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  津和野川の清流沿いにひっそりとたたずむ津和野。江戸時代の面影の面影を色濃くとどめる武家屋敷、小さな掘割に群れ遊ぶ鯉…津和野には私たち日本人が忘れ去ってしまった"心のふるさと"があります。  
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《 山陰の小京都、歴史と文化にに彩られた津和野にようこそ! 》
 
東は青野山、西は城山がそびえる山すそに抱かれるように津和野の町は城下町七百年の歴史を秘めひっそりとたたずんでいます。津和野は四万三千石の城下町でしたが、明泊以来、士族の大半は東京にあるいは北海道に故郷を捨てて出て行きました。侍屋敷の跡は面影もありませんが、民俗資料館となっている藩校、養老館跡と多胡家老の門構えが向かい合う殿町の辺り、近代化の波をかぶることもなく立ち並ぶ石州瓦の町家や土蔵の家並みに城下町らしい落ち着いたたたずまいが今も見られます。殿町の角にはカトリック教会の堂が立ち、旧幕時代の由緒ある寺々は、明治になってからの切支丹迫害の歴史を刻む乙女峠のマリア堂とともに山すそに連なっています。小さな町は若者がレンタサイクルで走り回るのにちょうどよい広さと、静けさを持っています。
「つわぶきの里」から生まれたという地名の響き、花ショウブが咲き誇る掘割に群れ泳ぐコイの姿、何一つ建物は残っていませんが、絶壁のような石垣を持つ珍しい山城跡のある小さな町、それが明治の傑出した文豪森鴎外、啓蒙学者西周の故郷という由緒と絡まって、小さくまとまった空間に、歴史と文化の蓄積を目の当たりに見せてくれます。そしてこのことが都市化と開発で全国が画一化しつつある今日、人々にこの町を「日本のふるさと」と呼ばせているのではないでしょうか。永仁3年(1295)築城以来、明治7年(1874)に解体されるまで使用期問の長いことで知られる津和野城跡、森鴎外旧宅、西周旧居の国指定の文化財をはじめ明治の変革期に輝かしい人材を輩出した養老館跡、わが国唯一の流鏑馬馬場で知られる鷲原八幡宮、日本五大稲荷に数えられる太鼓谷稲成(祈願成就から全国唯一荷ではなく成)など津和野の町は歴史の厚みを感じさせるみどころにあふれています。

津和野物語…吉見、坂崎、亀井氏七百年の歴史を秘めた三本松城、小藩ながら維新には一際光芒を放った !

