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  宍道湖の西岸に開け、出雲神話の中心地である。縁結びの出雲大社、スサノオを祀る須佐神社・神々が酒造りをはじめた日本酒造り発祥の佐香神社、目のお薬師さんの一畑薬師、紅葉と弁慶伝説で名高い鰐淵寺など見所多い。  
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出雲の王の墓「西谷墳墓群」(出雲地区)
 
西谷墳墓群(にしだにふんぼぐん)は、島根県出雲市大津町字西谷にある弥生時代後期から古墳時代前期の墳墓群。国の史跡。

出雲市街南東部の標高40メートル程度の丘陵に存在する。

弥生時代後期から古墳時代前期にかけての2世紀末から3世紀に築造されたと考えられている。

1953年(昭和28年)に発見され、現在は27号までと番外5号までの32基の墳墓、古墳と横穴墓が確認されている。

このうち、1〜4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心とした特徴的な形をした弥生時代の墳丘墓で、この西谷墳墓群や安来市の荒島墳墓群に巨大なものが見られる。

1983年(昭和58年)より1992年(平成4年)までの10年にわたり島根大学考古学研究室を主体に3号墓を中心に発掘調査が行われ、水銀朱や弥生式土器が発見され祭祀の跡も確認された。

これらの様子からこの時代の出雲地方に「王」が存在したことがうかがえる。

2000年(平成12年)に国の史跡に指定された。現在、1号墓〜6号墓の並ぶ丘陵は「西谷墳墓群史跡公園・出雲弥生の森」として整備が進められている。

1〜4・6・9号の6基については、四隅突出型墳丘墓である。

これらは斜面に葺き石が施されていた。

その他、5・7・8号など18基の方形墳丘墓、11・25号など4基の円形墳丘墓が確認されており、2号墓東側斜面には横穴墓群がある。

1号墓は南側部のみが確認されており、規模は不明。

2号墓は方形部南北35メートル×東西24メートルの長方形四隅突出型墳丘墓。斜面に葺き石が施されていることが確認された。

3号墓は方形部は東西40メートル×南北30メートル、高さ4.5メートル、突出部の付け根の幅7〜8メートル、長さ6〜7メートルの幅広大形で、中期後葉にはささやかな突出部であったが、後期後葉になると大きく幅広い突出部に発達している。

この突出部上面が墳頂への墓道と考えられている。

斜面は貼石で覆われ、突出部から墳頂にかけての稜線部分は石を敷き詰めた道のようになっており、憤丘頂上には、首長とその家族のためのいくつかの墓壙が掘られていた。

そのうちの最大の墓壙の上には4つの柱穴が発見されており、何らかの施設があったものと考えられている。

その墓壙から他地域からの搬入されたものも多数含まれている。

方形周溝型弥生憤丘墓の周溝の堀残し部分が渡り土堤で出入り口になっており、それが四隅突出型弥生憤丘墓の突出部と関するのではないかとの考えも出されている。

9号墓に次ぐ規模の四隅突出型弥生墳丘墓である。

江戸時代には仏教施設があり周囲に基壇が設けられていた。

1983年より詳細な調査が行われ、上部に首長が埋葬された第1主体があり、脇にその家族が被葬された第4主体がある。

第1主体には深さ1メートルで二重の構造の土壙が掘られ、木棺の外側に木槨をもつものである。

木棺内は水銀朱が敷きつめられており、大型22個、小型25個程の碧玉製管玉の他に、ガラス小玉100個以上とコバルトブルーのガラス製勾玉2個、玉が発掘された。

墓穴の周囲に4箇所の柱穴が発見された。この柱穴は首長の葬送の際に建てられた葬祭用四阿(あずまや)で、次期首長候補を中心に葬儀が執り行われたと推定されている。

第4主体からは鉄剣、ガラス玉等が発見された。現在、斜面に葺き石が施されるなど築造当時の姿に復元作業が行われている。

4号墓は方形部は東西32メートル×南北26メートル。

この墳墓群の中で最初に発見された墳墓で、1953年の造成工事の際に墳墓であることが確認された。

この墳墓にも斜面に葺き石が施されている。

地元産の壷などの大量の土器、吉備産の特殊土器が発掘された。2世紀末に築造されたと推定される。

5号墓は規模は22メートル×17メートル、高さ2メートル程度の方形または楕円形の墳墓と推定されている。築造年代は不明。

6号墓は一部が発見されており、規模は不明である。

7号墓は古墳時代に入り築造された方墳もしくは前方後方墳と推定される。

9号墓は方形部は東西42メートル×南北35メートルとこの墳墓群中最大規模の四隅突出型墳丘墓である。

墳頂には三谷神社が祀られている。

17号墓は3号墓の南隣にある。

墳丘の西側と南側は原形を留めていない。

一辺8メートル程度の方墳または円墳と推察される。幅70センチメートル、深さ40センチメートルの土壙が一部に確認されており周囲に廻っていたと推定される。

土壙より弥生時代終末期の3世紀前半の土器が発掘されておりこの時期に築造されたと推定されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[問]出雲市文化財課(0853-21-2211)島根県教育庁文化財課(0852-22-5880)[場所]島根県出雲市大津町字西谷

 
出雲文化伝承館(出雲地区)
 
出雲文化伝承館は、今の時代に失われつつある出雲地方の伝統を今に伝え、訪れる人々が出雲の歴史と文化に触れることができる憩いの場として平成3年に開館しました。

出雲地方特有の築地松(ついじまつ)に囲まれた敷地には、出雲平野の大地主であった江角(えずみ)家の母屋と長屋門、庭園を移築したほか、松平不昧公(ふまいこう)が愛用した茶室「独楽庵(どくらくあん)」と露地、現代数寄屋建築の茶室「松籟亭(しょうらいてい)」、文化財や美術品の展示施設、そば処があります。

