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出雲市文化観光案内 Tel.0853-30-6015・ Fax. 0853-30-6016
出雲観光協会平田支所(出雲市平田町951-1)Tel.0853-63-0893・Fax.0853-63-5581

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筆投島(ふでなげじま)
 
ひろげの浜を過ぎ、幕鳥海水浴場の事前に岩肌と松の緑が美しい小島が見えます。

平安時代の画聖巨勢金岡(こせのかなおか)が、この島を措こうとしましたが、朝夕に色彩が変わる妙姿をついに写すことができず、筆を投げてしまいました。

以来、この島を筆投島というようになりました。

「物語(ものがた)ろう」出雲国大社より

 
 
礫岩(つぶていわ)
 
古事記・日本書紀の「国譲り神話」では、国譲りの使者武嚢槌神(たけみかづちのかみ)と大国主神の子建御名方神(たけみなかたのかみ)が力比べをされ、建御名方神が負けて国譲りが進んだと記されています。

大社湾の中間に丸い大きな岩を積み重ねたような島がみえますが、これが二神の力比べの際、稲佐浜から海に向かって岩を投げ合ってできたものだといわれ、「つぶて岩」と呼ばれています。

そういいますと、この辺りの海岸部は昔隆起してできたものですが、この島(つぶて岩)だけが丸みを帯びた特異な形をしています。

「物語(ものがた)ろう」出雲国大社より

 
 
日御碕ドライブイン
 
編集中
 
日御碕神社全容
朱塗りの楼門
日沈宮(下の宮)
神の宮(上の宮)
 
日御碕神社(大社町)
 
花崗岩で出来た鳥居をくぐると宋塗りの楼門がみえます。

楼門を抜けると正面の「下の宮」と、右手の石段上に「上の宮」があります。

正面の「下の宮」は天照大御神を祀り、今から約1000年前(天暦2年、948年)にウミネコの繁殖地として有名な経島(ふみしま)から遷されました。

このお宮は「日抗宮(ひしずみのみや)」(社伝によると、須佐之男命の御子、天葺根命(あめのふきねのみこと)が御崎の浜(清江の浜)に出かけたとき、経島の百枝(ももえ)の松に瑞光が輝いて天照大神の神託があったので、この島に大神を奉斎した。

開化天皇2年、島の上に神殿を築き、これが『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に載る「百枝槐社(ももええにす)」であるといわれてる)ともいわれ、西の海に太陽が沈むところだと言われています。

ちょうど夏至の日、この日御碕神社と出雲大社、木次町の「日登地区」、そして和歌山県の日ノ御崎を結んだ直線上を太陽が昇り沈んで行くそうです。

「上の宮」は「神の宮」ともいわれ素量鳴尊を祀り、背後の隠ケ丘(かくれがおか)から遷されたものです(安寧天皇の13年)。

歴史をたどると、『出雲国風土記(奈良時代)』に「美佐伎社(みさきしゃ)」、『延書式(平安時代)』に「御崎社」と記されている古社です。

日御碕神社は、平安時代末期には平田市の鰐淵寺とともに山岳霊場として全国に知られていたらしく、『梁塵秘抄(りょうじひしょう)(後白河上皇撰、鎌倉時代)』には、

聖(ひじり)の住所(すみか)は何処(どこ)何処(どこ)ぞ 

   箕面(みのお)よ勝尾(かつお)よ

      播磨(はりま)なる書写山(しゃきょうざん) 

         出雲の鰐淵(わにぶち)や日の御崎

            南は熊野(くまの)の那智(なち)とかや

と記され、平安時代末に都で流行した歌謡にも歌われていました。

そして、室町時代には、当時の室町幕府(将軍足利義澄)から「日御碕造営勧進簿」をもらったことが史料にのっています。

そして、この年代に活発化した「廻国聖」によって全国にその名を知られるようになりました。──中世日御碕社の祭神は十羅刹女(じゅうらせつにょ)(スサノオノミコトの末娘と考えられていた)で、廻国聖の信仰対象となった。

廻国聖が法華経埋納の場所を奉納山としたのは、出雲大社と日御碕の両方が見とおせる地であったため、出雲大社と日御碕を参詣してはじめて意味をもつものと考えられていた。

また、戦国時代の大名、尼子氏が日御碕神社を尼子氏領国の守護神に指定したことにより、戦国期には日御碕神社は出雲大社と肩を並べる神社になっています。

現在、両方の社殿(権現造=本殿が弊殿を通して拝殿へ続く建築様式)を中心とする建築群は国の重要文化財に指定されており、桃山時代の建築様式を残しています。

徳川家光の命により寛永11年(1634年)に着手し、寛永21年(1644年)に完成しました。

本殿蛙股(かえるまた)(上を支えるための蛙の股のような建築部材)を中心とする彫刻は、竜虎をはじめ鶴亀や松竹梅、そして日光東照宮のように「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿をかたどった見事な彫刻が施されています。

