、キャンプ場、ログハウス、体育館、テニスコート、ホテルのある観光施設。ログハウスは本格的な丸太材を使った約100棟の貸別荘で、バス、トイレ、テレビ、電話を完備し、ゆとりとやすらぎを与えてくれる。

 
海事まつり

海事まつりは、昭和59年に豊かな自然を生かし、村民と島民そして都会からの観光客など、人々との触れ合いを通し村おこしの起爆剤にしようというねらいから生まれたものです。奥津戸湾の砂浜一帯を海事の浜として海水浴場に開放、7月末から8月初めの日曜日2回だけの開催ですが、イタヤ貝のつかみ取りや地引き綱、バーベキュー等の催しや、マリンコンサートなどのイベントに大勢の人々が集まり、大変賑わっています。

 
ジェットスキー

波静かで広い都万湾は、ジェットスキーの絶好のスポット。毎年8月には西日本大会など開かれています。

 
スキューバダイビング

初級者から上級者まで楽しめる多彩なダイビングゾーン。親切なインストラクターが夢の世界を案内します。

 
亀の原水鳥公園

人なつっこい合鴨、池をにぎやかにさせる真鴨、美しい色の鯉、その他自然の生き物、植物、大人も子供ものんびりとできる自然に囲まれた公園です。特につつじが咲く頃が見もの。

 
油井水仙

都万の油井地区の海岸には野生の水仙の群落があり、12月〜3月の冬の風物詩となっています。

 
ヒオウギ貝
近年、高級魚介類の資源減少が目立ってきている中、獲る漁業から"作る漁業"への転換を積極的に推進しており、栽培漁業の一環として、ヒオウギ貝の養殖をしています。ヒオウギ貝は暖海性の二枚貝で、栽培方法はイタヤ貝と同じですが、種苗生産は人工採苗を実施しており、漁業者にとって安定した収入が得られるなどの長所が多く、順調に養殖漁業者が増えており、今後生産量の増加により、日常の食卓に上がる日も間近です。
 

西ノ島町海士町知夫村(知夫里島)観光案内 》

 
隠岐の観光リゾートが、ますます楽しくなる便利な船の旅
本土の境港、七類港から隠岐汽船に乗船。カーフェリーで約2時間20分、超高速船は本土の境港・七類港・加賀港から約1時間過ごすと、島後の西郷に到着します。島前の別府にへは、カーフェリーで約2時間50分、海士へは約3時間の船旅です。船は、フェリーおきじ、くにが、しらしま、超高速船レインボーが就航し、隠岐へのアクセスはスピーディー、のんびりと自由自在。楽しみ方に合わせてご利用ください。
 
船内は、楽しさを倍増させるパブリックスペース

船旅をするうえで、まず重視したいのは設備が充実している客室です。ゆっくりとくつろげるフェリーの旅は、プロローグ・エピローグをより想い出深いものにしてくれます。航海の安全を約束する操舵室からは、迫力ある景色、紺碧の海を眺めることができます。

 
まるで海面を翼走する飛び魚のような乗り物です

高速ディーゼルエンジン搭載の超高速船レインボーは、隠岐と本土を時速70km、約1時間で結ぶ双胴型の水中翼船です。40ノットの高速力の走りは、まさに海面を浮上翼走しているかのよう。夢を見ている間に隠岐へ着くという早技です。船体は快適・安定した乗り心地、ひと味違う旅のはじまりです。

 
海が空が風が船旅をエスコート、デッキから大自然を満喫

青い海をバックに白い波しぶきを上げながら走るフェリー。左右に島根半島を見ながら船は加速を続けます。デッキに立ちエメラルドグリーンやコバルトブルーに変わる海を眺めると、海は太陽の光にきらめき、ここでしか観賞できないような岸壁や風景が楽しめます。大空に海鳥が舞い、澄んだ海面を回遊魚が泳ぐさまを間近で見れるのも船旅の醍醐味。隠岐が近くなると迫力ある景観が続き、期待に胸が高なります。

 
島へ降り立つ人をホッとさせる素朴な風土と人情

「ようこそござんした、とって隠岐の宝島へ。」と歓迎の横断幕としげさ節が流れる中、船はゆっくりと港に入ります。七色のテープが風に舞うと、港は旅情ムードいっぱい。素顔の隠岐に出会える一瞬です