また、隣接地には創作活動のできる「出雲文化工房」、多目的施設の「縁結び交流館」もあり、さらに幅広く利用いただけるようになりました。

[問]Tel.0853-21-2460 Fax.0853-21-4165[営業時間]9:00〜17:00(入館は16:30まで)[休み]月曜日(変更する場合があります。ご了承ください。)[入館料]入館無料(但し、特別展は別料金)[駐車場]200台[アクセス]出雲空港からタクシーで約20分 JR出雲市駅からタクシーで約10分 一畑電鉄「浜山公園北口駅」から徒歩で約10分 山陰自動車道宍道ICから車で約25分[場所]島根県出雲市浜町520番地

 
出雲民藝館(出雲地区)
 
出雲の豪農、山本家の屋敷を改装し民芸館としたもの。米蔵、木材蔵、長屋門がそのまま展示館として利用されている。

建物自体は典型的な出雲地方の農家の作りで簡素なつくりだが、歴史的価値は高い。

館内には陶磁器、漆器、木工品、織物など全国から集められた生活工芸品が並ぶ。

[問]Tel.0853-22-6397[営業時間]9:00〜17:00(入館は16時30分まで)[休み]月曜日(祝日の場合は翌日 年末・年始[入館料]一般/500円 小・中生/100円(団体割引20名以上 一般400円)[駐車場]バス2台、普通車10台[アクセス]山陰道宍道ICよりR9経由、出雲市方面へ車で約30分 JR出雲市駅より一畑バスで西出雲駅前下車、徒歩約10分。または同駅からタクシーで約10分 JR西出雲駅北口下車徒歩約10分[場所]島根県出雲市知井宮町628

 
 
道の駅キララ多伎(多伎町)
 
道の駅キララ多伎(みちのえきキララたき)は島根県出雲市多伎町多岐の国道9号上にある道の駅。

施設は出雲市が所有し、株式会社多伎振興(出雲市などが出資する第三セクター)が指定管理者として運営管理を行っている。

多伎といえばいちじく。

そのいちじくをふんだんに使ったオリジナル商品や、旬を丸ごと味わえるレストランは、訪れる人のお腹をいっぱいに満たしてます。

源泉掛け流し温泉としてリニューアルしたばかりのいちじく温泉や、本格的なタラソテラピーが体感できる出雲タラソテラピーまで、心と身体をしっかり癒せます。

一年を通して楽しめるコテージ、ログハウス、センターハウス。アウトドアを満喫できるオートキャンプ場やバーベキューハウスまで、楽しみ方はあなた流で。

[問]Tel.0853-86-9080 Fax.0853-86-9082[休み]第1・3火曜日(9〜6月)第1火曜日(7月)[駐車場]117台[アクセス]西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線小田駅より徒歩約10分。西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線小田駅より多伎循環バス赤松踏切行で3分、「道の駅キララ多伎」下車。[場所]島根県出雲市多伎町多岐の国道9号上にある道の駅

 
 
キララビーチ(多伎町)
 
道の駅キララ多伎から、海への階段を降りると、そこはコバルトブルーの海が広がるキララビーチです。

キラキラした景色が広がる海での海水浴は、心地よい風も流れ青空も最高です。

夕刻には、日本海に沈む「夕陽」が目の前に広がり海は茜色に染まります。

この景色は、「日本の夕陽百選」に選ばれたほどの絶景です。海は、ご家族連れの方にも楽しんで頂ける遠浅の海です。

土日を中心に、ライフセーバーの方が海の安全をお守りしています。

無料駐車場・売店・桟敷・シャワー・トイレ・更衣室を完備しています。

 
くにびき海岸道路
 
キララ多伎から日御碕へと続く海岸道路。国引き神話の地で眺める雄大な日本海に沈む夕日の眺望は、一見の価値あり
 
 
神西湖(湖陵町)
 
神西湖(じんざいこ)は、須佐之男命(すさのおのみこと)の御子で、のちに大国主命(おおくにぬしのみこと)の「妃」となられた、須世理姫の命(すせりひめのみこと)の生誕の地といわれ、産湯をつかわれた史蹟「岩坪」があり、古代出雲文化発祥の地として、古来、伝承されて来ました。

この神西の地名も、「大国主命の神在、あるいは須世理姫の命(すせりひめのみこと)の神妻から由来しています。」

神西湖(じんざいこ)は、島根県出雲市の西部に位置する汽水湖である。

西南に三瓶山(さんべさん)を拝み、アシやガマに囲まれ、シジミがよく穫れる。

平成17年度のシジミの収穫量は約1万7千トンであり、全国の湖沼中6位である。また単位面積当たりで見れば全国の湖沼中1位である。

流入河川として十間川(じっけんがわ)、流出河川として差海川(さしみがわ)がある。

湖の西側には湖陵温泉がわく。(かんどのみずうみ)として記述が見られるが、この湖は現在の約3倍の周囲長を持っており、現在の形とはかなりかけ離れている。

当時、湖周辺は滑狭(なめさ)と呼ばれ、大国主命の后神生誕の地として伝わっている。

縄文時代には現在の宍道湖にあたる湖域全体とその西岸陸域は全て日本海に繋がっていて、島根半島の西側をえぐる大きな湾が存在していた。

その湾に南から注ぐ斐伊川と神戸川の強い堆積作用により湾は次第に埋め立てられ、東側と西側に分断された。

東側が現在の宍道湖の原型であり、西側に残った湾部が現在の神西湖の原型である。

弥生時代には堆積作用が進むにつれて湾は次第に小さくなり、日本海と分断され、汽水湖となった。

江戸時代 には神西湖の北部が埋め立てられ縮小し、さらに1635年と1636年の大洪水で、今まで繋がっていた斐伊川と神門川の川違えが行われ、斐伊川は宍道湖に、神西湖から切り離された神門川は直接日本海に注ぐようになった。