これら社殿の造営資金は、幕府から1200貰文(現在の金額で30〜40億円)が寄付されています。                    

また、日御碕神社の宝物の中には、「白糸威鎧兜(しろいとおどしよろいかぶと)・大袖付(おおそでつき)」(平安時代になって完成された日本独自の甲胃。源頼朝が神馬一頭とともに寄進したと伝えられるが、形状から南北朝時代の製作と推定。

現在東京国立博物館に収蔵)があり、国宝に指定されています。

「物語(ものがた)ろう」出雲国大社より

[問]日御碕神社社務所(0853-54−5261)[アクセス]一畑バス大社連絡所からバス22分、日御碕下車[場所]島根県出雲市大社町日御碕455

 
 
グラスボート(大社町)
 
ウミネコが生息する経島や、岸壁の上に灯台がそびえる日御碕の絶景を楽しめる遊覧船。

日御碕周辺は海水の透明度が高いことで知られている。

海食洞、海中崖と変化に富んだ海底やイシダイ、スズメダイなどの魚介類を、船底がガラス張りのボートで、澄んだ海中に群れ泳ぐ魚や海藻を見ながらの30分間のクルーズが楽しめる。

天候・風向きにより、灯台東側のおわし浜海水浴場にある、おわし浜桟橋から出航の場合もあるので、駐車場横の観光案内所で運航の状況を確認する。

[問]大社海中公園センター(0853-54-5160)日御碕観光案内所(0853-54-5400)[営業時間]10〜16時の間で7〜12便(土・日曜、祝日は9時〜16時20分)、変動あり[休み]期間中無休・荒天時(10月中旬〜4月中旬は休業)[乗船料]大人(中学生以上)1000円・小人500円・団体割引(15名以上)大人900円、小人450円[駐車場] あり[アクセス]JR出雲市駅→一畑バス日御碕行きで45分、バス停:日御碕下車、徒歩5分で発着所の日御碕港へ・山陰道斐川ICから35km45分[場所]島根県出雲市大社町日御碕

 
ぐるめ幸洋丸
 
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焼きイカ
 
編集中
 
 
サザエの壷焼
 
編集中
 
 
日御碕灯台(大社町)
 
出雲日御碕灯台は、明治32年に浜田(島根県)、境(鳥取県)の両港が開港場に指定されて外国貿易がさかんになったので、大型の沿岸灯台設置の必要性が高まり、明治36年に設置・点灯(工期は明治33年から3カ年の大工事。総工費は十万二千円余)されたものです。

この工事には、島根県八束郡森山から硬質の石材を切り出し、境港から海路運搬(54海里)し、宇龍港に陸揚げして灯塔用材に使われましたが、土木建築の機械が発達していなかった当時のことですから、ずいぶん人手がかかっているわけです。

日本の洋式灯台建設の技術は、明治政府が招へいしたイギリス人技師R・H・プラントンの指導のもとにはじまっていますが、日本には昔から築城経験があり、優れた石工技術を持っていたので、堅固で美しい石造りの灯台をつくることができました。

外国人技師は、明治10年にはすべて帰国しましたので、出雲日御碕灯台の設計施工は全て日本人の手によっておこなわれました。

高さは基礎から頂部まで43.65メートルで、今なお日本最高の灯台として有名です。

さて、灯台の中に入って見学ができるのは千葉県の犬吠埼(いぬぼうざき)灯台など全国で10カ所あるそうですが、この出雲日御碕灯台の魅力はらせん階段を登った最上部からの展望です。

三方を海に囲まれた島根半島の全景、海を越えて南方につらなる中国山地と「国引き神話」の杭となった三瓶山。

北東に目をやりますと出雲松島とも呼ばれます大小様々な島や海岸美。

南西にはウミネコの繁殖地「経島」を見下ろすことが出来ます。

また、この最上部に立つと灯台そのものがわずかに揺れているように感じます。

実際、建物に耐震性をもたせるために揺れる構造になっているそうです。

この構造は「組横道りによる異種二重殻構造」といって、外壁は先ほどお話しました石造りですが、空間をあけて内壁がレンガ造りで施されています。

この構造は諸外国では見られず、地震国日本に対して独自に開発されたのではないかと高く評価されています。

さらに、外壁の石は風化しやすい凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)起用や内壁のレンガ(焼きレンガの産地は不明)の中に木レンガが点々とはめ込んであることなどの不思議を残す灯台でもあります。