ツワブキの生い茂る野といわれる津和野は最初の城主吉見頼行(よしみよりゆき)の鎌倉時代末期の永仁3年(1295)三本松城(津和野城)築城から城下町としての歴史が始まります。吉見頼行は清和源氏の流れをくむ御家人で、弘安5年(1282)元寇に備え、能登半島から派遣されました。頼行は木曽野(現津和野町木部)に居館を構え能濃郷(野々郷)の地頭に補任されました。ここにおよそ13年間居住し、その間に御嶽、猪の丸、茶臼、徳長の四城を築いて防備を固めるとともに、本城構築の構想を練りました。
 現在はこの吉見氏の邸跡は一面の水田となり、昔の面影を見ることはできませんが、今でも「吉見の池」という泉が樫の大木の根元にあり、畳一枚ほどの池には清水がわいています。これがかつての吉見氏の飲料水で、吉見氏が津和野に移った後も池を守っていたという池守氏(現在は池森となっています)が、毎年正月には若水としてこの水を津和野へ運んで献上したといわれています。
吉見氏が鎌倉時代末期に能濃地方の中心地である津和野を拠点としてここに城を構えることは当然の成行きです。頼行は当時一本松と称した標高367メートルの山上に縄張りを行い、大手を西方喜時雨(きじゆう)に、山の背の津和野を搦手(からめて)として、30年の歳月をかけて山頂に城塞を構築し、正中元年(1324)二代頼直の代に完成しました。吉見氏は守護大名の雄、山口の大内氏と結び、大内義隆の姉、大宮姫を夫人に迎えた11代吉見正頼は大内氏の家老を務めます。天文23年(1554)陶晴賢が主君大内義隆を討った折、義弟の仇討ちのため正頼は挙兵しました。陶晴賢は自ら吉見討伐を決意し、三本松城の南方大蔭山(後に陶が丘)に陣を敷き二月から八月までの間、激戦を繰り返しました。陶軍の渡河を防いだ激戦地は今も「戦」の地名を残しています。陶晴賢は翌弘治元年(1555)厳島の合戦において、毛利元就によって滅ぼされます。以後吉見氏は毛利氏の武将として、西石見二郡と長門阿武郡を所領しますが、慶長5年(1600)関ケ原の戦いにおいて西軍の敗退により毛利氏と運命を共にしました。かくて清和源氏の涜れをくむ石見吉見氏も14代広行の時、在城二百七十三年の城を明け渡すことになるのです。
吉見氏の萩へ退転後、慶長6年(1601)十月、備前宇喜多氏の出である坂崎出羽守直盛が津和野三万石の領主として入部します。坂崎の治世はわずか16年ですが、この間に彼が成し遂げた津和野城の大改築と城下町の形成は特筆すべき業績です。この大事業のほかに新田を開発し、楮苗五万本を領内に栽培するなど殖産に力を入れ、これが後に亀井氏の治世下で実を結び、製紙業によって藩の財政を潤すことになるのです。また津和野川を農業用水に利用するため潅漑用水路を建設するなどの業績を残しました。
坂崎出羽守の名を後世に有名にしたのは、大坂夏の陣における千姫事件です。秀頼夫人千姫(家康の孫娘)を救出した者に姫を嫁にやるという家康の命令の下に、出羽守は大坂城の猛火の中にやけどを負いながらも千姫を救出しました。しかし、秀忠の命により本多忠刻に嫁ぐ姫の乗物を奪おうとして成らず、柳生宗矩の説得によって自刃するという悲劇の結末です。また千姫を京都の公家の元に嫁がせるための世話を家康から頼まれ、それを断られたのを不服に思い、姫の輿を奪おうとしましたが、これを柳生が阻止して坂崎は切腹、家は断絶という一説もあります。
覚皇山永明寺の墓は没後十三回忌に直盛の養女を妻とした堀平吉によって建てられました。「空一峰玄秀大居士=くういっぽうげんしゅうだいこじ」「坂井出羽守」と刻まれています。坂井としたのは徳川家をはばかって変名したという説もありますが、はばかるのは徳川方にあったのかもしれません。
坂崎氏滅亡後、元和3年(1617)七月、因州鹿野城主亀井豊前守政矩が移封されます。政矩の父、茲矩(こせれのり)は山中鹿介とは義兄弟の関係になり、主家尼子再興に努力しましたが果たせませんでした。政矩が津和野に配置されたのは、幕府が尼子との仇敵関係を利用して毛利氏への目付役にしようとする意図と、一方松江、浜田両親藩との緩衝地帯の役割を持たせるためでした。四万三千石の藩政の基調は産業間発と教育の振興にありました。特に家老多胡主水真益(たごもんどさねます)は殖産興業に力を尽くし今も主水畑の名をとどめた田が残っています。太宰春台(だざいしゅんだい)は『経済録』の中に「石州の津和野侯は、四万石余の禄なるが、板紙を製出して、これを占めて売る故に、十五万石の禄に比す。」といっています。
弟の多胡真蔭(さねかげ)は江戸家老として勤めました。歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』に出る桃井若狭之介(ももいわかさのすけ)は亀井茲親(これちか)を、加古川本蔵(かこがわほんぞう)は真蔭(外記=げき))をモデルとしています。茲親は元禄11年(1698)に馳走役を務めています。茲親の刃傷未遂と浅野内匠頭の刃傷事件をからめてできたこの芝居で多胡外記が吉良へ進物を持参する場面は二段目にあり、進物に持参したといわれる「源氏巻」は津和野の銘菓になっています。
八代矩賢(のりかた)は藩校養老館を創設して学問を奨励し、さらに11代茲監(これみ)は機構を改革して人材の育成に力を注ぎ、後年、国学の福羽美静(よししず)、洋学の西周、文豪森鴎外など輝かしい人材を輩出しました。維新に入り明治2年(1869)藩籍奉還を経て、同4年の廃藩置県の布告で亀井氏11代の津和野藩支配は終止符が打たれますが、この間、藩主茲監は他藩に先駆けて廃藩を建白し王政復古を唱え、福羽美静とともに維新政府の枢要な職にあって維新の大業遂行に参画したことは有名です。

森鴎外…「舞姫」「雁」など数多くの傑作を残す。軍医総監でもあった明治の文豪 !