これにより神西湖と日本海を結ぶ河川がなくなり、大雨で度々溢れるようになった。

そのために湖西側を開削し排水路を設けた。

これが現在の差海川(さしみがわ)である。また新田開発に伴って湖の東側から流入する十間川(じっけんがわ)が開削された。これにより現在に通じる形態が完成した。

 
小豆を煮たものに餅を入れて食す料理を関西地方ではぜんざいと呼ぶが、この語源が神西(神在)であるという説がある。
 
一般的には小豆の粒が存在するものを指して用いられる用語である。

漉(こ)し餡の汁粉は「こしあんのぜんざい」と大阪では呼ぶ。

もっとも、東日本などの地域では、粒餡を使用したぜんざいを汁粉(しるこ)と呼んでいる。

ぜんざいの語源は主に2説ある。

1つは仏教用語である「善哉(ぜんざい、よきかなとも読む)」にちなんだ説である。

一休宗純が最初に食べたとされ、あまりの美味しさに「善哉」と叫んだとする説。

「善哉」とは仏が弟子を褒める時に使う言葉である。

もう1つは出雲地方の「神在(じんざい)もち」に起因すると言う説である。

出雲地方では10月に全国から神様が集まるとされることから、この月を「神在月(かみありづき)」と呼び、前半は出雲大社、後半は佐太神社で「神在祭」と呼ばれる行事が執り行われる。

このときに佐太神社で振る舞われたのが「神在もち」であるが、これが訛って伝わり「ぜんざい」となったとする説である。

このことは祇園物語にも「出雲国に神在もちひと申事あり」と記されており、また「赤豆をにて─(もち)を入まいらせ」と、現在のぜんざいと同種の料理であったことを示す記述がある。

ちなみに出雲弁で「じんざい」は「ずんざい」(出雲地方は、ずーずー弁。また“ず”の音ははっきりと発音しない)のような発音になるが、これを他の地方の者が「ぜんざい」と誤って聞き、そのまま京都に伝わったのではないかとされている。

なお、出雲地方では正月の雑煮としてぜんざいを食する習慣がある。

最近では「出雲ぜんざい」なる商品も出ている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[アクセス]JR山陰本線江南駅から徒歩10分[場所]島根県出雲市湖陵町

 
神西湖屋形船
 
神西湖で採れるシジミやウナギなどを使った郷土料理を味わうこともできます。

[問]神西子観光(0853-23-2364)[料金]5000円(乗船料・食事料金)[期間]通年[アクセス]山陰道宍道ICよりR9経由出雲市方面へ車で約35分 JR江南駅より徒歩約10分[場所]島根県出雲市神西沖町1687-11

 
 
立久恵峡(出雲地区)
 
立久恵峡(たちくえきょう)は島根県出雲市の南部、神戸川(かんどがわ)上流2kmに亘る峡谷。

国指定の名勝、天然記念物となっている。

安山岩質集塊岩を浸食して形成された渓谷であり、100〜200mに亘る石柱や断崖がそそり立ち、奇岩が屹立する。その独特の景観から山陰の耶馬渓の異名を持つ景勝地で、渓谷沿いに展望台や遊歩道があり、観光地として開けている。

名所に屏風岩、天狗岩、神亀岩、天柱峯、袈裟掛岩、烏帽子岩、猿岩、ろうそく岩、天然大仏像などがある。また、立久恵山霊光寺周辺の岩盤に彫られた五百羅漢像も名物。

また付近に立久恵峡温泉がある。

2006年7月、豪雨による水害で立久恵峡は被害に遭い、キャンプ場施設であった「わかあゆの里」が壊滅的な被害に遭い撤去され、立久恵峡ユースホステルは休業となっている。

周辺の二つの橋も被害に遭ったが、現在はともに架け替えられ、峡谷の遊歩道に立ち入れるようになっている。

2008年7月に豪雨災害復旧工事が完了し、周辺の観光・宿泊に関しては、わかあゆの里が無くなった事以外はほぼ以前の状態に戻っている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[アクセス]JR出雲市駅から一畑バスで30分、立久恵峡下車、徒歩すぐ[場所]島根県出雲市乙立町

 
 
須佐神社 全国のスサノオを祀る神社の総本社(佐田町)
 
須佐神社は神の入り口(神戸川)を遡り、その支流を分け入った、須佐川に鎮座している。

出雲国風土記によると、神須佐能袁命(かみすさのおのみこと)がこの地に来られて仰せられるには、「この土地は狭い土地であるけれども、好い住まい所である。

それゆえ自分の名は石や木に留めるようなことはしないで、この土地に名を留めよう」と仰せられて、そのまま御自身の御魂をここに留めてお置きになった。

そして御言葉のとおり御名を留める御名代田(みなしろだ)として、大須佐田と小須佐田の御料田をお定めになった。この由緒によって郷名を須佐というのである。

スサノオは奥出雲でオロチ退治をして、雲南市大東町にある須我神社に、稲田姫と新居を構えた。

全国各地に大陸からの文化を伝え、日本文化の礎を築き、そして「須佐の地」を終の住処とした。

 

佐田の地には神々の国「出雲」の原風景そのものの姿がある。

山陰特有の湿った、なにものかが存在するかのような、重たい空気が醸し出す風土は、神々の国特有のものである。

そこに、スサノオの御霊が永遠の眠りについている。

 
あなたが、この地に、スサノオに会いに訪れたとき、祖神スサノオは、きっと、あなたに何かを語りかけてくれるはずである。

神社の後ろに、樹齢1200年を超すという巨大な杉の神木がある。

 
この杉は霊力を持つと言われ、そのパワーを貰いに撫でるので、根っこがツルツルに光っていた。

ここはテレビで霊能者が紹介した強力な霊感スポットです !