 
おおいなる風景
西ノ島の西側に連なる国賀腐岸にはイザナギ浦、天上界、鬼ヶ城、通天橋、摩天崖なとといった浮世離れも際立った名の秘境か地図に記されている。実際この場所はかつて神々がもっと身近な存在として崇められていた頃、古代神話にいうところの「霊異(くし)ふる」界、神々の世界こ最も近い地として人々に信しられてきた国賀だけに限らず、この小さな島々そのものが海洋の神殿ともいうへき壮大な自然の造形物だ。何十万年ともいわれる気か遠くなるような時間を費やして創られた奇岩や断崖の数々。果てしない地球の営みを目の当たりにしてもはや出てくる言葉など無い。その大いなる光景にたたたた圧倒されるのみである。
 
隠岐国賀海岸

西ノ島町の西海岸一帯は、約7kmにわたって粗面玄武岩の海食崖や海食洞が続いている。これが、昭和13年(1938)に国の名勝および天然記念物に指定された隠岐国賀海岸である。昭和38年(1963)4月には、大山隠岐国立公園にも指定され、特別保護地区として保護されている。この海岸一帯は、日本海の激しい海食作用を受けて、大規模で変化に富んだ海食景観を呈している。国賀の中心は何といっても摩天崖で、海面から257mの高さをもち垂直にそそり立っている。その反面、断崖の上部一帯はおだやかな地形が広がり、一面緑の草地となっている。ここには多くの牛馬が放牧されている。

 
通天橋

通天橋は、日本海の荒波が造り出した岩の架け橋である。かつては下を船で通ったが、落石によって次第に浅くなり、現在は船は通れない状態である。このほかにも、長さ200mに及ぶ天然のトンネル「明暗の岩屋」や、荒々しい玄武岩の岩肌をみせる断崖「鬼が城」「金棒岩」や「龍宮城」「乙姫御殿」「観音岩」「天上界」などと名付けられた奇石がある。今では海路、陸路の両方とも浦郷から容易に行くことができるようになっている。浦郷から国賀に船で行くには、船引運河を通る。国賀公園道路を浦郷から車で10分で、通天橋の近くにある展望台まで行き、海岸一帯を探勝することができるようになった。

魔天崖
何十万年もの間、日本海の逆巻く風浪に削り取られてできた比類なきスケールの大断崖。標高は257mにも及び、海蝕崖では日本一の高さを誇ります。圧巻とはまさにここのことを指す言葉と言っていいでしょう。また、崖上にも行くことができ、そこから見る日本海はとてつもなく雄大です。隠岐自然館は、海と島と生きものをテーマに臨場感あふれる自然系の見学施設。
●水族館………………隠岐近海の魚たち
●生き物たち展示……動物、鳥、昆虫、貝類、甲殻類
●シアターコーナー…オオミズナギドリの子育て・隠岐海中散歩
※レインボープラザ…隠岐観光の紹介コーナー・無料休憩所
 
船引運河
島の中央を内海と外海を一直線で結んでいます。大正4年に完成し、昭和50年に改修が行われ、漁船や観光船には無くてはならない水路。
 
釣り堀公園センター
磯のような環境で魚釣りができるうえ、竿などのレンタルもあるので気軽に本格的な釣りが楽しめます。石鯛やグレ、鯛、ヒラメなどの大物狙いで挑戦してみては。
 
マリンパーク弁天キャンプ場
問/マリンバーク管理棟08514-6-1667)・浦郷・別府よりタクシー15分/収容数7張・貸・ント及び使用料6人用6張テント付(1,500円)、テント無(1,000円)/水道・トイレ・炊事場・シャワー・西ノ島町美田・ログハウス/16,000円〜
 
黒木御所跡
後醍醐天皇の配流の地である、別府の天皇山という小高い山の項にある。この黒木御所跡は、配流されてから脱出するまでの約1年余りを過ごされた行在所と伝えられ、石碑の建つ狭い台地は、後醍醐天皇の不遇時代を偲ばせています。しかし、この行在所には黒木御所と、島の国分寺との二つの説があるのですが、天皇にまつわる伝承は黒木御所にしか残っていない点などから、黒木御所跡を天皇の行在所として昭和38年(1963)県の指定史蹟となりました。
 