森鴎外は森静泰(せいたい)、ミ子(ね)の長男として石見国津和野城下の町田村横堀に生まれました。
森家は代々津和野藩主亀井氏の典医(藩主一家の医者)でありました。
鴎外の幼時は明治維新の前後に当たり、国の内外に難問題が山積して、いつ何が起こるかわからない時勢でした。5歳の年には、徳川幕府が津和野城下と山一つ隔てた長州(山口県)の毛利氏を討つため大軍を進めました。この戦いで幕軍は敗れ、やがて徳川幕府も倒れて王政復古を迎えます。こうした時勢の下で、漢籍を学び、蘭法医であった父から蘭学を学んだ鴎外は、明治5年(1872)11歳の時、父に従って東京に出ます。
東京に出た鴎外は、将来医者になることに決め、親戚の西周の家に寄寓(きぐう)して、進文学社でドイツ語を学び、13歳の明治7年、東京医学校予科に入学します。東京医学校は明治10年に、東京大学医学部と校名を改めます。
明治14年7月、20歳の若さで大学を卒業すると、その年の12月、陸軍に入って軍医になりました。
軍医になって3年目の明治17年6月、陸軍から「陸軍医務取調ノ為」ドイツヘ留学を命ぜられます。
ドイツには足かけ5年居て、明治21年9月、帰国しました。鴎外は留学前からドイツ語に堪能でしたから、留学中も言葉には不自由しませんでした。帰国したその日に、陸軍軍医学校と陸軍大学校の教官になりました。
鴎外という号は、留学時代からものを書く時に使いました。鴎外と聞けば人はすぐに『舞姫』『雁』『高瀬舟』『山椒大夫』『寒山拾得』等の小説を思い浮かべて、小説家だと思うかもしれません。しかし、小説を書くことが本業ではありませんでした。本職はあくまでも陸軍の軍医でありました。積み上げると等身大の高さほどある著作も、昼間は軍医として精励し、家に帰ってからの夜間か、休日を利用して書いたものです。鴎外の文章は高雅で気品に満ちていました。有名な歌人の斎藤茂吉博士は「鴎外先生は五百年に一人出る偉い人だ」と話しています。鴎外は生まれつきも並みの人ではありませんでしたが、それ以上に努力家だったのです。それに人には秘めた病気を持っていました。大学卒業の春に病んだ肋膜炎がやがて慢性の肺結核となり、その病気を抱えてあれほどの仕事をしたのですから、やはり普通の人ではありません。二度の戦役にも出征しました。軍医としての最高位の軍医総監、陸軍省医務局長を10年も務め、医学博士、文学博士でもあり、退官後は没年まで、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)の職にありました。
鴎外は実は偉大な大啓蒙家だったのではないでしようか。留学から帰るとすぐに開始した文学評論は、文学のあり方を示したもので『舞姫』はその一つの見本でした。優れた語学力を駆使して続々と外国の小説、戯曲、医学論文の翻訳をし、医学雑誌、文学雑誌を編集して発行したのも、人々を啓蒙するためで、わが国を一日も早く西欧の国々と肩を並べるようにしたい、そう思って日夜奮闘したのです。
大正11年7月6日、死期の近いことを知った鴎外は、大学以来の親友賀古鶴所(かこつるど)に遺言を口述しました。その中に 「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」とあります。逝去は7月9日の朝、享年61歳でした。
鴎外の墓は東京都三鷹市下連雀の禅林寺墓地と、故郷津和野町の永明寺の境内にあります。墓碑には遺言通り、中村不折(ふせつ)の筆で「森林太郎墓」とだけ記してあります。

