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  安芸の国を結ぶ参勤交代の津和野街道宿場町として栄えました。中国地方の大河・高津川は水源公園を源として日本海に注ぐ。また、錦帯橋で有名な錦川の支流・深谷川も町内に源を発しており、"水源の町"として知られる。  
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●車で
広島IC〜六日市IC約1時間15分・山口IC〜六日市IC約1時間・
岩国〜六日市約1時間(一般道利用)・津和野〜六日市約1時間(一般道利用)
●高速バス
広島からでしたら高速バスもご利用可能です。石見交通・益広線が運行されていますのでご利用下さい。 広島駅、広島バスセンターから搭乗できます。
●問い合せ

島根県観光連盟(0852-21-3969)・吉賀町企画観光課(08567-7-1111)
鹿伝説…吉賀町名称の由来
吉賀町には、鹿にまつわる二つの伝説が残されています。ひとつは「ヤクロウ鹿」伝説です。大鹿山に片方の角が四股ずつになった「ヤクロウ鹿」と呼ばれる怪鹿がいまました。それを捕らえようと追いかけ、夜になって夜打原で矢を射ったが当たらず、さらに追いかけて六日市町の六日市で六日間追いかけ、七日市で七日間追いかけ月和田でやっと捕らえました。そしてその鹿を殺してユズの木でつり下げたため、その祟りで田丸から上ではユズがならないと伝えられています。
もう一つは「八畔(やつぐろ)の鹿伝説です。昔、角が八股に分かれた「八畔の鹿」という悪鹿がこの地方を荒らし回ったため、都から江熊太郎という武士を招いてこれを退治しました、この悪鹿のたりを恐れて祀ったのが木部谷の奇鹿神社といわれています。なお、この地方では「吉賀」と称されますが、これは悪鹿(あしか)の逆に「よしか」として吉賀の文字をはめたといわれています。
平家伝説柿木地区には平家伝説もいくつか残されています。
柿木地区にある夜打原は、高津川に沿って落ちてきた平家の残党が源氏の追手により夜打にあい、大部分が打たれて果てたという悲話を伝えています。平栃の滝穴には、平家の残党の坂田源兵衛が年老いた母親をつれて逃れ住んでいたいいます。源氏谷というところには釜石という大きな石があり、ここで追手が飯を炊いたと伝えられます。
アクセス
長瀬峡
六日市地域の東北端で、山口県玖珂郡錦町との境界に南北にのびる峡谷。
深谷川に刻まれた峡谷で、総延長およそ14km、深谷川の河津集落と金山谷集落との間の中流区間(約4.5km)にあたる。V字の峡谷をなし、東西に1,000m前後の山岳が並び、昼なお暗い。河面は滝や奇岩が連続する。河津の上流にはシャクナゲの群生地があり、下旬の開花時期はみごとである。深谷川下流の渓谷大橋付近の地形は、河川争奪地形として有名。
5月滑らかな岩肌を澄んだ水が流れる長瀬峡は夏は絶好の水遊びの場となり、子供たちの歓声がが絶えません。山口線日原駅からバス1時間20分、初見下車徒歩1時間吉賀町金山谷
深谷大橋
深谷渓谷にかかるアーチ型大橋で、延長99.5m、水面からの高さ約80m。真紅の橋は春の新緑、秋の紅葉、冬の雪山などの自然とマッチして壮観です。近くには、常設テントやテントサイト、水洗トイレなどが完備した深谷キャンプ場もあり、快適なキャンピングライフが楽しめます。
水源公園
高さ20m、根回リ5m,樹齢1,000年以上といわれ、島根県の名樹百選に指定されている一本杉と、高津川の源で名水百選に指定されている大蛇ケ池を中心とした公園です。大蛇ヶ池の湧き水は、書道に最適といわれています。また一本杉のそばのしょぶ園では、5月下旬から6月下旬にかけて美しい花が満開となり、訪れる人々の目を楽しませてくれます。
高尻川リバーサイドログハウス
町内の七日市から匹見町に至る県道沿い、安蔵寺山系を源とする高尻川のすぐそばにあり、休憩や宿泊のできるログハウス、管理棟(20名)と、別棟のログケビン(3〜5名)2棟があり、また、オートキャンプ場テントサイト(6区画)も備えています。広々とした田園のなかでのバーベキューや水遊び、釣り、町内観光などの拠点として人気が高まっています。
コウヤマキの自生林
六日市IC近くの南側一帯に、約48haに及ぶ純林に近いコウヤマキの自生林が広がっており、このうち25haは島根県自然環境保全特別地区に指定され、また町の天然記念物にも指定されています。
コウヤマキ自生林管理棟
町内の「自然と趣味に生きる会」が、コウヤマキの自生林や豊かな自然資源を観察し、保護・育成するための活動拠点としている施設で、休憩コーナー、展示室、研修室などがあります。また、訪れる人々に、地域の情報の提供、コウヤマキの展示即売、その栽培方法や森林体験の指導、自然観察会についての講演会なども行っています。
安藏寺山
六日市町、日原町、匹見町の三町こわたって雄大な山容をくりひろげる山で、標高1,263m。島根県第一の高峰です。登山道周辺には大小の奇岩が点在し、頂上付近には可憐な高山植物が咲き乱れています。ブナの原生林に覆われた山頂からの展望は見事です。
道面家住宅