 
[問]須佐神社社務所(0853-84-0605)[交通]山陰道宍道ICよりR9を出雲市方面へ、R184経由立久恵峡方面へ。車で約45分 JR出雲市駅よりバス約35分[場所]島根県出雲市佐田町宮内730
 
目田森林公園(めだしんりんこうえん)(佐田町)
 
毎年たくさんの人で賑わう『目田森林公園』は、昔山陰と山陽を結ぶ軍事上の拠点として激しい争奪が繰り返された、興亡変転の城「高櫓城」の馬場を利用し、山の緑と空の青さを水面に映す目田池のほとりに造られた公園です。

公園内にはバンガローをはじめ、八岐大蛇をイメージした巨大遊具や、異次元へ迷い込んだような錯覚を起こす施設があり、家族づれに大好評の公園です。

春は桜をはじめ色とりどりの花が咲き乱れ、夏は新緑の中でのキャンプや魚釣り。秋になると美しい紅葉を眺めながらの遊歩道散策など、四季を通じて楽しめるプレイスポットです。

真っ青な空を映す目田池には、アヒルが元気よく遊び、訪れた人々を賑やかに歓迎してくれます。

また、もうひとつの魅力は、何と言ってもカエデ林の中で食べる佐田和牛の焼肉です。

佐田町の和牛は県内トップの肉質を誇り、林の中を流れるせせらぎの音を聞きながら食べる、そのとろけそうな味は、一度経験したらもうやめられません。

[問]0853-84-0805[期間]4月〜11月(冬季は休園)[営業]9時〜18時[料金]高校生以上200円・小中学生100円[場所]島根県出雲市佐田町反辺1141-4

 
八雲風穴(やくもふうけつ)(佐田町)
 
毎年夏になると涼を求めてたくさんの観光客が訪れる『八雲風穴』は、約450年前隣接するお寺「福泉坊」の開山の頃から「清涼山」と呼ばれ、冷風を発する地域だったと伝えられています。

風穴の年間平均気温は10度前後で気温の変動が少なく一定のため、昔から天然冷蔵庫として農林産物の保管に役立ててきました。

真夏でも風穴の施設内部は10度以下の冷たい風が吹き出し、地下には雪が保存してあって、夏でも見ることができる天然の冷房として知られ、毎年多くの人が訪れています。

八雲風穴の冷風が吹き出す原理は、一般的に考えられている「溶岩トンネル」から吹き出す風穴減少とは異なり、太古この周辺がまだ海だった時代に、火山の爆発で海中に噴出した溶岩が急速に冷やされ、隙間ができた岩となり、それが堆積して現在の地形ができあがり、この山懐を流れる地下水が、それらの岩と岩の隙間の空気を冷やし地表に流れ出すと考えられています。

なお、この地下水は風穴の下に湧き出ており、「福寿泉」として島根名水百選の一つにも選ばれています。

施設は、地上1階、地下3階の構造になっています。

地上1階は調整室などがあり、宴会などもできます。室温は25度前後です。

地下1階に下りると室温は10度まで下がります。そして、地下2階では8度となり、地下3階には雪が保存してあって、夏でも見ることができます。

また、食堂・売店では、地元グループ「風太郎」の皆様が、笹団子・ラーメン・特産品の販売を行っており、たくさんの観光客から人気を集めています。

[問]0853-84-0405[期間]7月〜8月の夏期の間のみ営業していますご注意ください。[営業]9時〜17時[料金]小学生以上100円[場所]島根県出雲市佐田町朝原

 
 
康國寺庭園…旅伏山を借景に取り入れた枯山水の庭園(平田地区)
音声案内はこちらをクリック!
 
臨済宗妙心寺派大雲山康囲寺は、元亨2年(1322)南北朝時代、弧峰覚明(こほうかくみょう)禅師(三光国師)を開山とし、当地の豪族であった康國公の寄進によって建立された。

その後変遷を重ね、天明年中(1781〜1788)中興の開山拙庵(せつあん)禅師によって寺域を拡大した。

拙庵禅師は、山内に茶席「博淵亭(はくえんてい)」を建てるなど茶に対する造詣が深く庭園を計画したが、その後の韜光(とうこう)禅師の努力によって現在の庭園の形が整えられた。

松江藩7代藩主松平治郷公(号・不昧)お抱えの庭師沢玄丹により、天保元年(1830)から三年半の歳月をかけて築かれた。

本庭は、禅院特有の枯山水と旅伏(たぶし)山に貯水池(錦鏡池)を借景に取り入れた自然山水が調和し、池周辺の樹木の繁りが大刈り込みと対になり、一層の明るさと雄大さを与えている。

またこの地方独特の松を配した様式も美的効果を高めている。

さらに茶庭の影響を強く受けており、飛石を庭園の主景とした新しい様式を確立している。

広さは256坪。

 
米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が発表した2005年日本庭園ランキングでこの康国寺が、8位に選ばれています。
 
[問]Tel.0853-62-2213[拝観]9:00〜17:00[休み]不定休[拝観料]300円 (御抹茶350円)[アクセス]一畑電鉄旅伏駅から徒歩10分[場所]島根県出雲市国富町1301
 
 
黄泉(よみ)の穴(平田地区)
 
大国主命が幽閉されて死んだといわれる「神がくれの岩屋」ではないかといわれている。
 
27代出雲国造広嶋が編纂し、出雲国風土記に記載した「黄泉の穴」が、なにか重要な史実を示唆しているのではないのか…?