 
《 津和野町観光ガイド 》
 
太鼓谷稲成神社
津和野の町から城山の方向を眺めると、朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見える。信者から奉納された1,175本の鳥居がトンネルを作り、その中を300mほど登ると太鼓谷稲成神社がある。安永2年(1773)、津和野七代藩主亀井矩貞が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太鼓谷に京都伏見稲荷を勧請したものである。廃藩後一般庶民の崇敬を集めて次第に信仰圏を広げ、第二次大戦後は津和野の観光客急増もあって、参拝者はふえた。現在では東北の竹駒稲荷、関東の笠間稲荷、近畿の伏見稲荷、九州の祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つに数えられている。一般には稲荷と書くが、ここは全国でただ一つ稲成と書く。稲成としたのは祈願成就のためであるという。祭神は宇迦之御魂大神と伊井諾尊の2神。明治末期に一時衰えたことがあったが、今日では開運厄除の守護神として、中国、四国、九州の全域に信者をもつ。年間の参拝者は100万人を超えるといわれ、県内神社では出雲大社に次いで第2位である。とくに2月の初午祭、春秋の例大祭には遠近の参詣者で町はふくれあがるほど賑わう。拝殿、本殿は暗和44年(1969)に建て直された。境内には郷土関係の資料を集めた宝物殿、椋木潜、佐伯利麿、岡熊臣らの和漢蔵書5,000冊を収めた養老文庫、旧御殿の茶室を復元した茶席半峯亭などがある。
問0856-72-1771(津和野町観光協会)・参拝自由・無休・無料・津和野駅から石見交通バスで10分、津和野高下車、徒歩5分・P15台・津和野町後田409
 
津和野城跡
国の指定史蹟。文永、弘安の役の勲功として、西石見の追補使(地頭職)に任ぜられた吉見頼行公が永仁3年築城に着手したと伝えられている。坂崎出羽守が慶長5年入城後本城の北200mの山頂に磯部丸と称する出丸の築城にかかり、以来明治7年の解城まで使用期間の長いこと塁の構築様式において全国稀に見る豪壮な山上の防塁はその稜角堡とともに著名である。
 
津和野町殿町通り
静かな山懐に抱かれた津和野は、城下町として七百年の伝統を持ち、その面影が昔ながらの街並みに今も息づく古き佳き町。上に石見瓦、下半分がなまこ壁のしっくいの白さもまぶしい土塀が両側に続く殿街通りは、津和野の中でも特に景観に優れ、江戸時代さながらの町並みとなっています。カトリック教会、郡庁跡、藩校養老館跡、家老多胡家表門など数多くの史跡が集まっており、弥栄神社、太鼓谷稲成神社の参道にも通じ、郷土館にも近いこの通りは、津和野のメインストリート。白壁、格子戸の前を流れる堀割に色とりどりの鯉がのどかに泳ぎ、初夏は菖蒲が咲き乱れる津和野ならではの風情は訪れる人々の目を楽しませてくれます。私たち日本人がいつからか忘れ去ってしまった「心のふるさと」が生きている津和野。この街並みは国土庁の「伝統的文化都市環境保存地区」に指定され、町の人々によって大切に守られています。
問0856-72-1771(津和野町観光協会)・ 津和野駅から徒歩10分・津和野町後田殿町
永明寺
吉見・坂崎・亀井と続く歴代藩主の菩提寺。徳川時代には曹洞宗二大叢林の一つで関西唯一の仏法道場として知られ、末寺は石見一円にわたり77寺を擁して曹洞宗の石州本山と呼ばれていた。境内には坂崎出羽守、多胡列記、森鴎外、中村吉蔵らのお墓がある。
問0856-72-0251・730〜17:00・無休・見学無料、展示室100円・津和野駅から徒歩10分・P3台・津和野町後田殿町
 
津和野町郷土館
津和野とその周辺部から、鎌倉時代以来の郷土資料や美術品など約5000点を集めて展示した歴史博物館。西周をはじめ多くの先哲の遺品なども展示されています。
 
津和野町伝統文化館
風土に根付いた芸能行事関連品を数多く展示。展示物…鷺舞・子鷺踊り・つわの踊り・流鏑馬・田植囃子・石見神楽・奴道中など。
問0856-72-1730・8:30〜17:00・無休・320円・(森鴎外旧宅と共通)・津和野駅から石見交通バスで10分、津和野高下車、徒歩5分・P30台・津和野町後田447-10
 
乙女峠マリア聖堂
明治維新後、宗教弾圧を受けた隠れキリシタンの信者たちを追悼するために、乙女峠に建てられた聖堂。ドイツ人神父ネーベルによって開かれ、堂内のステンドグラスには殉教者の物語が描かれています。
問0856-72-0251・見学自由・津和野駅から徒歩15分・P20台・津和野町後田乙女峠
 
