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隠岐に到着した後鳥羽上皇は、牛が角を突きあわせて戯れている情景に、大変喜ばれたそうです。その後、島人は上皇の心を慰めるために度々闘牛を催しました。これが隠岐の闘牛「牛突き」の起源と伝えられています。  
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隠岐島の観光

 
大山隠岐国立公園
 
本土から約40キロの日本海に浮かぶ隠岐は、住民の住む4つの島など大小約180の島々からなる諸島です。

抜けるような青空と紺碧の海がたくましさと躍動感を感、じさせる夏の隠岐。

そして北西の季節風がもたらす風波に荒れる日本海に不気味ささえ感じる冬の隠岐。

これら自然の明と暗が織りなす島嶼(とうしょう)環境の中で、古来、日本海という自然の大動脈を通じて大陸の先進文化が日本本土に伝来しましたが、隠岐はその玄関口であり、また中継点にありました。

当時の日本にとつての国際社会とは、中国の歴代王朝を中心とした束アジア文化圏であり、、まさに「環日本海文化圏」であったといえます。

この大陸文化の影響を強く受けた日本の原始、古代から中世の歴史の涜れの中で「流人の島」隠岐の歴史と文化が育まれました。

近世に入ると、越前、加賀などの「北前船」の活動が活発化しできました。

本土各地との商業活動も始まり、隠岐は「辺境の島嶼」ではなく、本土の生活や文化が移入され、本土の情報も容易に伝えられる島へと変貌していきました。

隠岐を代表する民謡「しげさ節」や「どっさり節」など独特の情緒を持つ隠岐民謡には、蝦夷地(現在の北海道)から九州までを行き来する船頭によって伝えられた各地の文化や民謡から発達したものが多いのです。

また新聞記者の安井武己氏は「隠岐の島起こしを考える」という特集記事「山陰中央新報』1991年1月20日で「海岸美や固有の動植物といつた美しい自然、貴人の配流の島だったことなどによる歴史資料の豊かさ、さらに島民の素朴な人柄、人情味」を"静的な要素"と呼び、「祭りや牛突き、柑撲に狩猟、釣りといった躍動感あふれる勇壮な」ものを"動的な要素"と呼んでいます。

そして「静の穏やかな隠岐と、動の雄々しい隠岐。この対極に位置する二つの要素を、隠岐はどちらも持っており、「対極であるからこそ、互いに相手の要素を際立たせているともいえる」と述べています。

隠岐は本土が長い歴史の中で失っていった人情や伝説を、離島という厳しい自然環境であったことから、後世に継承し、より豊かなものにしていったといえます。

そして厳しい環境の中で育まれた「たくましい」島民の「優しさ」は来島者を歓待し、大きく包み込みました。

ラフカディオハーン (小泉八雲)もまた隠岐を訪れてその魅力にとりつかれ、旅行記「伯耆から隠岐へ=知られぬ日本の面影」を残しています。

その中で「少なくとも島前では現代の人工的もの総ての範囲を脱して自己を識る歓喜をそこで感じた」と述べたハーンは晩年、隠岐に家を建てて住みたいと念願していたと伝えられています。