出雲国風土記には次のように記載されている。

『磯の西のほうに岩穴がある。この洞窟のなかには人の出入りはできない。どの位の深さがあるかも知られていない。この磯の岩穴のあたりにいった、と夢に見るとその人はかならず死ぬ。それで世人は昔からここを黄泉の坂といい、また岩穴を黄泉の穴と名付けている』

風土記はこのあたりは、脳磯(なづきのいそ)と呼ぶと記しているが、脳髄がむき出しになったように、でこぼこした海岸の風景だから、そういうのであろうという説がある。

たしかなことはもとより、分からないが、脳磯という言葉はどこかぶきみだ。それはさきほどの夢の話があるからだろうか。

洞穴は高さ12m、幅36mの右を斜辺とした直角三角形で、奥へしだいに小さくなって37mにもおよぶ。

その先はとなり部落の鷺浦につづくと思われている。

1948年にこの奥から、縄文、弥生、古墳期の遺物と共に、人骨十数体が出土し、黄泉の穴がたんなる伝承の場所ではなかったことが判明した。

母の胎から出たものは母の胎にかえるということから、沖縄では、墓は女陰をかたどったものとされている。

三角形はふつう女陰の象徴である。そういえば、いまは舟庫となっているこの黄泉の穴のまわりにも、打ち消しがたい陰気さがただよい、日蝕のときに吹き起るような薄気味わるい冷風がとりまいている。

万葉集の中の「袖の下をつかませるから黄泉の国の使者よ、背負っていってくれ」とか、「金を出すからちゃんと、黄泉の国への道を知らせてくれ」とかいった歌の実感がひしひしと迫るところだ。

…谷川健一著「出雲の神々」より

興国寺→河下港→鰐淵寺→韓竃神社→黄泉の穴

出雲大社からは、大駐車場を入らないで直進すると神楽殿の横を通り山手に向かう道がある。

この道は鷺峠を越えて日本海(記紀でいう北ノ海)に出る、海岸沿いを平田方面に走れば 「黄泉の穴=地元の人は皇泉の洞窟と言っている」は通り道にある。

日御碕を観光されるのであれば、日御碕の手前から右折しても行ける。こちらの方が新しく開通した道で走りやすい。

 
 
韓竃神社…岩船に乗って新羅からやってきたスサノオ(平田地区)
 
延喜式神名帳(927年)には韓竃神社(からかまのかみのやしろ)と記されており、延喜式よりも二世紀古い出雲国風土記(733年)にも記されていることから、創建不詳の非常に古い由緒を持つ神社である。

社名のカラカマは、朝鮮から渡来した「釜」を意味するとされている。

即ち、これは、祭神の素盞鳴尊が御子神と共に新羅に渡られ、わが国に「植林法」を伝えるとともに「鉄器文化」を開拓されたと伝えられていることと、関係があろう。

また、当社より奥部の北山山系が、古くから産銅地帯といわれ、金堀地区の地名や野タタラ跡、などがみられることと深い関係があるといわれている。

雲陽誌(1717年)によると、当社は素盞鳴尊を祀るとして、古老伝に、「素盞鳴尊が乗り給いし船なりとして二間四方ほどの平石あり、これを「岩船」という。この岩は、本社の上へ西方より屋根の如くさしかざしたる故に、雨露も当たらず世俗に「屋方石」という。

また、岩船のつづきに周二丈余り、高さ六間ほどの丸き立岩あり、これを「帆柱石」という。社への入口は、横一尺五寸ばかり、高さ八尺ほどの岩穴となっており、奥の方まで二間ばかりあり、これが社までの通路となっている」記されている。

出雲市雲州平田駅から弁慶伝説で有名な鰐淵寺(がくえんじ)に向かう。

唐川の小学校の前を左折すれば鰐淵寺に行くが、そのまま唐川川(からかわがわ)沿いを直進する。

5、6分車で走ると右手に鳥居、左に唐川川に突き出た岩船を見ることができる。

苔むした石段の右側には転落防止のロープが張ってあり、社までの道程の険しさを想像させる。

スイッチバックのようにして高度を稼ぎ300mも登ると大きな岩がたちはだかる。

左から回り込むように登るが、ここはロープが無く非常に怖い。岩の裏に回り込むと、想像を絶する光景に出会う。

何だこれは !!……目の前には斜めの光の線が……これが社の入口である。

太った人は通行不可能だ。やっとの思いで入口の岩の切れ目を通過すると小さな社があった。

神社は大社造ではなく神明造である。

歴史が古いので創建当時の姿はわからないが、時代の変遷(明治期)で今の姿になったのだろう。

 

大陸と最も近い出雲のこの地に、出雲族の祖先となったスサノオが、天降りした。

そして、その神が全国の神社で祀られている。

正に日本の国のルーツがここにある。

 
 
鰐淵寺(がくえんじ)と弁慶伝説(平田地区)
 
鰐淵寺は、島根県出雲市にある天台宗の寺院。

山号は浮浪山。中国観音霊場第25番札所、出雲観音霊場第3番札所、出雲國神仏霊場第2番札所。

開山は智春上人、本尊は千手観世音菩薩と薬師如来の二体。

伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。

寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。

ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。

鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。

浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。

水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。

後白河法皇の『梁塵秘抄』に収録された今様に「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われており、平安時代末期頃には修験行場としても発展し日本全国に知られるようになったものと思われる。

平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、特に横川(よかわ)の無動寺と関係が深かった。

伝承では円仁(慈覚大師)が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。

寺に残る経筒には仁平元年から3年(1151 - 1153年)にかけて書写した法華経を「鰐淵山金剛蔵王窟」に安置したとの銘があり、この頃には法華経信仰も行われていたことがわかる。

「金剛蔵王窟」とは前述の浮浪の滝の滝壺を指すと思われる。

平安時代末期までの鰐淵寺は現在地のやや西寄りの唐川にあった。

これに林木(はやしぎ、現出雲市内)の別の寺院(薬師如来を本尊とする)が吸収された。

以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする「北院」と薬師如来を本尊とする「南院」に分かれることになる。

鎌倉時代には守護佐々木氏の保護を得て栄えた。

また、鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する出雲大社との関係も深まった。

稲佐の浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が発生し、これが出雲大社の発展と重なり、古代秩序の崩壊と中世への移行も相まって、神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展し、後に出雲大社の別当寺を務めるまでにその関係は深まった。

弁慶に関する伝承は有名である。

弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間鰐淵寺にて修行したとされる。

その後、姫路書写山、比叡山と移り、更に源義経の家来となり義経に従い国内を転戦したが、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した。

特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永二年の銘のある銅鐘は「国の重要文化財」に指定されている。