津和野カトリック教会
1892年(明治25年)、ビリオン神父は萩からこの殉教の町へ来て布教した。津和野カトリック教会が創立した1931年(昭和6年)前年焼失した教会と幼稚園が再建された。
問0856-72-0251・730〜17:00・無休・見学無料、展示室100円・津和野駅から徒歩10分・P3台・津和野町後田殿町
 
多胡家家門
亀井氏11代渡り其の行政の中心は家老職多胡氏であった。とくに真武は鬼主水と呼ばれ殖産興業に力を尽くし産業の基礎を築いた、真武は仮名手本忠臣蔵における加古川本蔵のモデルといわれる。
問0856-72-1771(津和野町観光協会)・見学自由・津和野駅から徒歩10分・Pなし・津和野町後田殿町
津和野現代フォトギャラリー
日夜変貌をとげている国内外の様々な出来事を報道写真家「桑原史成」の写真を中心に紹介展示。
問0856-72-3171・9:00〜16:45・休(月曜、祝日のばあいは翌日休)・200円・津和野駅からすぐ・P3台・津和野町後田71-2
 
安野光雅美術館
津和野町出身で、絵本や風景画など幅広い分野で活躍し、国際アンデルセン賞をはじめとした数多くの賞を受賞するなど世界的評価が高い画家安野光雅の作品・資料を約4,000点収蔵し、展示紹介している。館内は本館展示棟と別館学習館から構成。本館展示棟では、安野光雅の多彩な作品を常時展示する。別館学習館はプラネタリウムや図書室なからなる。美術館でありながら科学的な視点も備えた文化教育施設。
問0856-72-4155・9:00〜16:45・無休・600円・(森鴎外旧宅と共通)・津和野駅からすぐ・P駅前町営駐車場利用(有料)・津和野町後田イ60-1
 
鷺舞神事
鷺舞は弥栄神社の御神事(7月20日)と御還幸(7月27日)に奉納される神事で、津和野の夏の風物詩として欠かせないもの。白の単衣に紅の縮緬袴、頭に鷺頭をつけた二人の舞い手が、古式そのままの典雅な舞いを披露します。芸能文化の貴重な遺産として学術的にも高く評価され、国の重要無形文化財の指定を受けています。
 
鷲原八幡宮「流鏑馬
津和野城山西南端の麓にある鷲原八幡宮に伝わる流鏑馬神事は4月の第二日曜日、鷲原八幡宮例祭に奉納されます。鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の馬場を模した全長270mの流鏑馬の馬場は、全国でも只ひとつ原型を残す貴重な文化財としての価値も高く、県指定史跡でもあります。桜吹雪の中を勇壮に駆け抜ける流鏑馬は、春の津和野の一大絵巻。城下町の栄華を伝承するこの行事は一見の価値があるものです。
 
森鴎外旧宅
森鴎外は、代々津和野藩の藩医をつとめた家の嫡男として生まれました。陸軍軍医である一方、次々と小説を発表した小説家です。
問0856-72-3210・9:00〜17:00・無休・100円・津和野駅から石見交通バスで10分、鴎外旧居前下車すぐ・P35台(森鴎外記念館駐車場利用)・津和野町町田イ230
 
森鴎外記念館
森鴎外記念館は、独立した鴎外の専門的な記念館としては世界で初めてのもので、国の指定史跡である「森鴎外旧宅」の南側に隣接しています。鴎外の生活や作品等の貴重な資料やマイクロフイルムに収められた約3,000点にものぼる書簡等を備え、数多い鴎外研究者のニーズに応えることが出釆る施設。
問0856-72-3210・9:00〜16:45(旧宅は17:00まで)・休(12〜3月中旬の月曜、祝日の場合は翌日休)・500円・(森鴎外旧宅と共通)・津和野駅から石見交通バスで10分、鴎外旧居前下車すぐ・P35台・津和野町町田イ238
西周旧居
西周は、江戸時代後期、津和野に生まれました。20歳で藩校養老館の教授をつとめたほどの秀才で、幕末、ペリーの浦賀来航を機に脱藩してオランダに留学。帰国後、「万国公法」の翻訳を大成させました。また、明治政府の要職にも任じられたほか、森有礼らと共に明六社をおこして西洋哲学の紹介に努め、明治時代の啓蒙思想家とじて活躍しました。旧居は国の指定史跡となっています。
問0856-72-1771(津和野町観光協会)灯台見学9:00〜17:00まで)・無休・無料・津和野駅から石見交通バスで11分、西旧居前下、徒歩3分・Pなし・津和野町後田
 