 
変化に富んだ海岸線
 
隠岐の海岸線を見ると、外海に面した場所と湾内とではその景観が一変しているのに驚かされます。

また浸食の激しい外海部でも、冬期に季節風が吹きつける北西部の海岸は特に激しく、巨大な海食崖や海食洞が多く見られます。

海食崖の代表は何といっても国賀海岸の摩天崖です。

海上からほぼ垂直にそそり立つ257メートルの岩壁はまさに絶景といえるでしょう。

また知夫村の赤壁など、ほかにも多くの優れた海食崖の景勝地があります。

海食洞の代表的なものも国賀海岸に見られます。

巨大な岩の架け橋通天橋や、200メートルにも及ぶ天然のトンネル、明暗の岩屋など、大小さまざまな変化に富んだ海食洞が多く見られまず。

また海岸や小島にはクロマツが茂り、海岸の景観をより素晴らしいものにしています。

クロマツの林床や海岸部には、オキノアブラギクやオキタンポポ、トウテイラン、ダルマギク、オキノアザミなどの隠岐を代表する植物が多く生息しています。

このほか、大波加(おおはか)島や星神(ほしかみ)島などの無人島では数千羽のオオミズナギドリが子育てをしており、菱浦港や別府港ではクロキヅタが生息しています。

このクロキヅタは紅海や大西洋にしか生育しない珍しい滞藻なのですが、不思議なことに隠岐にも見られ、海藻としてはわが国唯一の天然記念物に指定されています。

このように非常に変化に富み優れた景観を有する隠岐の海岸線は、昭和38年に大山隠岐国立公園に指定され、その保護と利用が図られてられています。

 
豊かな内陸部の自然
 
隠岐に渡ってみると想像以上に島が大きく、けっこう山国なんだなという感想を漏らす人が多くいます。

特に島後は島も大きく山も険しいため、いったん内陸部に入り込むと島というイメージは消え去ります。

隠岐最高峰の大満寺山は標高608メートル。

一連の山塊は急峻で岩場も多く、トカゲ岩や鷲ヶ峰のびょうぷ岩など県下でも第一級の景勝地が見られます。

また植生も豊かで陵線や尾根部にはクロベ、ヒメコマツなどが生育し、林床にはオキシャクナゲが群生しています。

このオキシャクナゲはホンシヤクナゲの一品種で、葉が小さく鉢物などに適し土産物としても利用されています。

またわが国で最も低い場所に自生しているところから、暖かい気候にも耐え栽培しやすいシャクナゲといわれています。

谷奥部などにはスギやモミ、ウラジロガシなどが生い茂り、老木や岩場には地元で「隠岐ふうらん」と呼ばれるナゴランや「ささふうらん」と呼ばれるフウラン、セッコクなどの着生ランが生育しています。

しかし、残念なことに近年は乱獲等のため自生しているものはほとんど見られなくなつてしまいました。

また隠岐の島町布施の中谷奥には、樹令250年以上といわれるスギの巨木林があり注目を集めています。

最近、歩道や展望所が整備されたこともあり、ここを訪れる人が多くなりました。

内陸部の林内には隠岐島固有の種であるオキノウサギやオキサンショウウオ、オキタゴガエル、オキオサムシ、オキマイマイなど珍しい生物が多く生息しており、ヤマネ(天然記念物)やカラスバトも生息しています。

