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| ■高津柿本神社 |
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眼下に高津川、はるかに日本海を望む高角山の頂にある碑社。鴨島が海中に没して、その尊像が松崎に流れ着き、一旦そこに社殿が再建されましたが、廷宝9年(1681)、津和野藩主の亀井氏が水難を案じて高津城のあった現在地に移転させ今日に至っています。松の老樹に囲まれた春日造りの本殿、宝物殿は正一位の神社にふさわしい風格を見せ、万葉随一の歌人を偲ぶ参拝客は一年中後を絶ちません。
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| ■万葉公園 |
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高津柿本神社の境内一帯を中心に広がる県立都市公園。園内にある万葉植物薗には、万葉集に登場する数百種類の植物のうち、植栽が可能な153種が植えられ、それらを読みこんだ歌が側に掛けられており、万葉の歌と自然を鑑賞しながら散策を楽しむことができます。また、海藻など栽培できないものや開花時期が短く鑑賞できにくいものは、標本や写真を多目的休息所に展示してあります。多目的休息所にはそのほか人麿や万葉集に関する資料も数多く展示して在ります。園内には、石見神楽など郷土芸能を上演するための和風野外音楽堂や、わんばくトリムコースもあり、散策コースとしてだけでなく、参加するレジャーの場としても人気を集めています。
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| ■鴨島展望地 |
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鴨島は、かつて益田高津の沖合に浮かんでいた小さな島で、万寿3年(1026)の大津波によって水没したと伝えられていますが、この鴨島こそ、柿本人麿終焉の地と考えられています。鴨島展望地は、今はない鴨島を望む海岸で「人麿の歿した日本海を一望できます。
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| ■松崎人麿碑 |
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柿本人塵は高津沖の鴨島で殺し、神亀年間(724〜728)、そこに人磨を祀る禅社が創建されました。そして鴨島が海中に没したとき、その尊橡が松崎に流れ着き、地元の人々がそこに社殿を再建しました。この由来を後世に残そうと、文化8年(1811)、藤原持豊が由来を記した碑を建立しました。
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| ■戸田柿本神社 |
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のどかな田園風景が続く益田市郊外の戸田にある神社。代々、語り部(文字のない時代に、古辞や伝説を口伝する投目)であった綾部家50代目の子孫が残り、今も社家を守っています。小高い丘の中腹にある社殿はうっそうとした森に囲まれ、樹々から漏れる光を受けて、一種神秘的な雰囲気を漂わせています。
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| ■人麿遺髪塚 |
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人麿生誕の地として最も重要視されている戸田の柿本神社の近く、綾部家住宅の横にあり、人麿の遺髪を祀ってあります。
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