津和野温泉なごみの里
青の山・城山などを眺望する大パノラマ温泉が圧巻。温浴施設も充実している。また、地域の食材を使ったレストランやマーケットもある。
問0856-72-4122・売店9:00〜21:00、温泉レストラン10:00〜21:30・無休、温泉は第2、4木曜、レストランは第1,3木曜・入館無料、入浴料500円・津和野駅から石見交通バスで15分、津和野温泉下車すぐ・P109台・津和野町鷲原イ256
 
安蔵寺山
西中国山地国定公園の西端にそびえる山で、標高1,263m。島根県内では一番高い山です。頂上まで全長5.2kmのなだらかな登山道が通じ、子供達れでも気軽に登山や森林浴、バードウォッチングなどが楽しめます。沿道には巨大なブナの原生林が広がり、周囲5m、樹齢600年と推定される島根県一のミズナラの巨木も立っています。山頂から望む瀬戸内海や石鎚山、剣山などの四国の山々の眺めは雄大そのもの。
 
にちはら自然商店
国道187号線沿いにあります。「日原の自然、何でも買えます」をモットーに、わさび、鮎、絹製品、漬物、お茶、お菓子、民芸品、星グッズなどの販売、日原町の観光案内や交通案内などを行っています。店頭で毎日行われる野菜の無人野市も人気。
 
杣の里よこみち
安蔵寺山のふもとにあり、広葉樹林などの自然が残された横道地区は林業が盛ん。その杣人(きこり)たちの経営する体験施設が「柚の里よこみち」。廃校となった小学校の校舎を利用して作られました。宿泊や食事ができるほか、木工加工、炭焼き、清流遊びなども体験でき、また地元の特産品の販売や安蔵寺山登山、キャンプの案内なども行っています。
枕瀬山森林公園
日本最大級の日原天文台と、収容人員250名の枕瀬山キャンプ場を結び、森林公園が広がっています。
日原天文台
町のほぼ中央にある北斗台。ここは日原天文台、天文資料館「ボランの広場」、星と森の科学館など宇宙のロマンを、気軽に実感できる施設が広がるトキメキ・ステージです。日原天文台は一般公開では国内最大級の75cm反射望遠鏡を設置しています。1999年に世界最大の望遠鏡としてハワイ島に完成する東京国立天文台の望遠鏡「すばる」の小型機で、現在日本には二機しかありません。周辺の小ドームには、10〜30cmの望遠鏡4機があり、レンタル式で天体をオールナイト、心ゆくまで観測できます。また隣接して、ペンションや全天候テニスコートもあります。専門指導員による出張観望会や、一流講師を招いての講演会も行われます。
 
天文資料館「ポランの広場
昼間や雨天でも、日原天文台独自の天体映像を100インチの大画面に映し出します。星空を自在にシュミレーションできるコンピューターシ ステムも完備。星座ポストカードなど、星グッズを満載した売店もあり「宇宙から見た環境問題」を基本テーマに、星についての基本的な知識や星と森の不思議な関係など、わかりやすく展示されています。
 
星と森の科学館
「宇宙から見た環境問題」を基本テーマに、星についての基本的な知識や星と森の不思議な関係など、わかりやすく展示されています。
 
枕木山キャンプ場
収容人員250名、テントサイト20サイト、バンガロー2棟、バーベキューハウス1棟、シャワールーム2室、炊事棟、管理棟(和室2、調理場、風呂)、多目的広場があります。天文台にも近く、ふもとまで五分、高津川で泳ぐこともできます。
 
雄滝・雌滝
津和野川の支流・中ノ谷川にかかる滝で、雄滝と雌滝が好一対をなしています。白い水しぶきをあげて落下する滝は、涼感をさそいます。
 
大魚渓
美しい岩肌と清流がおりなす峡谷。昔から鮎などの大物が捕れたことからこう名づけられました。周辺には全国でも有数の樫の群生林が広がっています。また毎年八月初旬にはこの川原で「天然の鮎を喰う会」が開催されます。
  
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