このように大満寺山一帯には優れた自然が残っており、国立公園にも指定されています。

よく隠岐島全域が国立公園の指定区域のように思われがちですが、指定されているのは海岸部と内陸部ではこの大満寺山を中心とする一部だけなのです。

このほか隠岐島は中国地方唯一の黒曜石の産地として知られ、今でも五箇村の一部では土産物の原料として掘り出されています。

この黒曜石はマグマが急激に冷やされ、結晶になる前にガラス状に固まったもので、割れ口が馬のひずめのようになるのが特徴です。

この割れ口がカミソリの刃のように鋭いところから、縄文時代には矢じりなど重要な生活道具として使われました。

 
遠流の島
 
隠岐は「涜人の島」とよくいわれます。

作家の司馬遼太郎は「日本史上の離れ座敷」と呼び、歴史の半面は「流人の歴史である」と言っています。

また「隠岐国」とも呼ばれます。それは隠岐が佐渡、淡路、対馬、壱岐の四島とともに、八世紀に体系化された律令制度によって、一島で一国とされたからです。

隠岐が流刑の地となったのは、佐渡、常陸、安房、伊豆、土佐と合わせて、律令制度によって流刑の中でも最も重い「遠流の地」と定められてからでした。

それ以来、江戸時代の終わりにかけて、天皇や皇族、公家、学者、僧侶などたくさんの人々が流されました。

近世までの流人は政治犯がほとんどだったようですが、それ以後、隠岐には近畿、山陰、山陽方面の主として犯罪者が流刑されたようです。

流人の中には隠岐の歴史を彩った人々が何人かいます。

そのうちの一人、平安時代の学者で公家の小野篁(小野小町の祖父)は承和元年(834)に遣唐副使に任命され、中国へ派遣されることになりましたが、大使の藤原常嗣との間で遣唐船の交換を巡って対立、抗議した篁は病気と偽り、命令に服さなかったため承和5年に隠岐へ涜刑となったのです。

篁は相当な文化人で、しかも美男の都会人だったので大変もて、二年の在島期間に三人の島の女性との恋の話が伝わっています。

中でも美しい村の長者の娘「阿古那(奈)」との悲恋は、篁が阿古那に贈った二体の木像彫刻(西郷町上西の都万目に伝わっている歯痛に霊験があるとされる地蔵堂の「あごなし地蔵」)の伝説とともに、島人の哀感を伝えています。

 

思いきや ひなの別れにおとろへて あまのなはたぎ いさりせんとは

…小野 篁『古今和歌集』

 

延応元年(1239)2月22日に、隠岐で60歳の生涯を閉じたのは後鳥羽上皇です。

上皇は寿永2年(1183)に祖父の後白河法皇の院政のもとで天皇に即位し、建久9年(1198)から院政を行いました。

上皇は朝廷での親幕勢力の排除に努め、公家勢カの伸張を図りました。

そして、ついに承久3年(1221)こ朝権回復を目指し、時の鎌倉幕府の執権北条義時の追討を命じ挙兵しましたが、幕府軍に完敗しました。

この承久の乱の失敗によって、上皇は隠岐へ配流されることになったのです。

この年の8月に隠岐へ到着した上皇一行は、侍二人と女官、医師それぞれ一人のわずか四人の従者だけだったといわれます。

 

われこそは 新島もりよ おきの海の 荒き波風 こころして吹け

…後鳥羽上皇『遠島百首』

 
この和歌は渡海の際に、上皇が船中で詠まれたと伝えられています。

行在所は海士町苅田の勝田山の源福寺境内に急造され、近くには在地の豪族村上氏の居館があり、上皇のお世話をしていました。

上皇はこの粗末な行宮で多くの和歌を詠み、在島中の御製は『遠島百首』にまとめられています。

また上皇自身の勅撰によって藤原定家らに撰修させた『新古今和歌集』をさらに厳撰し、御製も含めた三百八十余首を取捨し『隠岐本新古今和歌集』を撰修しました。

豪気な気性で相撲、水泳、流鏑馬など武道を好み、和歌や管弦にも長じた文武両道の後鳥羽上皇は在島19年、わびしい隠岐の行在所でついに病を得、幕府打倒と都への遷幸の望みを果たすことなく、一生を終えたのでした。

後鳥羽上皇の没後百年近く経って、上皇同様、鎌倉幕府を打倒して天皇親政を実現しようとしたのが、後醍醐天皇でした。

天皇は鎌倉末期の正中(しょうちゅう)の変(正中元年、1324)に次いで、元弘元年(1331)に元弘の変を起こし失敗しました。

幕府は捕らえた天皇の隠岐配流を決定し、天皇一行は翌年3月に京都を出発しました。

お供は一条行房、六条忠顕、三位局廉子という寂しいものだったと伝えられています。

4月1日に美保関から隠岐へ向けて出航、翌日到着しました。隠岐での天皇の心境について

 

