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出雲神話の世界
 

『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』の三つには、出雲地方を舞台にした数多くの神話が書かれている。 
特に『古事記』には色々な神話が記載されているが、出雲に関する神話がその三分の一を占めている。高天原から素箋鳴尊が追放される話、出雲に降りてきた素箋鳴尊による八岐大蛇退治、大国主命の国譲りの神話など、魅力的な物語が次々と続く。
【八岐大蛇】
 天照大神の弟で高天原から葦原中国に追放された素箋鳴尊は、斐伊川上流鳥上峰に降った。そこからさらに上流に行くと、老夫婦が姫(稲田姫)を中にして泣いていた。七人の娘が毎年、八岐大蛇に食べられ、残る一人の稲田姫ももうじき食べられてしまうというのだ。大蛇は一つの胴体に頭と尾が八つずつあり、尾の長さは谷八つ、峰八つを渡るほどだという。そこで、素箋鳴尊は稲田姫を妻にする約束を老夫婦と交わし、大蛇を退治することにした。老夫婦に造らせた濃い酒を、八岐大蛇に飲ませ、大蛇が酔って寝たところを切り殺した。その時、尾の中から出てきた太刀が、草薙の剣で、尊は天照大神にこのことを報告し太刀を献上した。(『古事記』『日本書紀』)
【国引き】 素箋嶋尊の子孫にあたる八束水臣津野命は、小さい国土の出雲国を大きくしようと、朝鮮半島や北陸地方の一部に太い綱をかけ、「国来、国来」と言って引っ張り、出雲国に縫い合わせた。
 それが今の日御碕、地蔵崎などで、命がこの仕事に用いた太い綱が薗の長浜(大社町・出雲市)、弓ヶ浜半島(鳥取県米子市・境港市)であり、つなぎ止めるための杭は、三瓶山、大山であったという。 また、大仕事を終えた命が、持っていた杖を杜につき立て、「おえ」と言ったことから、この地方が「意宇」の地名で呼ばれるようになったのだという。(『出雲国風土記』)
【国譲り】
 大国主命が、治めてきた葦原中国を高天神の神々に譲るという話。 高天原の天照大神の三人日の使者として派遣された武甕槌神は、出雲の稲佐の浜に降り、長い剣を逆さに立て、その上にあぐらをかいて大国主命と国譲りについて交渉した。大国主命は、自分の一存では返事ができないと言って、美保埼で漁をしている我が子の事代主命(恵比寿さん)に判断をまかせた。事代主命は大国主命に団の譲渡を勧めると、乗ってきた船を踏み傾け、呪いの手打ちをした。すると船はたちまち青い柴の垣根に変わり、事代主命はその中に隠れて再び姿を現さなかった。事代主命の弟建御方神は、国譲りに反対したが、武甕槌神との力競べに負け諏訪湖まで逃げて降伏してしまった。そのため武甕槌神は再び大国主命に国譲りについて問うと、大国主命は自分の住まいとして立派な神殿を建ててもらうことと引き換えに国譲りを承諾した。その神殿が出雲大社の始まりだともいわれる
 また、美保神社に伝わる諸手船神事や青紫垣神事は、この国譲り神話とかかわりがあるともいわれる。(『古事記』『日本書紀』)
『出雲国風土記』の四大神と神名火山
 寮良時代、出雲国には実に三百九十九もの神々が鎮座していたという。『出雲国風土記』(七三三年完成)をひもとくと、当時の神々の姿を垣間見ることができる。
●四大神
 三百九十九を数える神々が祀られていたとされる出雲国。その中には、佐太大神・野崎大神・熊野大神・所造天下大神のように、”大神を付けて呼ばれる四大神が登場する。これらが存在する背景には、出雲国内の四地域に、おそらく有力な人々の集団が存在していた歴史を物語っているだろう。
●神名火山
 神名火山とは”神の降る山、神の宿る山“という意味で、自然の中にそそり立つ巨大な山そのものを神の依代として信仰することから生まれた。『出雲国風土記』には、四大神を守り支えるかのように四つの神名火山が登場。その周辺には、今なお神社とともに、数多くの祭祀遺跡が残されている。
【出雲大社の神事】
 大国主命を祀る出雲大社(中世では素箋鳴尊が祭神)。大国主命は国造り・団譲りの大事業を成就し、縁結び・医薬・鳥獣を救うためのまじない・大陸文化の移入など、葦原中国(地上の国)の生活安定や文化の発展に冬くした福の神といわれる。そのため、古代から朝廷や武将の厚い信仰で栄え、江戸時代には神社に仕える「檀所持ち」と呼ばれる人たちが、全国に出かけていき、信仰を広めていったとされている。とりおこなわれる祭事も多く、その数は年間で七十二回にものぼる。
●神在祭
 旧暦十月は、全国の神々が出雲に集まり不在になることから”神無月“と呼ばれる。その理由はよく分からないが、北は下北半島から南は鹿児島県の戸からトカラ列島に至る地域で、十月には神様が出雲へ集まるという伝承が残されているのである。従って出雲では十月は神在月となる。この間、朝山神社(出雲市)、神魂神社(松江市)、出雲大社(大社町)、佐太神社(鹿島町)、万九千神社(斐川町)、多賀神社(松江市)などでは、全国から集まった八百万の神を送迎するため、神在祭と呼ばれる様々な神事をとりおこなう。
 その始まりは、旧暦十月十日の夜七時。神々はいずれも海から来るため、出雲大社では”国譲りの聖地“稲佐の浜に斎揚を特設し、多くの信者や神宮が神々の依代(神々の現われる場所・もの)となる榊の大枝を立てて出迎える。そして、出雲大社本殿の両脇にある十九社に入る。この神事を神迎祭という。その後、十九社に宿を取った神々は、神在祭の七日間を過ごす。この期間を出雲の人たちは”お忌みさん“と呼び、歌舞音曲を慎むばかりか、大声を出したり、社殿の近くで話をしたりすることを遠慮するのが習わしだった。神社の周辺は、たくさんの神々が集う神聖な場所だから、その清浄さを汚すことがあってはならないというわけだ。
 こうして行なわれた出雲大社の神在祭は、十月十七日の一回日の「神等去出祭」の神事と、十月二十六日の二回目の「神等去出祭」の神事をもって終わりを告げる。
 また、佐太神社でもほぼ同じ時期に神在祭を行う。出雲大社とはまた異なった形の神迎えと神送りの神事が厳粛に営まれる。
 さらに、朝山神社や神魂紳社などでも神在祭の神事が行われるが、こうした神社では神々が出雲大社あるいは佐太神社へ行くとき、立ち寄って行くという伝承もある。お忌みさんの時期は出雲地方のあちらこちらの地域で、神々が活発に活動しているのである。
 神々がそれぞれの国へ向け旅立った後、出雲の地には本格的な冬が訪れる。