| 柿本人麻呂…「山門の門」「歌仙」といわれ、雄大で格調高い歌を詠んだ万葉歌人
柿本人麻呂は『万葉集』第一の歌人とされ、歌や伝承を通して石見とのかかわりの深い人物です。
日本最古の歌集として古典中の古典といわれる『万葉集』には、有名無名の古代の歌人たちによる四千五百余首の歌が二十巻にわたり収録され、今も多くの人に読まれています。この膨大な『万葉集』の中で、特に柿本人麻呂の作品は高い評価を受けてきました。
人麻呂の名声は万葉時代、既に大伴家持が「山柿の門」(歌の道を山部赤人と柿本人麻呂に代表させた言い方)と称したほどでしたが、平安時代の歌集『古今和歌集』の序文では「歌仙」と呼ばれ、後には人麻呂の肖像を掲げ、供物をして歌会が行われるようになるなど、神格化されるほどでした。
近代になってからも、大著『柿本人麻呂』を著した歌人斎藤茂吉などによってその雄渾な歌風がたたえられています。茂吉は人麻呂の代表作の一つ
東(ひがし)の野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば月かたぷきぬ
(大意・東の方の野には曙の光の差し染めるのが見えて、西を振り返ると月が傾いて淡い光をたたえている)について「犯すべからざる大きな歌」と評しています。万葉第一の歌人といわれる人麻呂ですが、伝記についての手掛かりといえるのは『万葉集』だけで、生没年を含めてなぞの多い人物です。そのことがさまざまな説を生み、人々の想像力をかき立ててきたともいえます。
人麻呂の主な作品は、689〜700年(持統3〜文武4)の間に作られており、皇子や皇女の死に際しての挽歌、天皇の行幸に随伴しての作が多いことから宮廷に仕えた歌人だったと推定されています。また、地方官吏として石見や近江などに赴任しており、石見国の自然をたたえた歌や、上京する際に依羅娘子(よさみのおとめ)という石見国の妻との別れを悲しんで作った歌が残されています。浜田、益田、江津など石見の各地には、人麻呂ゆかりの場所や伝承が数多くあり、歌碑も建てられています。
そして自らの死に際しての歌「石見国に在りて臨死(みまから)らむとする時、自ら傷みて作る歌」があることから、石見で臨終したとされています。
鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ
(大意・鴨山の岩根を枕にして死のうとしている自分を、そうとは知らないで妻がひたすらに待ち焦がれていることであろうか)
この「鴨山」がどこであるのかについては、古来諸説があります。江津市二宮町神村(かむら)、浜田市城山(亀山)、益田市沖にあって万寿三年(1026)の津波によって水浸した鴨島、邑智町湯抱の鴨山という説があり、また奈良県の北葛城山中にあるという説もあります。
このうち益田市沖の鴨島説は古くから広く信じられており、益田市高津町の柿木神社には、鴨島が人麻呂臨終の地であり、島が津波で水没した時、流れ着いた神体を祀って今の地に神社を再建したと記す縁起が伝わっています。
これに対して前出の斎藤茂吉は20年にわたる調査の末、昭和12年に湯抱-鴨山説を発表、以後広く支持されました。一方、益田市の郷土史家矢冨能二郎は昭和39年刊の『人麻呂と鴨山』で益田市沖の鴨島説を再評価しました。この鴨島説は昭和48年、梅原猛の『水底の歌』で一躍脚光を浴び、益田市沖の海底調査が行われるなど、再び鴨山論争は沸騰しました。
現在に至るまで鴨山論争は決着を見ていません。多くの人々が人麻呂臨終の地をさまざまに想像し、追い求めてきました。それはやはり人麻呂という歌人の偉大さによるといえるでしょう。そして、石見を愛しこの地で没した人麻呂の伝説はいつまでも語り継がれていくことでしょう。
石見神楽…全国に影響を与えた神楽、今も受け継がれる貴重な民俗芸能 !
島根には今も幾多の貴重な民俗芸能が伝承されています。これらを大まかに分類すると、神楽、獅子舞、田楽、風流、祭礼風流、舞楽、地芝居、人形芝居などに分けられます。中でも神楽は特に多く、全芸能の半分は神楽といっても過言ではありません。かつての村単位で一つ、中には二つといった組織で伝承され習いる所もあります。これは全国でも広島県とともに最も多い数といわれています。
神楽はわが国の代表的な神事芸能で、神霊を迎える座を意味します。従って神を招く所作を演ずることで、やがて神がかり状態になり託宣を行うというのが本来の筋で、七座神事と神能とから構成されています。今では神楽というと面を着けて舞い、長胴の大蛇を出したり火炎を吹かせたりする神話劇である神能を意味するようになっていますが、本来はそうしたものではありませんでした。
島根の神楽はそれぞれ舞い方、奏楽など違いはありますが、大きく出雲神楽、石見神楽、隠岐神楽に分けることができます。中でも出雲神楽は県内はもちろん全国に大きな影響を及ぼし、石見神楽は安芸、長門・方面にも影響を及ぼしてきました。出雲神楽は構成が七座と神能に整然と分けられていることが特徴です。七座とは神事のことで、素面で剣や榊を持って清めたりはらったりして舞うもので、古来の祭式が舞踊化したものと考えられています。神能とは神話劇で、鬼や大蛇、命、姫などが登場します。着面の神能も各地で多少異なりますが、国指定の佐陀神能が能の方式をとる独特のもので、慶長以来出雲はもちろん石見、隠岐、備後、備中など各地に影響を与えました。
石見神楽の社中は大小数えれば現在二百社を下らないといわれ、石見だけでなく長門・安芸の一部にまで見られます。出雲神楽との違いは、七座と神能が出雲ほど整然と分かれておらず、大部分は演劇風の能神楽で、本来の神楽からはさらに前進したショー化したものも多く見られます。ただし邑智郡桜江町市山に本部を置く大元神楽は神職により夜通し厳粛に舞われる神事舞で、古来からの託宣舞が継承されています。
隠岐の神楽は神社の祭礼よりもむしろ大漁とか豊作の祈願などのために舞われてきた祈願の神楽というところに特徴があります。社家といわれる専門の神楽師により伝承されてきました。演劇風のものが少なく、巫女舞が多いことも特徴の一つです。
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