すまのあま 浦こぐ舟の 輯をたえ よるべなき身ぞ 悲しかりける 

…後醍醐天皇『続古今和歌集』

 
などの和歌が残されています。

今も論争が続いているのが、天皇の行在所問題です。

口碑伝説を根拠にする島前黒木御所説(西ノ島町)と、文献資料に依拠する島後国分寺説(西郷町)(現隠岐の島町)の二説です。

どちらの説も決定的とはいえず、今後の研究と史料調査の進展が期待されます。

強烈な個性と強固な意志を持った天皇は在地の豪族近藤氏や村上氏等の支援もあり、島外の倒幕派と密接な連絡を取り、脱出の機会を狙っていました。

そして、元弘3年(1333)閏(うるう)2月、六条忠顕ら二、三人と隠岐脱出を実行し、追っ手の難を逃れ、島根半島の浦々を転々とし、伯耆の港に到着しました。

伯耆の御来屋に着いたと伝えられる天皇は、在地の豪族名和長年に擁されて船上山に入り、ここに建武の新政実現への一歩をしるしたのでした。

ここで紹介した三人以外にも、伝説の域を出ないものも含めて、多くの流人がいます。

隠岐の流人第一号といわれる柿木躬都良麿(人麻呂の子)、奈良時代の女性涜人名草直(なぐさのあたい)高根女、淳仁天皇の弟船王、八幡太郎義家の子源義視、後鳥羽上皇を批判した僧文覚上人、そして江戸初期に派手な宮中女官との遊蕩乱行をとがめられた飛鳥井少将雅賢などが配涜されています。

このように隠岐に流刑になった人々の数は、三千人を下らないといわれています。この流人たちの悲喜こもごもの思いや島の人たちとの交流が、伝説や民謡などの中に残って、今に伝えられています。

 

「公卿の子が泣く 知夫里の島で 母に鼓がついたやら……」

 …隠岐の麦つき歌 

 
隠岐観光協会(島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫4-57)Tel.08512-2-1577
西ノ島町観光協会(島根県隠岐郡西ノ島町浦郷544-38)Tel.08514-6-0021・ Fax.08514-6-1411
海士町観光協会(島根県隠岐郡海士町海士1490)Tel.08514-2-0111
知夫里島観光協会(島根県隠岐郡知夫村来居)Tel.08514-8-2272・ Fax.08514-8-2272
隠岐國商工会(隠岐郡海士町海士1490)Tel.08514-2-0376
  

《 隠岐の島町(島後)観光案内 》

 
隠岐ポートプラザ
 
隠岐の玄関口、西郷港に面した隠岐観光の拠点施設です。

1Fは、観光総合案内所、レンタサイクルやマウンテンバイクの受付、チケットカウンター、特産センターなどがあるインフォメーションフロア。

2Fは、隠岐の自然を紹介する見学施設の隠岐自然館と観光ガイド施設のレインボープラザ。

3F〜6Fは隠岐ビューポートホテルとなっています。

 
隠岐自然館
 
日本海に浮かぶ隠岐は約2万年前まで山陰本土と陸続きでした。

氷河期が終わり本土と離れるまでに隠岐には北方系のオキシャクナゲやオオイワカガミ、大陸系のトウテイランやチョウジガマズミ、南方系のナゴランやヒトモトススキなどの植物が渡りました。

一方、海では対馬暖流の影響を受け南方系のマツカサウオやミノカサゴ、そして北限の造礁サンゴが見られます。

隠岐自然館では国立公園にある隠岐の海と島にすむ鳥・魚・虫・貝・花・石などの標本や生態を展示しております。

[問]Tel.08512-2-1583・Fax.08512-2-7020[開館時間]8:30〜17:30[休館日]年中無休[アクセス]西郷港よりすぐ[場所]隠岐郡隠岐の島町中町

