郡家町観光…花御所は「日本一の甘柿」として全国的にも高く評価されています
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小耶馬渓
澄んだ水が流れ続ける。せせらぎの音にゆられていると、ふと、時の流れさえ忘れてしまう。ずっと前から止まることなく流れていたと思うと、どことなく神秘に満ちてくるから不思議だ。
安徳天皇伝説の里
安徳伝説には大きく分けて二つあって、一つは合戦の後、海底で既に亡くなられていたという説で、もう一つは、運良く生き延びられてどこかの地で暮らされていたという説です。後者の生き延びられたという説は、西日本を中心として全国に約二〇箇所あって、郡家町での伝説は、その内の一つということになります。
姫路地区には、安徳天皇をはじめ、二位の尼や官女の墓であると伝えられている五輪塔群や、安徳天皇を祭神とする上岡田神社があって、昔からこの地区の人々は、この伝承を信じ、代々手厚くまつってきているのです。また、この地区周辺は私都谷(きさいちだに)と呼ばれていますが、これは安徳天皇がここで、「この地は私(ひそ)かな地だ、私の都だ。」と言われたことから称するようになったとされていて、安徳伝説がより現実味を帯びてくるようにも思えます。
実は、この郡家町のなかでも二通りの話が伝えられているんです。一説は、壇ノ浦の合戦に破れた後、安徳天皇と二位の尼はうまく追っ手から逃げ果せて、因州賀露の浦に着いた。その時運良く通りがかったある僧侶が、彼らにもっと安全な地を与えるために姫路にお連れし、その後、二年間過ごされた後に急に発病され、齢一〇歳で亡くなられたという説。
もう一つは、壇ノ浦の合戦の前年、一の谷合戦に敗れた平家方は安徳天皇の替え玉をたてて屋島に送り、本当の天皇は二位の尼と一緒に平家の武将に守られながら戦場を離れて姫路に来られ、一年の滞在の後、山遊び中に亡くなられたという説です。
花御所の里
花御所柿は、約200年前、郡家町花の五郎助翁が大和の国から柿の枝を1本持ち帰り、接木したのが始まりだといわれています。今では「日本一の甘柿」として全国的に高く評価され進物用に使われています。夕暮れせまる秋の日に、夕日を浴びてさらに紅に染まる柿の実は、まさに壮観です。
二十世紀梨
鳥取県を代表する二十世紀梨。ここ郡家町でも数多く生産されています。甘くてみずみずしい果肉は根強い人気があります。
有楽椿
福地(ふくち)の大樹寺境内にあり、樹齢約400年で、樹高8.7m枝は10.5m、幹まわり1.85mあり、11月下旬から4月上旬まで淡いピンク色の優雅な花が咲きます
オオイチョウ
西御門地区にあり、樹高約30m、周囲12mの大きさで、県の天然記念物に指定されています。
姫路公園「安徳の里
大空と澄んだ空気の中で1週間の疲れもリフレッシュ!子どもから、お年寄りまで楽しめる自然公園。周囲とのとょ上がよくとれた木造の宿泊・休憩施設「私都荘」。家族と気の合った仲間と、またサークルで体を動かした後、おしゃべりトーキング。
青龍寺仏像
青龍寺のさつきの石段を上ったところの宝物館に納められている持国天立像は、東方の守護神、多聞天立像(毘沙門天)は、北方の守護神で災難よけの神です。いずれも鎌倉時代の寄木造りの極彩色で高さが台座共に1mの大きさです。
土師百井廃寺跡
霊石山(れいせきぎん)の山麓、郡家盆地を一望に眺める景勝地に、白鳳時代、慈住寺という大加藍が建てられ南大門、三重塔、_金堂、講堂をどがあったとみられ、国の史跡に指定されています。
亀石
羽柴秀吉の鳥取城攻めのとき近郷の諸城がことごとく落城し、この山中一帯に浪士たちと衆徒3,000余騎が立寵もり防戦したが敗れた。戦いに敗れた名だたる武将が従者3名と共にこの地で非業の最期をとげ、その霊が宿る「血染の霊石」という伝承がある。
柿酢
町の特産物「花御所柿」から生まれた、自然の食酢。丹念に仕上げられた「柿酢」は高血圧、二日酔、疲労回復をど効能も多く、若い方からお年寄りまで、健康食品として多くの方に愛されています。
因久山焼
因幡名産で、久能寺(くのおじ)が窯元であることから名付けられました。徳川時代の鳥取池田藩の御用窯として愛用され、わら灰等の粕薬で独特を陶器を作成されています。白と黒の涜れ模様が主で茶器・花器をど茶華道用品は実に格調高いものです。

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