南北朝時代には鰐淵寺の北院と南院は、それぞれが北朝・南朝を支持して対立した。

元弘2年、後醍醐天皇が隠岐に流された際、南院の頼源大師が御所に伺候し、宸筆の願文(倒幕の所願を遂げたら薬師堂を造営するというもの)を賜った。

この願文は現存し、重要文化財に指定されている。頼源は後醍醐の隠岐脱出を助け、南朝に忠誠を尽くした。

南院・北院が和解したのは貞和3年(1347年)のことで、これを機に寺は唐川から別所に移り、北院の千手観音と南院の薬師如来をともに本尊として安置することになった。

戦国時代には出雲においても尼子氏と毛利氏の間に激しい戦いが繰り広げられたが、毛利氏による出雲侵攻時には鰐淵寺の栄芸が一貫して毛利氏を支持し、毛利氏の勝利後鰐淵寺は毛利氏の保護を受けることとなった。

今に残る根本堂は、この毛利氏時代に建立されたものである。

16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、また祭神が須佐之男命から大国主命に変更されたことから、神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなりその勢力は衰えを見せた。

鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、現在では、根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。

弁慶との繋がりから催されるイベントと境内の紅葉が美しく色付くことから、毎秋一時賑わいを取り戻すが、それ以外の多くの時間境内は静寂に支配されている。

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[問]Tel 0853-66-0250 Fax 0853-66-0300[駐車場]第1駐車場 大型バス約7台 車約30台(大型バス0の場合)第3駐車場 車約20台 ※第2駐車場は現在使用できず[アクセス]一畑電車北松江線雲州平田駅から平田生活バスで30分(運賃は大人200円)、もしくは車で20分 出雲空港から車で40分[場所]島根県出雲市別所町148

 
 
平田本陣記念館(平田地区)
 
松江藩の本陣だった木佐家の旧宅と庭園を、愛宕山(あたごやま)公園の高台に移築復元したもの。

入り口ホールは、巨大なけやきの柱や、天井は何十本もの梁を縦横に組み、金物を一切使わない特殊技法を用いています。

本舘の右側は美術展示館となっており、ゆったりとしたスぺ−スと、落ち着いた雰囲気は観る人の心を和ませ、ひとときを美の世界へといざないます。

そして、本木佐家所蔵の数々の貴重な品々はもちろん内外の美術工芸品なども展示されています。

玄丹涜(出雲流)といわれる日本庭園は、大ぶりの飛石、短冊石、そして臼型の人工飛石を高く打ち、地表はお留砂という奥出雲地方でとれる粗い砂を敷きつめた枯山水の平庭です。

植木には松、サツキ、モクセイなどを刈込み、正面には陰陽石を据え、老松を添えるなど美的効果を高め、大らかな趣きの中にも佗びた風情を持っています。

松江藩の本陣宿として代々の松江城主が体を休めたという御寝所が上の間で、約250年前の当時そのままに移築しました。

黒光りのする柱、欄間などに時代の香りが漂い、ここに投宿した昔人たちの姿がほうふつと浮んできます。

また、杉苔の美しい中庭とともに重厚な御成門もこの館の趣きを一層ひきたてています。

[問]Tel.0853-62-5090[開館時間]午前9時〜午後5時[休み]毎週火曜日、展示替日[入館料]大人500円、小・中・高校生200円(団体割引(20名以上)大人400円、小・中・高生100円)[駐車場]あり(無料)[アクセス]一畑電車北松江線雲州平田駅から出雲市生活バス循環線で13分、平田本陣記念館入口下車、徒歩3分[場所]島根県出雲市平田町515

 
 
平田天満宮例祭と一式飾り(平田地区)
 
菅原道真公をまつる平田天満宮は松江の白潟天満宮、飯石郡の三刀屋天満宮とならび出雲三天神としてあがめられ昔から有名です。

この由緒ある平田天満宮の例祭は「天神さん」と呼び親しまれ、毎年7月20日・21日の二日間にわたり行われます。

祭りのハイライトは昔から伝わる御神式(おたび)行列と奉納行事として独特な民俗芸術を誇る「一式飾り」です。

御神式(おたび)の起源は宝暦2年、平田に原因不明の疫病が流行して多くの住民が病魔に倒れたので、これを救うため、神主の河瀬権少重衛は天神さんのお告げに従い御神体を奉じ、町内を一巡したところ疫病はたちまちにして退散しました。

これがおたびの始まりで、以後毎年行われるようになりまた。

御神輿行列には紋付に御幣を持った稚児がお供をするのが習わしとなり、子供たちの健やかな成長を願う行事です。

ところで平田天神さん祭りと言えば「一式飾り」ですが、その競作コンクールは全国的にも珍しい行事といえます。

生活用品の陶器、仏具、茶器金物など道具一式を自由に使い分けて作り上げる独特な飾りです。

一式飾りの起源は寛政5年(1793)2月、町内寺町に住む表具師の桔梗屋十兵衛という風流人が茶器一式で大黒天像を作り、天満宮に奉納したのが始まりといわれ、いつしか天神さん祭りになくてはならない民俗行事となり、今日まで伝えられてきました。

作品は町内ごとに当番の家に飾りますが、どの町内が何を飾るのかは秘中の秘であって祭り当日に公開します。

一式飾りの特色は何でも一式で飾り、制限された材料だけで作るところに苦心があり、腕の見せ場があります。

[場所]島根県出雲市平田町(雲州平田駅より北側の市街地)

 
 
木綿街道(平田地区)
 
東に宍道湖、東西を貫流する船川と水路に恵まれたこの地域は、古くから商家の荷を運ぶ市場町として利用されてきました。

平田船川の曲がりに沿って切妻妻入り塗り壁造りの家々が軒を連ね、商いで賑わった江戸期の面影をとどめる一角が平田木綿街道です。

松江藩の市場町として発達し、とくに木綿取引の中心として栄えたことからその名がつけられました。

木綿街道は新町と片原町と宮ノ町の通りからなります。

新町は本石橋邸や当地の商業や歴史文化を伝承する木綿街道交流館などの歴史的ゾーン、片原町は、名物生妻糖をつくる老舗、木桶手づくりの伝統を受け継ぐ醤油屋、そして百三十年の歴史を誇る造り酒屋といった蔵や商家が並ぶ商いゾーンとなっています。

