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まず出雲市から眺めてみますと、何といっても別所町にある「鰐淵寺」(明治維新まで出雲大社の別当寺の座にあった古刹)です。
ここには弁慶が学僧時代に修行していたとされるだけに、
書道のために硯の水を得た「弁慶硯の水の井戸」(弁慶は字が非常に上手く、頼朝に出した腰越状は弁慶が代筆したという説がある)、
彼自身が描いたとされる「自画像」(表紙ページに掲載)、
彼が大山寺から一夜のうちに運んだという「大日寺の釣鐘」(国の重要文化財に指定…県立博物館に移管)、
「負い櫃」(普通の櫃は木製で修行僧が旅する際の必需品で背中に負って歩いたもの、鰐淵寺に残っているものは鉄製の重いものです…弁慶が大きな男であったと想像できます)、
袂にいれていたという「弁慶袂の石」があります。
斐川郡に目を転じますと、大社町謡堪には「石臼」というところがありますが、これも弁慶が重石に持ってきた石臼を置いたからついた地名だといわれています。
また出雲市武志町には弁慶のお母さんの「弁吉女の墓」が、鶴原さんという個人のお宅の畑の中にあります。
次に八束郡ですが、島根町瀬崎には「弁慶の背丈」という岩の裂け目がありました。
縱が4.5m、幅が1mぐらいあり、弁慶がここで背の高さを測ったといわれていました。
しかし昭和48年の漁港整備のおり埋められ今はありません。
八雲村熊野にある「熊野大社」は出雲一の宮とされ、格式の高いお宮ですが、
別伝では、ここの別当が「弁吉のお父さんである弁斎の出身地」とされています。
宍道町佐々布上には「弁慶の飛礫」なる石があり、大晦日の丑の刻になると金色の鶏が出て時を作り、さらに棒でたたくと金時になると伝えています。
玉湯町玉造の岩屋寺古墳の頂上には「弁慶の硯」があり、
同町柳井の国道九号線から1キロばかり北に入った、福間さんの家の庭先には「弁慶岩」があります。
これは弁慶が下駄にはまった石を蹴り上げたらそこに落ちたからだそうです。
さらに柳井川の上流には、弁慶が岩を蹴ったとき、勢い余ってひざをついてできた「膝つき窪」というところがあります。
安来市では、まず「清水寺」(千四百余年の歴史を持つ天台宗の古刹)に弁慶が一息に登った「一息坂」があり、
平成3年の台風19号でなくなったけれど、それまで「弁慶の捻り桜」がのこされていました。
これは鰐淵寺から使いに行った弁慶が返事を待つ間、退屈しのぎに桜を捻ったものだとされています。
また西松井町にある「出雲路幸神社」には、
「弁慶の腰掛け岩」とか、今はなくなりましたが、以前はお母さんが夫となる山伏と出会ったとされる「逢初川」がありました。
県都である松江市には多くの関連地が見られます。
長海町にはお母さんを祀った「弁吉女霊社」のほかに「弁慶生湯の井戸」「弁慶の屋敷森」「弁慶の立て岩」がありました。
この岩の大きさは高さ約2m、幅1.6mくらいです。
また野原町には子ども時代の弁慶が流された「弁慶島」(国土地理院の地図にも記載)が中海の中に浮かび、
今はありませんが、弁慶島から陸に渡ろうとした彼が、
「よいしょっ」とばかりに対岸に生えていた萱を握ったところから名がついたという「弁慶の握り萱」がありました。
枕木町には、彼の修行地として知られる「枕木山」と「華蔵寺」があり、
福原町には、同様に「澄水寺」が存在しています。
そして付近の虫野神社裏には、ここにも「弁慶の立て岩」が残っています。
高さは約10mはあろうかという大きなものです。
佐草町の「八重垣神社」では、お母さんが良縁を占ったら「七浦の潮を汲み、枕木山の薬師に参詣し、願掛けをしたら良縁に恵まれる」という結果がでたというのです。
また、竹矢町には「弁慶の足跡」があります。
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