船岡町観光…国内外の珍しい竹と笹200品種が生い茂る、国内有数の本格的な「竹林公園」です
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竹林公園

竹の里「船岡町」
全面積の83.3%を、山林が占める船岡町。その裾野には、ふっくらと竹林が広がり、大正の頃、「鳥取市場の筍の相場は、船岡で採れる孫六孟宗の出方で決まる」といわれ、尊重されたほどでした。サラサラと竹の笑い声する竹林浴の里の、個性的な町作づくりを展開しています。
竹林公園
わが国に自生、または導入されている夕ケ、ササ類は分類学上700種以上にも及んでいます。ここ竹林公園には、そのうち国内外の珍しいタケ、ササ200品種が生い茂る国内有数の本格的な竹の生態園です。国内有数の本格的な公園とあって、薄緑色の淡い光りにつつまれていると、竹の放つ精霊で、竹林浴を満喫できます。友達同士、家族連れ、バンプーシャワーあふれるスぺ−スで自然体験してみませんか。
約7ヘクタールの扇状地に広がる園内には、庭園風な植栽をあしらったタケとササの生態園をはじめ、管理棟、バーベキューのできる炊事棟のほか、地元で採れた野趣あふれる食材でもてなす「夢竹」、アウトドア派にはもってこいのバンガロー、テントも完備されています。また、親水公園には大賀ハス、ショウブあじさいと、四季折々に彩りを変える景観も楽しみとなっています。竹は強く、美しい。つややかに、たおやかに、そしてしたたかに息づく。また、竹は古来から薬効を数多くもつと広く知られ、ひととのつながりの深い植物です。
●宿泊料金<バンガロー>
 1泊・1練(定員5名)につき 9,000円
 *宿泊時間は午後3暗から翌朝9時まで
 休憩・1練につき 2,000円
 *午前10暗から午後2暗まで
 【設備】8畳、8畳の台所、トイレ、シャワー
●園内施設利用料
 <炊事練>(かまど8口、水道完備)
 1基につき1,000円
 *テーブル4基設置…バーベキューなど可能
 <キャンプ場>(テントサイト11張)要予約
 テントサイト 300円
 *キャンプ場利用者のためのコインシャワー
 コインシャワー1回 200円
竹林庵
たおやかに流れるバンブーシャワーを浴びながらのお食事はいかがですか。地元の旬の食材を心を尽くしてお出しいたします。豊かな風土に育まれた四季折々の食材を、工夫を凝らしての手作り調理。採れたての山菜や野菜、そしてもちろんタケノコなど、山の幸であふれています。くつろぎのひとときにもご利用ください。
営業時間→午前11:00〜午後4:00(水曜日定休)
お問い合わせ→TEL/FAX(0858)73−6025
竹細工
竹林に恵まれた船岡町では、竹の素晴らしい特長を知り尽くして、数々の竹細工を生産しています。たっぷりとしなる柔軟さと、手のひらに伝わる温かみ、そして、すがすがしい印象は、どんな素材もかなうことはないでしょう。洋風が主流となつた家にあっても、センス良く置かれた花器や照明などに生まれ変わり、今の時代に、心のゆとりを演出しています。
印染
縁起物だけに派手に染めるのが腕のみせどころである。もち米とぬかで作ったのりを筒紙を使って文字や絵の輪郭に塗る。のりが乾いたら、赤や青緑、黄など鮮やかな染料を大小のハケでていねいに塗る。神社や五月のぼり、のれん、旗などは全国から注文がある。
エリンギイ
欧州・中央アジア原産で、1993年ごろから日本でも栽培が始まった新しいキノコ。マツタケに似た食感で、鍋、中華料理などに合う食材とじて重宝がられている。そのまま焼いて食べても、ほんのりとした甘さがあって野趣の味わいがある。健康にも良いと注目を集め、生産量も年々増加している。
大江の滝
大江川の上流、本谷川源流部の左岸にある。高さ16メートルで5段の小滝より流れ落ちる幕布の光景は壮観である。滝の真下には、6畳ほどの一枚岩の滝壷がある。
天満山公園