いずれも長短の格子が美しく組み合わされた出雲格子を持つ家並み、白木綿地に木綿街道と染め描きされたのれんが風情を感じさせる空間です。

現在、古い街並と今の暮らしがほどよくとけ込む「木綿街道」は、しっとりと落ち着いた風情を楽しめる貴重な場所となりました。

「木綿街道」は、地域の人からも愛されており、酒蔵でのコンサートやフリーマーケット、ギャラリー、餅つきなど、 様々なイベントが行われています。

[問]出雲市立木綿街道交流館(0853-62-2631)[アクセス]JR山陰本線出雲市駅〜一畑電鉄雲州平田駅 山陰自動車道宍道ICより20分(広島から約4時間30分)[場所]島根県出雲市平田町841

 
 
松尾神社(佐香神社)全国の「酒造り神社」の総本社(平田地区)
 
京都の松尾大社の祭神は600年前頃、当社の祭神が勧進されたものである !
 
延長5年(927)撰進された延喜式には、佐香神社とあり。くだりて、寛文8年(1668)に建立された棟札には松尾大明神とある。

ともに、現在の松尾神社(佐香神社)のことである。

祭神は 久斯之神(くすのかみ)天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)百八十神等(ももやそがみたち)大山咋命(おおやまぐいのみこと)木花咲耶姫之命(このはなさくやひめのみこと)。

主祭神の「久斯之神(くすのかみ)=少彦名(すくなひこな)=恵美須さん」は、いわゆる、「薬師(くすし)の神」であり、さらに、出雲国風土記の古事にあるように、「酒造の神」でもある。

一方、大山咋命(おおやまぐいのみこと)は、世に言う「山を護る神様」で、森林業、鉱山業の守護神である。

そして、配祀神である天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)は、「海を護る神様」で、漁撈豊漁の神であるとともに、海上運航安全の神として広くあがめまつられている。

木花咲耶姫之命(このはなさくやひめのみこと)は、縁結びの神であり、安産の神である。

出雲地方は、山陰の中央部にあり、日本海を挟んで中国大陸に面して、古代から黒潮に乗って大陸から様々な文化、技術が伝えられてきました。

稲作文化も大陸から伝わり、日本酒造りの源流もともに渡来し、日本で黄麹菌を使用した独特の日本酒に変化したものと推定されます。

古事記や日本書紀の出雲神話の中にやまたのおろちという大蛇退治の話が出てきます。

須佐之男命が出雲国で八塩折の酒を造り、大蛇を酔わせて退治しました。大蛇の尾から出てきた都牟刈の太刀は「天叢雲の剣」として皇位継承の三種の神器の一つになっています。

この大蛇を酔わせた八塩折の酒とは、いったん熟成したもろみを絞って濾別した酒でさらに仕込むいう作業を繰り返した酒で非常に高度な技術を要します。

当時の人たちはこうすることで、濃醇な酒ができることを知っていたことになります。

今日の出雲地方の酒も比較的濃醇であるという共通性に数千年の時代を超えた文化を感じさせます。

酒神の祖として祭られているのが、延喜式神名帳よりも二世紀古い「出雲国風土記」に登場する佐香神社(松尾神社)です。

出雲国風土記には佐香に神々が集まり、飲食物を煮炊きする調理場を建て酒を造り、半年にわたり酒宴をしたという記述があります。

 
この佐香神社は今日でも酒造りが行われており、毎年10月13日には10時から本殿横に設けられた祭壇で「湯立て神事」を行った後、出雲杜氏などから出陣式の祭典を受け濁酒をいただき、その年の酒造りの安全と成功を祈願しています。

[問]松尾神社社務所(0853-67-0007)[アクセス]J山陰道宍道ICよりR431経由車で約30分、一畑電車一畑口駅下車、徒歩約5分[場所]島根県出雲市小境町108番地清水(しみず)

 
 
一畑薬師(いちばたやくし)(平田地区)
 
一畑寺(いちばたじ)は、島根県出雲市小境町にある臨済宗妙心寺派の寺院、及び一畑薬師教団の総本山。
 

山号医王山(いおうざん)。

通称は一畑薬師。「目のお薬師様」として有名。 

武家の時代には、出雲地方の歴代の領主、尼子、毛利、堀尾、京極、松平各家からもさかんに諸願成就や諸病平癒の祈願がなされ、また寺領を受け、加護も賜りました。

ゆかりの品々も多く、寺宝として今日に伝えられています。

さらに、1540年頃には、後奈良天皇勅使の命により国家疫病退散の祈願も行われました。

寺はもともと医王子と称し、天台宗でしたが、正中年間(1325)成徳寺と改称され、臨済宗となりました。

さらに応正2年(1653)一畑寺と改称し、世代も改められ、石雲本竺和尚が開山一世となりました。以来、その法灯が今日まで続きます。

江戸時代中期になると、一畑信仰は、山伏や聖の伝導も手伝って、中国地方はもちろん、九州、四国、近畿、東北にまで広まったようです。

遠隔地からの遥拝所としての灯篭、「一畑灯篭」が各地に建てられました。

当時、一畑まで参拝に来ることが容易ではないので、一畑参拝の折に分霊を受けて帰り、自らの家庭や、集落の一角にお堂を建立して、目の良くなるようにと祈願されていたのです。