黒木御所跡「碧風館」
黒木御所は、元弘の変で鎌倉幕府に敗れ隠岐に流罪された後醍醐天皇が脱出するまでの1年足らずを過ごした行在所と伝えられています。碧風館には天皇にまつわる資料などが展示されています。
 
焚火神社
隠岐島前の最高峰、西ノ島町の焼火山(452m)の中腹にあるこの神社は、一条天皇の時代(1000年ごろ)の創建と伝えられる。もとは焼火山雲上寺として焼火権現が祀られていたが、明治以降は焼火神社と改称された。大時化のとき祈願をこめると、神の導きの光明によって救われるという故事があるように、島民だけではなく諸国の舟人の海上信仰の対象となった。かなりの急坂を2kmほど登ると、大名の館を思わせるような宮司本邸と1,000人もの参寵者を泊めることのできる雲表閣にたどりつく。老杉に囲まれた境内をしばらく行くと、大岩窟の中に半分身を隠すようにして岩屋造りの社殿が建っている。精巧を極める彫刻に飾られた社殿は享保年間(1716〜1736)の改築と伝えられている。この神社の祭礼は7月23日。祭礼で舞われる神楽は、隠岐神楽独特の荘重さをしっかりと伝えており、一見の価値がある。神社一帯は暖地性、寒地性植物の群生地で、昭和45年(1970)10月に県の天然記念物の指定を受けている。中でもその名が示すようにシダ類タクヒデンダは、この地にしか見られないものである。
 
西ノ島ふるさと館

西ノ島町の自然と人の暮らしの資料を集めた展示館。木村コレクションは隠岐で採集された貴重な生物資料として高く評価されています。

 
シャーラ船
シャーラ(精霊)船は、美田、浦郷地区に残るもので盆行事の一つとして古くから受け継がれてきたものです。このシャーラ船は、支わらと竹とで作られ、帆のかわりに子どもたちが各戸や墓をまわって集めてきた色とりどりの盆旗をいっぱいつけます。この大変素朴ながら、華麗なシャーラ船送りは、8月16日の早朝に行なわれますが、仏前の供物をいっぱいに積み込み、念備や盆唄に送られながら、引き船に引かれ静かに岸壁を離れていく姿は、素朴な哀感をさそいます。
由良比女神社
浦郷港の入江に面した所にあり、漁業神や海上守護神として多くの信仰を集めています。大祭は、隔年ごとに7月28日から29日にかけて行なわれ、28日の海上渡御は相撲が奉納されたり、夕方からは大神輿が神社の広場から船着場まで何百人もの人々によって練り歩くという大変賑やかで勇壮なものです。そしてその大神輿を神船に乗せ浦郷港をゆっくり巡航していくのです。翌29日は還幸式で、神社の境内において元気な若者によって神輿が担がれ、威勢のいい声が境内に響き渡ります。
 
由良比女神社大祭
イカ寄せで有名な由良の入江にある由良比女神社の大祭で、隠岐唯一の船まつり(夜まつり)。当社は延喜式神名神帳に名神大と記さ放た古社で、神幸の船に観客も乗せ、にぎわう。
 
海中展望船「あまんぼう」
日本海側では初めての半潜水型海中展望船が浮かぶ豊田港。赤褐色の絶壁がそびえ立つ明屋海岸の海中は起伏に富み、海藻、魚種が豊富。海に潜むマダイやイシダイが群れをなして未知なる龍宮城への旅を案内してくれる。
 
三郎岩
仲の良い兄弟のように、島前湾に浮かぶ三つの奇岩。その姿から三郎岩と呼ばれ、船上から人目を引く景観です。
 
明屋海岸
紺碧の海に雄大な赤かっ色の断崖や奇岩がそびえ、不思議なコントラストを見せています。岩場の多いこの海岸は、対馬暖流の影響を受け、魚の格好の住み家であり、又、町営のキャンプ場なども整備されており、夏ともなると島内外の多くの海水浴客で賑わいます。
 
約り
島前の海は言わずと知れた太公望達の楽園です。対馬暖流の影響を色濃く受け、魚種、魚介類がとにかく豊富で年中楽しむことができます。磯釣りから船釣りまで、とにかく島々のありとあらゆる場所でありとあらゆる魚が釣れます。太公望だけでなく、初心者の方でも安心して楽しめるフィッシングデッキもあります。
 