 
玉若酢命神社
 
隠岐の総社として、創建された社殿で、本殿は隠岐造(おきづくり)ともいわれる独特のもので、屋根はカヤぶきです。

境内には高さ29m、樹齢2000年といわれる天然記念物の巨木、八百杉があります。

また億岐家は隠岐国造(おきのくにのみやつこ)の末裔(まつえい)といわれ、宝物殿には駅鈴・唐櫃と隠岐国倉印の三宝物が展示されています。

毎年6月5日に行なわれる玉若酢命神社例祭が隠岐三大祭りの一つ「御霊会風流」です。

この祭りの最大の見所は、8頭の神馬が馬付きと共に本殿に向かって駆け上がる勇壮な「馬入れ神事」です。

馬付きと呼ばれる若い衆たちは、5日ほど前から潔斎(けっさい)を繰返します。

その間は、他人とは火を別にし、もちろん家族とも離れその時に備えます。

頑固なまでのしきたりの踏襲に伝説と現代が混沌としつつ確実に世代継承されています。

この祭りが終わると隠岐の島に初夏の香りが漂ってきます。

[問]億岐家宝物殿(08512-2-0571) [入館料]大人 300 円 小人100円 15人以上 250円[開館時間]9:00〜17:00(3月〜11月)[休み]期間中月曜、祝日の場合は翌日休[アクセス]西郷港から隠岐一畑交通バスで5分、玉若酢神社前下車すぐ[駐車場]玉若酢神社の駐車場利用[場所]隠岐郡隠岐の島町下西713

 
 
億伎家
 
玉若酢命神社の宮司をつとめる億岐家は、隠岐国造の家系で、古くより駅鈴と倉印が伝わっています。

駅鈴は、律令時代に宮人が駅馬を徴するとき、この駅鈴を示し宮人であるという証拠としたものといわれています。

また、倉印は税の出納に使用したもので、この隠岐の倉印のほかに駿河、但馬の国に伝えられている日本に現存している三倉印の一つであり、駅鈴、倉印共に昭和10年(1935)に国の重要文化財に指定されています

 
 
玉若酢命神社の八百杉
 
玉若酢命神社参道をのぼり、境内の神門をくぐると右側に県下一を誇る杉の大木である八百杉があります。その大きさは樹高30メートル、根元の周囲は約20メートル、目通り幹9メートルにおよびます。

また樹齢は2000年を超えると言われています。

杉の大木、八百杉があります。この八百杉は昭和4年(1929)に国の天然記念物に指定されています。

 
八朔牛突大会
八朔牛突大会
モーモードーム
 
隠岐の牛突き
 
隠岐の牛突きは鎌倉時代、承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇をなぐさめるために、雄牛を集めて闘わせたのが始まりとされる。

承久3年(1221)8月、隠岐に到着した後鳥羽上皇は、船で海士の行在所(あんざいしょ)に向かいましたが、風波のために崎村から陸路で海士の苅田郷へ向かうことになりました。

その途中で牧場の牛が角を突きあわせて戯れている情景に、上皇は大変喜ばれたそうです。

その後、島人は上皇の心を慰めるために度々闘牛を催しました。これが隠岐の闘牛「牛突き」の起源と伝えられています。島民の娯楽として全島で行われて来ましたが、現在では島後にのみ残っている。

牛突きに出場するのは三歳から五歳までの隠岐産の牛に限られています。横綱クラスの牛になるには四、五年くらいかかり、体重は八百キロを越えるそうです。

各所で催される牛突き大会の中で、都万村壇鏡神社の八朔祭り(9月1日)に開かれる奉納牛突き大会が最も伝統をもち、年数回の牛突きの決勝大会とも言うべきものである。

牛突き用の牛は、初め農耕牛を使っていたが、現在は牛突き専用として生後1年ぐらいから訓練し、飼料も特殊なものを与え、丹精して牛突き用の牛に仕立てあげる。

いよいよ決戦の日、島内各地から盛装して集まった牛たちが、大勢の観衆に見守られ東西に分かれて入場してくると、場内は熱気に包まれる。

いよいよ本番に入ると、頭取の合図で仕切りに入り、しばらく見合ったのち激しい突き合いが始まる。

勝敗をにぎる綱取りの男のきびしいかけ声に、鋭く削った角で突き合い、巨体をぶつけ合い血を流しながらの死闘が数十分、時には1時間にも及び、そのスリルと興奮は一方の牛が悲鳴をあげて逃げだした瞬間頂点に達し、勝った牛の回りには人々が我先にと駆け寄り、争ってその背にとび乗ろうとする。