平成10年には、この出雲日御碕灯台は「世界の歴史的灯台百選」の一つとして選ばれました(国際航路標識協会がまとめた「世界各国の歴史的に特に重要な灯台百選」。

国内では5カ所選定。外に「美保関灯台」(島根県美保関町)、「神子元島灯台」(静岡県下田市)、犬吠埼灯台(千葉県銚子市)、姫崎灯台(新潟県両津市)がある)。

灯台に向かって左手の「灯台資料展示室」(平成9年、財団法人燈光会により設置)がありますのでぜひお入りください。

「物語(ものがた)ろう」出雲国大社より

[問]出雲観光協会日御碕観光案内所(0853-54-5400)[灯台入場料]大人(中学生以上))/200円・小学生以下/無料[駐車場]200台(無料)[アクセス]一畑電鉄出雲大社前駅より一畑バス日御碕行25分、日御碕より日御碕方面へ徒歩8分[場所]島根県簸川郡大社町日御碕

 
 
経島(ふみしま)
 
日御碕神社の下の宮が、当初「百枝槐社(ももええにす)」として経島に祀られていたことはお話しましたが、この島(大小二つの島からなり、面積約3000平方メートル、高さ20メートル)は今も神域であり、一般の人は入島が禁じられています。

この島の名は、島全体を覆おうデコボコの流紋岩が柱状に発達(石英角斑岩の柱状節理)し、ちょうどお経の巻物を積み重ねたように見えることからこの名前がついたと言われています。

また、この経島は青森県の「蕪島(かぶしま)」と共に日本では数少ないウミネコ(カモメ科)の繁殖地として
国の天然記念物に指定(大正11年)されています。

温泉津町(ゆのつちょう)の福光沖(ふくみつおき)、蛇島(へびしま)でも繁殖し、昭和52年国の天然記念物に指定。

鳴き声が、ニャーニャーと猫の鳴き声に似ているのでこの名前がつきました。

ウミネコは11月上旬に北の海からやって来て、3月下旬頃から営巣をはじめ4月頃産卵(一腹1〜4産卵、通常2個(50%))。

5月から6月に子育をおこない、7月頃北海道やそれ以上の北の海に移動します。

ウミネコの数は数千羽にも達し、ここが繁殖地となったのも、経島沖がイワシ、サバ、アジ、ブリなどの好漁場で餌が十分であったことと、この島が神域で人が立ち入らなかったからでしょう。

また、この鳥は魚群を知らせる水鳥として漁師さんにかわいがれています。

「物語(ものがた)ろう」出雲国大社より

 
 
ウミネコ
 
ウミネコは、チドリ目カモメ科に分類される海鳥。留鳥で、おもに日本近海で繁殖・生息するため日本国内で一般的にみられる中型のカモメである。

ネコによく似た鳴き声で鳴くためにこう呼ばれる。

全長約47cm。夏羽では背と翼上面は灰褐色で、頭部と下面は白色。冬羽は頭部に灰褐色の斑がある。

脚の色は黄色で、くちばしの先端に赤と黒の斑点があるのが特徴。また、尾には黒い帯がある。

海岸や河口、港湾などに生息し、コロニーで繁殖する。

巣は島の草地や岩の上に、小枝や草などでつくる。1腹2〜3卵。

卵は淡緑で暗褐色と灰色の斑がある。抱卵日数は24〜25日で、抱卵は雌雄交代で行う。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
 
日御碕海岸遊歩道
 
編集中
 
 
出雲松島
 
眼下に浮かぶ大小20余りの島々を総称して「出雲松島」と呼んでいます。

いずれも流紋岩(りゅうもんがん)からできており、それが激しい波の浸食作用や海面の昇降(しょうこう)運動によって次第に美しい姿に仕上げられたもので、中には海蝕洞の発達した島も見られます。

また、岩礁(がんしょう)域にはホンダワラ類・アラメ・クロメ等が着生し、みごとな海中林を形成しており、メバル・カサゴ等の根付魚(ねつきぎょ)が多く生育しています。

また、日御碕一帯はブリやタイ等の回遊魚も多く、絶好の釣り場となっています。

 
 