スキューバーダイビングスポット「松島」
松島は、今流行のスキューバダイビングのスポットとして注目を浴びている。この付近は、日本北限の造礁サンゴ"アワサンゴ"の生息が確認されており、日本海の温もりを感じさせてくれる。水中アーチの岩礁に群生するカラフルなウミカラマツをはじめ、1m級のマダイやヒラマサの大群がダイバーの目の前を廻り、紺碧のブルーホールヘと姿を消していく。
 
ジェットスキー
マリンスポーツの中でも高い人気を誇るジェットスキー。海士の青い海を颯爽と駆け抜ける快感をぜひ味わってください。
 
シーカヤック
にわかにブームになりつつあるシーカヤック。のんびりと漕ぎながら、ダイナミックな自然を全身で感じることができます。
後鳥羽上皇火葬塚
後鳥羽上皇は、承久3年(1221)倒幕をめざし北条義時追討の院宣をくだしたものの、承久の乱が、鎌倉幕府の圧倒的勝利の結果、隠岐・中ノ島に配流れされました。その時、上皇の御歳42才であり、延応元年(1239)60才で亡くなるまでの19年間、ひたすら都への思いに苦しみながらも、この島の温かい人情や豊かな自然に接することにより、都では得られなかったおだやかな日々も得、やがて和歌や仏の道などにうち込み、新古今和歌集の改訂や遠島百首、後鳥羽院御集など和歌文学史上特筆すべき作品の数々が生まれたのです。この後鳥羽上皇行在所跡である源福寺は、明治2年(1869)の廃仏毀釈で焼失し、今ではうっそうとした杉木立ちにその跡を偲ぶことができます。また、そのすぐ近くに残る小さな勝田池のほとりには「蛙鳴く刈田の池の夕だたみ聞かましものは松風の音」と上皇の詠まれた歌碑がひっそりと建っています。上皇のご遺骨は、源福寺の北部丘陵に埋葬され廟殿が建てられ、この山陵を現在は後鳥羽上皇御火葬塚と呼んでいます。当時、遺骨の一部は北面の武士・藤原能茂によって都へ持ち帰られ、京都大原の法華堂に納められました。御火葬塚は源福寺の住職や上皇の身辺の世話など忠勤に励んだ土地の豪族村上氏により守られてきました。明治6年(1873)、遠島の地で崩御された順徳、土御門上皇とともに、水無瀬神宮へ合祀されることとなり、山陵の御本殿が取り払われ、その時、鋼根の金具といっしょに三重の骨壷が発見されました。そして明治8年(1875)宮内省が山陵を修復し、それよりこの一帯は宮内省所管となり、村上氏が管理することになりました。
 
隠岐神社
後鳥羽上皇を祀る隠岐神社は、昭和14年(1939)上皇没後700年を記念して建てられたもので、神社は隠岐づくりといわれる様式で、銅板葺の本殿および拝殿や宝物殿などからなっています。又、境内には300本の桜の並木があり、4月14日の例祭日ごろには一斉に開花し、島内外からの花見を楽しむ人々で賑います。
 
隠岐神社
後鳥羽上皇を祀る隠岐神社は、昭和14年(1939)上皇没後700年を記念して建てられたもので、神社は隠岐づくりといわれる様式で、銅板葺の本殿および拝殿や宝物殿などからなっています。又、境内には300本の桜の並木があり、4月14日の例祭日ごろには一斉に開花し、島内外からの花見を楽しむ人々で賑います。
 
村上家
海士の豪族で後鳥羽天皇に忠勤を励み、天皇亡き後、現在まで代々御墓守を務めてきた。重厚な石垣と正面の門が往時の勢力をしのばせる。
 
海士町歴史民俗資料館
すぐ近くに隠岐神社があり、採光などに工夫をこらした和洋折衷の大変シャレた建物です。後鳥羽院関係をはじめ、隠岐神社宝物などが展示されており、隣接した別館には民俗資料など300点が展示されています。
 
