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古代出雲王国の謎を知る生証人たち 

■荒神谷遺跡(斐川町)(国史跡)
 昭和五十九年(1984)、斐川町神庭で狭い各間に整然と並んだ弥生時代の鋼剣が姿を現した。それまで全国で出土していた鋼剣の総数約300本を越す358本もの鋼剣が、一カ所から出土したのだ。さらに翌年、そこからわずか七メートル離れた場所で、銅鐸六個、銅矛十六本が出土。銅鐸と鋼矛は異なる文化圏に属し、同じ場所からは出土しないという通説をくつがえしたのである。
 この発見は、古代史や考古学界に大きな波紋を投げかけ、「大量の青銅器がどこで作られ、誰が何のために埋めたのか。古代出雲の勢力はどんなものだったのか」など、研究者のみならず多くの人たちの関心を集め続けている。
 出土した鋼剣のうち344本には、柄を取り付ける部分に「×」印が刻まれているが、これは荒神各だけの特徴。銅矛の中には、方向を変えながら刃を研ぐことで文様をつけたものや、鋼剣、銅矛ともに朱を塗ったもの、銅鐸の中には、吊り手の形と文様が他に類のないものもあり、出土した青銅器はすべて国宝に指定されている。

■加茂岩倉遺跡(加茂町)(国史跡)
 荒神谷遺跡から南東へ約三キロメートルの谷間から、三十九個もの弥生時代の銅鐸が見つかったのは、平成八年(1996)荒神谷遺跡の大発見から十二年後のことだ。一カ所からの出土数では全国最多となリ、またしても古代出雲がクローズアップされることとなったのである。発見のきっかけとなった農道工事の際に、銅鐸が埋められていた穴の大半は壊れてしまったが、推定で二メートル四方、深さ四〇センチほどのところに、身を横にし、鰭と呼ばれる部分を立てた状態で並んでいたようだ。
 特に注目すべき点は、大きな銅鐸の中に小さな銅鐸を納めた「入れ子」状態で埋められていたこと。また、トンボ、鹿、四足獣、亀、人の顔が描かれたものや、さらに、荒神谷の鋼剣と同じ「×」印を刻んだものが十二個もあり、二つの遺跡の関係も注目されている。 高度な技術を用いて作られる青銅器は、実用ではなく祭祀の道具として使われた、弥生時代の最も高価な宝器。数個単位で発見されるというそれまでの常識を打ち破り、大量の青銅器がなぜ埋められたのかという謎の解明は、古代出雲の歴史だけでなく、青銅器そのものについての研究にも大いに役立つと期待されている。

■西谷墳墓群(出雲市)(国史跡)
 六基の四隅突出型墳丘墓を中心に、弥生時代後期から古墳時代に作られた古墳群。特に三号墓は、東西約五〇メートル、南北約四〇メートル、高さ約四・五メートルもの大きさがあり、弥生時代墳丘墓としては全国最大級である。
 三号墓には八つの墓穴があり、第一主体と第四主体と呼ばれる大きな墓穴は、この墓の中心人物を葬ったものと思われる。第四主体は、縦六メートル、横四・五メートル、深さ一・四メートルの墓穴で、ここに置かれた木の棺の底には一面に朱が敷かれ、鉄剣やネックレスにしたガラス製管玉が出土。また、墓壙の周囲からは、三〇〜四〇センチの太さの柱を立てた穴が見つかり、埋葬した後の墓上には、施設を建てたと考えられる。そして、出土した約二百個の多量の土器は、壷とそれを載せる台、盃形の土器の三点セットが基本となっており、中には、吉備地方(岡山県)や北陸・丹後地方のものも含まれている。
 西谷墳墓群が教えてくれるのは、二世紀後半ごろ、大規模な墓を造ることができ、政治的交流のあった吉備や丹後・北陸の人たちと、墓上で盛大に葬儀の酒宴を催すだけの権力を持っていたこの地の大首長の存在なのである。
【四隅突出型墳丘墓】
 四角形の墳丘の四隅が飛び出したヒトデのような形と、墳丘に貼り付けた貼石や裾に列石を整然と並べるのが特徴で、古墳時代より古い弥生時代後期に造られた墓。山陰地方に集中し北陸地方まで見られるが、貼石があるのは出雲を中心とした山陰地方だけの特徴だ。
 なぜ四つの隅が突出しているのかについては、墓の頂上に登るための人間の通路、あるいは、葬られた人の霊魂が通る通路、また、本来の通路としての目的が次第に失われ、同じ形態の墓を造る山陰地方の首長の同盟のシンボルとして形式化していったなど、諸説がある。

■神原神社古墳(加茂町)
 景初三年(二三九)の銘のある銅鏡「三角縁神獣鏡」が出土した古墳。この年は、邪馬台国の女王卑弥呼が魏皇帝から百枚の銅鏡を賜った年であり、卑弥呼、または、その後継者が各地首長に配布したという説もある。古墳には長さ五・八メートルの竪穴式石室があり、鏡以外にも、その内外から鉄の武器や農具などが大量に出土し、出土品は国の重要文化財に指定されている。

■松本古墳群(三刀屋町)(県史跡)
丘の上にある古墳群で、特に一号墳と二号墳と三号墳は県内でも珍しい古墳時代前期の前方後方填である。ともに長さは約五〇メートルで、古墳からは鋼鏡や鉄剣などのほか、木棺の周囲を粘土で覆った粘土郭が出土。三号墳は、その墳丘の形から県内最古級の古墳と考えられる。

■神庭岩船山古墳(斐川町)(県史跡)
出雲地方で最大級の舟形石棺を持つ前方後円墳。古墳時代中期のものと考えられ、復元した全長は約五十六メートル。後円部の頂上に、砂岩をくり抜いて造った、長さ二・七メートル、幅一メートルの大きな舟形石棺の蓋右がある。墳丘から円筒埴輪の破片も発見されている。

■大念寺古墳(出雲市)(国史跡)
六世紀後半ごろのもので、県内最大の前方後円墳は全長九十二メートル以上ある。全長十三メートルの横穴式石室の中に置かれた家形石棺は、長さ三・三メートル、幅一・七メートル、高さ一・九メートルの横口を持つ日本最大のもの。

■上塩治築山古墳(出雲市)(国史跡)
直径四十メートル以上の円墳と思われ、六世紀終わりごろの古墳としては日本を代表するものの一つ。内部には、全長十四・六メートルの切石造りの横穴式石室があり、その中には家形石棺が二基置かれている。金銅製冠、銀環、玉類、円頭大刀、槍、馬具.類など、豊富な副葬品が出土している。

■宝塚古墳(出雲市)(国史跡)
別名「一保塚」とも呼ばれ、六世紀終わりごろのものと推定。切石造りの横穴式石室の内部には横口式家形石棺が置かれている。現在では盛土がほとんどなく、石室の天井右が一部露出している。

■地蔵山古墳(出雲市)(国史跡)
 壁と天井が、それぞれ一枚の切石で作られた全長九メートルの横穴式石室(県内最大の切石造り)は、七世紀前半のものと推定。一辺約十五メートル、高さ五メートルの方墳と考えられている。石室に置かれた横口式石棺内には、現在、地蔵尊が祀られている。
  
 
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