おわし浜海水浴場
 
出雲日御碕灯台裏手の湾内にあり、波静かなこの浜は、磯遊びにも楽しいところ。

浅瀬近くの岩場には、にな貝などが見られます。

また、スキューバダイビングにうってつけのポイントもある。

海水浴場の目の前には民宿がある。

[問]日御碕観光案内所(0853-54-5400)[営業時期]7月10日前後〜8月中旬[駐車場] あり(無料100台)[公衆トイレ] あり(無料 2ヶ所)[アクセス]一畑電鉄大社線出雲大社前駅から一畑バス日御碕行きで24分、日御碕下車、徒歩7分[場所]島根県出雲市大社町日御碕

 
宇龍港(うりゅうこう)
 
日御碕神社から東へ約1キロほどいきますと宇龍の集落、そして宇龍港がみえてきます。

ここ宇龍港は水深のある天然の良港で古くから栄えてきました。

また、左手前方にみえる権現島は旧暦正月の5日、「和布刈(めかり)神事」がとりおこなわれます。

宇龍港は『出雲国風土記』(733年)に「宇礼保(うれほ)浦。広さ七十八歩あり。船二十ばかり泊(は)つべし」と記され、古代から船舶が停泊する良港でした。

鎌倉時代から室町期(12世紀から15世紀)にかけては、地形的条件から、風待避難港として利用されていたようですが、戦国末期(16世紀、尼子氏の庇護)に入ると山陰海岸屈指の商港として栄えました。

この時期の「日御碕神社文書」「小野家文書」には、因幡国(鳥取県東部)、但馬国(兵庫県北部)、若狭国(福井県)などの商船が出入りし、奥出雲で生産された鉄などが取引されていたことが記されています。

また、当地には商品物資を取扱う倉庫業者(問丸)が鉄の積み出しなどの業務に携わっていました。

ちなみに、日本海岸の港湾で倉庫業者がいたことが確認されているのは、蒲原津(新潟県)、直江津(同)、三国湊(福井県)、敦賀(同)、小浜(同)と、この宇龍の六カ所だけです。

もちろん、山陰海岸では、倉庫業者の存在する唯一の港でした。

当時の宇龍港の繁栄ぶりが目に浮かぶようです。このほか、宇龍港には唐船(からふね)も出入りしていました。

唐という語感から、一見中国船のようですが、研究者の間では「朝鮮帰りの日本の交易船」と考えられています。

おそらく、この船によって朝鮮の陶磁器や木綿が出雲地方に持ちこまれたものと思われます。

江戸時代になると、戦国期ほどの華々しい交易は見られなくなりますが、西回りの航路の寄港地として、また松江藩御手船の冬季の囲い浦や風待ち避難港として、時代の要請に応じた役割を果たし明治維新をむかえます。

明治9年には「萩の乱」(明治維新後の新政府に不満を抱いた旧士族の反乱)の首謀者、前原一誠(まえばらいっせい)が海路上京しょうとして寄港し、ここ宇龍の港で捕らえられた事件もありました。

このように宇龍港は、今では島根半島のどこにでもみられる一漁港にすぎませんが、恵まれた地形を利用して、古代から港湾として利用され、戦国期には山陰海岸屈指の交易港だったのです。

「物語(ものがた)ろう」出雲国大社より

 
和布刈神事(めかりしんじ)
 
この神事は、政務天皇の6年正月5日、一羽のウミネコが海草をくわえて、日御碕神社の欄干に三度掛けて飛び去つた。

神主さんは不思議に思って、それを水洗いして乾かしたら、和布(わかめ)になった。

という故事にならって、毎年旧正月月5日、字龍港、権現さん(日御碕神社末社)で和布神事が行われる。

旧正月二日、宇籠区主催でみ船の籤(くじ)とりが開かれ、凶事のあった家を除いた36隻ぐらいが籤を引く。

籤は十二支の千支にちなんだ12本。

この12本の中に灘一番、沖一番が一本ずつある。

灘一番が当たると灘の漁が多く、沖一番に当たると沖の漁が栄えるとして、縁起が良いといわれている。

こうして十二隻が選ぼれる。

当日は、十二隻が美しく大漁旗を翻して勢揃いする。

神主さんが箱めがねで新しい和布を刈り上げる。

選ばれた若者が寒中の海へ飛び込んで、参道になる船板を支える。

その上を神主さんや地元の代表が乗り込んで権現島に渡る。

この間、めでたい正月の船謡を謡う。

神前に和布を供えて豊漁を祈願する。

この祭りが終わると、日御碕・字龍では和布刈りが始まる。

  
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