200メートルの小高い丘にあり、古くから桜の名所として親しまれている。春には2000本余りある桜の木が一斉に咲き誇る。公園として整備され、遊歩道も取り付けられて町民の憩いの場となっている。
御幸祭
下船岡神社の大祭。榊を先頭に奴、御幟、御輿など約300人が繰り出或榊と御輿の宮入りの行列は勇壮、圧巻である。榊の練り方や獅子舞は全国でも例を見ない独創的なものである。例祭は3年に1回5月3日に行われる。
歴史探訪コース
船岡町には、神社、寺院などの文化遺産が数多く残っている。船岡駅前の道を歩くと白壁と古いわら葺きの門が見えてくるのが、光賢寺の山門である。八上郡12郷のひとつ大江郷に、奈良・平安時代に有力神社として栄えた大江神社は、平安末期の永万元年(1165)頃の記録には「因幡二の宮」の地位にあったようだ。西橋寺には、あの左甚五郎作と伝られる見事な彫刻が残されるなど歴史ロマンりあふれる宝庫のまちでもある。
下船岡神社
寛永4年(1627)、藩主池田光政の家老丹羽山城がこの他の領主であった時、祭神の御霊代弓2張鏡1面を寄付。さらに御輿渡御の神事を行うなど崇敬が篤かった。藩主交替に伴い、家老乾氏の千石在所となった後、鳥取市樗谿神社の権現祭りの形式を加え、ますます盛大になった。
西橋寺
浄土宗の古剃である。天正年間(1573〜1591)法誉寂湛が一宇を造立。境内には木猿、西橋寺地蔵、六林躰蔵などが祀られている。本堂正面向拝の上には、左甚五郎作と伝えられている「波の兎」の彫刻がほどこされている。
鳥取藩家老乾氏の墓地
乾氏は鳥取池田家譜代の重臣で、着座家として代々家老をつとめた。国替の時には2代乾直幾が家老として藩主光仲に従って鳥取に移り、当時3歳の光仲に替わって藩政を取り仕切り、禄高2500石(後に3500石)を与えられた。延宝3年(1675)に下船岡村に下された年貢免状には村高1154石余が乾氏の知行とされており、乾氏は下船岡村に陣屋をもつことを許され、町政の一部を行った。乾氏代々でも6代長孝は学問、武芸に秀でて名家老と称されていた。着座家は菩提寺を持っていたが、乾氏も下船岡に乾徳山西来寺があった。現在、寺はないが、寺跡のそばに乾家墓地がある。
光福寺
船岡光賢寺の三世教栄が自らの隠居場として。承応元年(1652)に建立したものとされている。享保19年(1734)から97年間にわたり整備し本堂が再建されて今日にいたっている。
能引寺
臨済宗の古剃である。曽我物語で知られる曽我十郎祐成の没後、愛妾虎女は尼となり諸国を行脚。大江の奥御舟谷に身を隠し、現在の能引寺付近に草庵を建て祐成の菩提を弔った。念誦と一石一字の法華経の書写に専念した。後年、伯父という忍山和尚が比叡山から来て虎女の供養のため、将軍実朝に直訴じて貞応元年(1222)寺を建立し、寺号を「虎石山能引寺」とした。
多宝寺
銀本山万照寺として開創する。焼失したが、慶長3年(1598)に再興、万照山多宝寺と改められる。鐘楼の梵鐘は県文化財クラスと称される。製造年代が明記(室町中期)してある中で、県下で5番目に古い梵鐘である。
光賢寺
弘治元年(1555)に建立され、本堂とともに山門も作られた。本堂は度々、火災で消失したが山門は難を免れ創建当時の由緒ある建造物である。真言宗古寺を再興して浄土真宗本願寺派末寺となる。本尊は阿弥陀如来木像。
大江神社
因幡国二の宮と言われ、伝説によれば大国主命が出雲からこの村に来て財原に農耕の技を教え、土地を拓いた、とされる。恩恵を受けた村人が神と崇め、財宝の神であると小社を建立して財原大明神として祀った。
隼神社
武内宿禰が八東郡郡家村(隼)に館を構え、智頭郡夷住山に住む賊徒を征伐し、郡家村に社殿を建立。隼25社明神と称した。これが隼神社である。境内には武内宿禰が手植えしたという欅の巨木がある。
赤倉神社
創建は不祥である。享保4年(1719)に、林権省輔が大江神社より社を再建する。天照大御神を主神として、大山祇神、岡象女神、保食神を合祀している。

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