一畑参拝の折の道しるべとして、「一丁地蔵」(一丁毎に奉られていた)もさかんに建てられています。

また、文化文政の頃から当時の民衆信仰の流行に合わせて、後の「一畑講」の母体となる地域的な一畑薬師信仰の集まりの輪が次第に形成されていたようです。

大正3年には一畑鉄道が敷設され、昭和39年にはお寺まで道路が開通します。平成5年には創開千百年祭が行われ、10日間で20万人の参拝がありました。

平成10年現在、島根県の統計では年間約70万人の参拝者があるとされています。

一畑薬師如来の信仰は、創開当初の由来から、眼病平癒が信仰の中心でありました。

その長い歴史を通じて、お薬師さまの御利益を信仰する沢山の人々の力によって守り伝えられた信仰の寺です。

8万坪の境内には、今日もまた、ご真言を唱えお百度を踏む信者の姿、沢山の参拝者で賑わっています。

 
一畑薬師縁起
 

今からおよそ1100年前の寛平6年(894)、一畑寺の麓、日本海岸の坂村に与市(よいち)という漁師がおりました。盲目の母親と二人暮らしであった与市は、ある日、となりの無人の赤浦海岸で漁をしていました。

漁をしている与市の釣り舟の上空を、ミサゴ(ワシタカ科の鳥)が輪を描いては沖へ、輪を描いては沖へと、まるで与市を呼んでいるかのように飛んでいました。

しかもその尾が金色の光を放っているではありませんか。不思議に思って舟を進めると海中に光るものが見えます。恐る恐る引き上げてみると、それは大きな仏さまでした。

何気ないことから仏像を海中より引き上げ、持ち帰った与市の家には、それからというもの、夜中に大きな家鳴りがあったり、突然稲光がしたりと不思議なことが起こるようになりました。

ます。この後、与市の家には不思議なことが相次いで起こり、夢に薬師如来のお告げを受けます。

ある日、旅の僧が一夜の宿をたのみましたので、お泊めしてどうしたことかとその理由を尋ねます。

僧はじっと仏さまを拝んでおりましたが、やがて、これは薬師如来という仏さまに違いなく、昔インドの祇園精舎で、お釈迦さまの聴衆にたくさんの病人が出たとき、精舎の南西の隅に無上院という療病院を作り、そこに薬師如来を安置し、多くの病人の治癒を祈ったということ、そして、このありがたい仏さまを一日も早く聖地を見つけ、お堂を建ててお奉りするようにと告げました。

あくる朝、旅の僧は一丁も行かないうちに、霧に包まれかき消されるように姿を消すのを見た与市は、如来さまが自分にお諭しになったに違いないと、いつまでも手を合わせておりました。

その後しばらくして、与市は夢に薬師如来のお告げを受けます。

「親孝行に免じて、母親の目を開けてやろう。海岸の百丈が瀧から飛び降りるがよい。」

与市は、母親の眼病を治すために、千把の藁を身にまとい、近くの百丈が滝から飛び降りてお告げを実行しようとします。

村人はこれをなだめ、母親もこれを聞き、何とか思いとどめさせようと無我夢中で走り出します。果たして与市は飛び降り、千把の藁はバラバラになって転げ落ちてゆきました。

気がついてみると、大きな石の上に安座した与市の体に怪我はなく、我が子の身を案じて駆け寄った母親の目はしっかりと開いておりました。

その後、与市は如来を背負い山へ向かいました。

あちらこちらと聖地を探すうちに、三人の童子が現れ手招きをしますので、その方向へ行くと、眼前は急に開け、今までの断崖の日本海側とは違い、なだらかで日当たりもよく、願かに宍道湖を見下ろす、水も豊かに流れる山の中腹でした。

このとき、背の如来さまが急に重たく感じました。山のふもとに向かって走り去る三匹の白い狐を見ました。「この場所だ。」与市は直感しました。

そこへ四間四面のお堂を建てて如来をご安置することになります。

時に寛平5年(894年)4月8日と伝えられています。

与市は、比叡山に上り出家をし、摩訶止観の法を修め、名を補然と改めました。

[問]一畑寺(Tel.0853-67-0111・Fax.0853-67-0115)[アクセス]J山陰道宍道ICよりR431経由車で約30分、一畑電車一畑口駅下車、バスで約10分[駐車場]130台 バス10台[場所]島根県出雲市小境町 803番地

宍道湖自然館ゴビウス(平田地区)
 
汽水をメインテーマにした体験学習型水族館「島根県立宍道湖自然館ゴビウス」。

島根県の川や湖に生息する生きもの約180種類9000点を展示。

お子さまから大人の方まで楽しんでいただける「遊び、学ぶ、いやし」の水族館です。

みなさまのお越しをお待ちいたしております。 

愛称の「ゴビウス」とは、ラテン語で「小魚」という意味があるほか、生物の世界共通の名前である学名では「ハゼ科」の総称として用いられています。 

[問]島根県立宍道湖自然館(Tel.0853-63-7100・Fax.0853-63-7101)[開館時間]9:30〜17:00(最終入館16:30)[休館日]火曜日(祝日の場合は開館、翌平日休)、年末(12月28〜31日)[入館料](幼児は団体人数に含まれません。)大人・大学生500円・小中高生200円・幼児無料 団体(20名様以上)大人・大学生400円・小中高生160円 ※手帳所持者の方は入館料が一般料金の半額となります。(手帳の種類は身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳) 手帳所持者の方1名につき、介添人の方1名が無料となります。※学校教育でのご来館についてお問い合わせ下さい。※発行日より1年間有効の年間パスポートがあります。大人1,400円、小中高校生500円[駐車場]100台(無料)[アクセス]一畑電鉄湖遊館新駅から徒歩10分(または出雲空港からタクシー約10分)山陰道宍道ICから国道9、県道23号線などで約12分[場所]島根県出雲市園町沖の島1659-5

 
湖遊館(平田地区)
 
宍道湖公園にある山陰最大規模の本格的スケート場。

あらゆるスポーツやイベントに適応する他目的スペース。

[問]Tel.0853-62-5600[アクセス]一畑電鉄湖遊館新駅下車[場所]島根県出雲市園町660-1

  
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