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萬福寺
もとは安福寺と呼ばれ、七堂伽藍を備えた天台宗の大寺として栄えていましたが、万寿3年(10260の大津波で一瞬にして流出してしまいました。その後は小庵が建てられ細々と寺号を保っていましたが、正和2年(1313)、時宗の道場として再興され、さらに応安7年(1374)に益田氏11代の兼見が現在地に移し、寺号も萬福寺と改め、益田氏の菩提寺として発展するようになりました。雪舟の手になる庭園は、池泉回遊式鑑賞式庭園で、医光寺のものが武家様式であるのに対し、寺院様式と呼ばれる手法で作庭されています。奥にゆるやかな築山を横たえ、その中腹に石組みを築き、その下に池を掘った構成で、中央の小高い石組みの集団が主調をなし、曼陀羅(悟りの境地)に通じる仏教の世界観が表現されているといわれています。作庭以来幾多の変遷を経てきましたが、一連の石の枠組みは作庭時のまま残り、安定した石の据え方、巧みな地割りなど非凡な作庭家でもあった雲丹の面目をよく伝えています。鎌倉時代の様式を残す本堂は国指定の重要文化財。荘重な威厳を持つ七間四面の九重造り単層建築です。鎌倉時代に描かれた国指定重要文化財「絹本着色二河白道図」、県指定文化財「書院襖絵三十二面」、市指定文化財「流仏三体像」など数多くの寺宝も見ものです。
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