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雪舟
日本美術史上に不滅の足跡をとどめる雪丹は生涯放浪を続け、生々流転の生きざまを活力に力強く緊張感あふれる独自の芸術を次々と生みだしました。生まれは備中(岡山県総社市)ですが、益田との因縁は浅くありません。京や中国で絵の修行を重ね、当代一流の画家として認められていた雪舟が初めて益田を訪れたのは、文明10年(1478)ごろ。益田七尾城主・益田兼蕘の招きに応じたもので、崇観寺(現在の医光寺)の住職として滞在、この間、「益田兼蕘寿像」「花鳥図屏風」「山寺図」などの傑作を描くかたわら、医光寺、萬福寺の作庭も行っています。その後、いったん益田をあとにした雪舟は、美濃などを巡って山口に滞在し、明応8年(1499)ごろ益田に戻ってきます。そして東光寺に庵を結び、永正3年(1506)そこで87歳の生涯を閉じました。
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