天川の水
環境庁選定の日本名水百選・真言宗の古利清水寺境内の一角に湧出する。日量400tもあり生活用水、農業用水として広く利用されている。
 
金光寺山
高さ120〜160mの台地状の山で、山頂までドライブウェイが通じています。遣唐使、小野篁はこの地で約2年の歳月を送り、その間、六社権現に百日の参篭をし、仏像を刻み、都に還らせ給えと一心に祈願したといいます。山頂からは島後の島々が遠望でき、大変眺望の良い所であり、又、ここではバーベキューが楽しめるようになっており、イカ、サザエ、アワビなどの海の幸を焼きながら食べる味は格別です。夜には、点々と漁火が点り一層ムードを盛り上げてくれます。
 
キンニャモニャ祭
その昔、菱浦に住んでいた松太郎じいさんの恋物語を歌ったのがキンニヤモニヤで“キヨが機織りゃキンニヤモニヤ〜"と、楽しい歌詞とメロディー、ユーモラスな踊りで約1000人がパレードします。毎年8月下旬、海士の熱い夏はこの祭でピークに達します。
田楽の舞
日吉神社で行われる古代芸能。地元ではシューハイラー(十方拝礼)・庭の舞という。
 
赤壁
知夫里島の西海岸には、およそ1kmにわたって荒々しく削りとられた断崖が続いている。断崖の高さは150mから200mにも及ぶが、その色彩のすばらしさに目をうばわれる。断崖の色彩は、その断崖を構成する粗面安山岩質の凝灰岩(鉄分を含有する)の風化の度合いによって、赤、黄、紫色などに変化し、玄武岩の黒、粗面岩脈の白色などが強烈なコントラストをなしている。中でも、昇龍岩と臥岩は見事で、夕日を受けると岩肌は深紅に輝く。昭和10年(1935)12月に国の名勝および天然記念物に指定されており、国立公園の特別保護地区にもなっている。
 
アカハゲ山

知夫里島の西部に位置している。標高325m。山頂展望台が整備され、車で乗り入れできる。360。の大パノラマ、まるで地球儀に乗っているような錯覚になる。無料の4基の望遠鏡、ビデオが整備してある。付近は放牧場となっていて牛馬の放牧が多い。かってさかんであった牧畑は、居島牧、西牧、中牧一帯で行われていた。牧畑の境界は木の柵または石垣で仕切られ、中牧には右横垣が長くつづき独特の牧畑景観を残存させている。5月になると、この山肌一面に野大根が咲き乱れ、遠く定期航路の船上からも眺められる。

 
河井の地蔵さんの湧き水

島根の名水百選に選ばれていて美味しい水と評判で、お茶や料理用として水くみに来る人が後を絶ちません。島の主要な生活路線の脇に並ぶお地蔵さんの所から湧き出ており、これまでに一度も枯れたことのない湧き水で、島の人たちにとても親しまれています。

 
郷土館

昔から使用されてきた、集魚用のランプやナマコを突くための「ナマコおとし」、冬のイカ釣り船において手を英る「ばんや」など、村人が長い年月にわたって生活と共に培ってきた民具類を始め、約2,000点にのぼる貴重な郷土文化資料が展示、保存されています。

 
お松の碑

渡津の入江にある小島、島津島にあるお松の碑は磯馴れの松に囲まれて立っている。お松の名は、隠岐の代表的な民謡である「どっさり節」にまつわる悲恋物語とともに語り継がれている。昔、知夫村仁夫の漁師の家にお松という娘がいた。あるとき、この島に寄港した越後の船乗りと恋をし、その若者はよく北国の追分節を歌って聞かせた。やがて船出の時が来て若者は去り、再びお松のもとへは帰って来なかった。お松は聞き覚えた追分節を口ずさみながら、若者をしのぶのが唯一の慰めとなった。節まわしは若者のものとはずい分遣っており、島の人々はそのことを注意したが、お松は「どっさりくっさり似ています」と言って寂しそうに笑った。「どっさりくっさり」とは隠岐の方言で、「どうにかこうにか」という意味である。「どっさり節」の歌詞は恋歌に近いものであるが、節まわしにはどこか悲しげな、今にも消え入りそうな哀感がある。お松の碑のそばには、「忘れられよか 知夫里の港とほいどっさり二日月、明日が別れの洗ひがみ」という西条八十の詩碑も建っている。

 
渡津海水浴場

夏季限定でサザエ・アワビの採集が解禁。素手・素潜りで楽しめます。

 
長尾海水浴場

ホテル知夫の里から歩いて5分のところにある海水浴場で、地曳き網なども体験できます。

  
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