石見地方の代表的な庶民住宅として重要文化財の指定を受けた建造物。元禄時代(1688〜1703)に建てられたもので、農業に適した構造の民家で外形はほとんど増改築の跡が見られず、往時の姿をそのまま残し、基礎も土台がなく、柱、束の下には玉石が使われている。壁は丸竹が組み結ばれ、その上に赤土に切藁を締り混ぜて環土(たまつち)にしたものが打ち込むように塗ってある。茅葺の屋根は低く葺下して、軒下は180cmくらいで冬の寒さを防ぐ工夫がされている。桁や梁はほとんど素材に近く、たる木には丸太木や竹が使われているが、径は25〜30cmくらいで建築材としては貧弱である。奥の間の天井には一部割竹が使われ、表の間には天井がなく、囲炉裏の煙が抜け易い構造になっている。内庭は広く取られており、収穫期や紙漉きの作業場として利用できるようになっている。
山口線日原駅からバス1時間、注連川下車徒歩5分吉賀町注連川
石積古墳
大きなふた石や石室を構成していた石がたくさんあり、そこから直刀、紡錘車と壷のかけらと思われる須恵器などが出土しています。
大井谷の棚田
大井谷は大井谷川の侵食によってできた谷で、伝えるところによると、15世紀末に山口の三浦氏が大内氏から逃避してここに住みついたといわれています。鹿足郡で初めて半紙を漉いたのは三浦氏で、三浦氏はその功を認められ郷士にされています。大井谷には棚田が発達しており、昔から上等米を産することで知られています。
唐人焼窯跡
豊臣秀吉の朝鮮出兵(慶長の役1597年)で、吉見軍に加わって従軍した斎藤市郎左衛門は朝鮮から李郎子を連れ帰りました。李郎子は杉ヶ峠の近くに住んで陶器を焼くようになり、後に日本人を妻に迎えました。ここを誰がいうともなく、後世「唐人屋」と呼ぶようになりました。近くには李郎子の墓もあります。昭和56年(1981年)に発掘調査が行われ、皿や碗の破片、窯道具などが出土しています。
亀田の水穴
山の麓に掘られた水路トンネルで、村内の福川にあります。穴の口80cm四方、長さ約95m。寛永(江戸時代初期)のころ、水不足に悩んでいた地域の人々が、潅漑のために山の向こう側から水を引こうということで、羽生太郎左衛門という鉱山師が山ひとつをくり抜いて作りました。今も用水として使われています。
愛宕神社
愛宕神社は、延長元年(923年)に順円阿閣梨という修験者が桐を創立し、軻遇突智神、伊邪那岐神を勧請して「愛宕大権現」と称したのがはじまりとされます。境内には樹齢1,000年といわれる大枠をはじめ、島根県名樹百選に指定されている大トチの木、ケンポ梨、カシの古木などが立っています。
萬歳楽
柿木村の北部、高津川沿いの谷間に家々が点在する六十九戸ほどの集落、下須。ここで行われる「萬歳楽」は、戦時中に一時中断したものの、実に五百年もの長きにわたって伝えられている伝統行事である。「萬歳楽」の舞を奉納する神事に続いて行われる「大飯食い」がユニークな奇祭として知られているが、そのルーツをたどると、自然条件の厳しい山間の農村に暮らす人々の心が見えてくる。
今から五百年前のこと、当時は九戸の家からなる小さな村であった。豊作ばかりが続くわけではなく、流れやすい痩せた土地と厳しい気候のせいで実りの悪い年もある。しかし年貢米は自分たちの食べる分を減らしても納めなければならない。苦労して米を作っても、そのほとんどを持っていかれる。九戸の人々は集まって「腹がいっぱいになるほど米を食いたいものだ」と話し合ったのだろう。秋の収穫が終り、厳しい冬を迎えようとする頃、この地区の人々が集まって、米を炊いて、その年の実りに感謝を捧げ、椀からこぼれんばかりに飯を盛り、皆で食べた。たらふく食べた。自然と笑みがこぼれる…。 こうして始まった「萬歳楽」は、村人の一年に一度の楽しみとして、戦時中の食料難の頃には仕方なく一時中断したものの、戦後復活。その後も脈々と受け継がれ、今に至っている。 
「萬歳楽」が行われる十二月初旬、毎年の幣くじで選ばれた当屋の家はにぎやかである。早くから家の前には幾本もの職が立てられ、風をはらんではためく。周囲に、今年はこの家で「萬歳楽」がなされるのだと誇示する景色である。やはり当屋になることは晴れがましいことであり、その家の繁栄にもつながっていくのだろう。この当屋を決定するのは行事の中で行われる幣くじであり、次の年の当屋になりたいという人がそれぞれの地区から一人立ち、くじの結果を待つ。その当たりはずれで五つの地区の一喜一憂が見られるという。「よどの日」、「日の晴れ」と二日間にわたって行われる「萬歳楽」。まず神職、菰敷、客人代表によって舞いが奉納される。扇子を右手、榊を左手に持ち、これを交互に上下に振りながら「萬歳楽、萬歳楽、萬歳楽」と大声で唱える。古式に則った神事に一同厳粛な気分で事は進行していく。当屋、客人などのそれなりのあいさつなども行われる。しかしこの行事のハイライトは何といっでも「高飯」と呼ばれる大飯を食べることである。およそ四合の飯を椀に盛り上げるようにして入れた「高飯」、その高さは八寸(二十四センチ)以上にもなるという。山のように盛られた飯を食べるのは五地区から招かれた十五人ほどの客人だ。一杯を食べ切るのもやっとなのに、当屋側は客人にもつと食べてもらおうと、食べ終わったそばから椀を奪い取ってまた同様に飯を盛って出そうとする。客人たちはそうされたらたまらないと必死に椀を取られまいと隠す。背中に回したり、懐に抱え込んだり、たもとにしまい込んだり…。こうした「椀隠し」の甲斐もなく椀が盛り付け役の女性に奪われたりすると、またそれで座がどつとわく。こうして笑いのうちに、収穫を感謝し、来る年の豊作を願う「萬歳楽」は終了していく。

  
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