隠岐の牛突大会は都万以外に五箇村でも奉納大会(10月13日)が行われるほか、最近では観光用として西郷町などでも開かれている。

 

牛突き春場所(西郷)/4月下旬〜5月4日(モーモードーム)

観光定期牛突(西郷)/5〜10月の土曜日(モーモードーム)

[問]隠岐の島町観光協会(08512-2-0787)[開催日時]5月、6月、7月、8月、9月、10月の毎週土曜日 午後4時開催(所要時間10分程度)[入場料]大人500円・小人250円[駐車場]あり[アクセス]隠岐一畑交通バス有木経由五箇行きで17分、国分寺前下車すぐ[場所]隠岐郡隠岐の島町池田

観光牛突(五箇)/7月〜8月

毎年7月1日〜8月31日の期間、姿沢牛突き場で観光牛突きが開催され、期間以外でも予約制で見ることができる。

隠岐牛突夏場所大会(西郷)/8月15日(モーモードーム)

八朔(はっさく)牛突大会(都万)/9月1日

[問]隠岐の島町都万支所地域振興課(08512-6-2311)[料金]無料[駐車場]無料200台[アクセス]西郷港から県道44号経由で40分[場所]佐山牛突き場(隠岐郡隠岐の島町都万)

一夜ケが嶽牛突(観光の牛突き)(五箇)/10月13日

「一夜ヶ嶽牛突大会」は、北方(きたがた)の「一夜ヶ嶽神社」の奉納行事として開催されていますが、その起源については定かではありません。

「一夜ヶ嶽牛突大会」は、かつては9月13日に開催されていましたが、都万地区の八朔大会のすぐ後の開催というのは関係者一同にとって大変であることから、期日が変更され昭和48、9年頃に現在の10月13日に改められました。

本場所大会として、隠岐独特の絢爛豪華な土俵入りも披露される。

[問]隠岐の島町都万支所地域振興課(08512-6-2311)[料金]無料[駐車場]無料100台[アクセス]西郷港からバス35分、バス停:五箇支所前→徒歩5分・西郷港から国道485号経由で40分[場所]一夜嶽牛突場(隠岐郡隠岐の島町五箇北方)

 
 
佐々木家
 
隠岐最古級の木造住宅です。

母屋は杉皮葺き、石置き屋根、切妻平屋建で、天保7(1836)年に建てられたものです。屋敷内には農具、飲食用具、灯火用具など重要な民俗資料が多数展示されています。

建物の桁行きは長いところで十一間、梁間は約七間、建坪六十九坪のかなり大きいものです。

杉皮葺きの屋根は、三枚づつ重ねており、これらを押さえる屋根石は八百個を必要とします。平成4年には国の重要文化財に指定されました。

[問]佐々木家住宅(08512-2-1290) [入館料]大人 400 円 中学生以下 200 円 15人以上 大人 300 円 中学生以下 100 円[開館時間]9:00〜17:00(3月〜11月)[休み]期間中月曜、祝日の場合は翌日休[アクセス]西郷港から隠岐一畑交通バスで20分、釜入口下車、徒歩3分・P付近可[場所]隠岐郡隠岐の島町釜

 
 
乳房杉
 
島後の最高峰である大満寺山(標高608メートル)の東麓にある。

樹齢800年ほどの古杉は、根まわ16メートルで地上3メートルのところで15に分岐し、さらに地上10メートル位のところから、20数個の巨大な鐘乳石状の乳根が下がり、長いものでは2.6メートルにも達する。

地元の人々はこの大変珍しい木を乳房杉と呼んで、毎年4月23日には、祭りを行っています。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[アクセス]西郷港からバス50分 徒歩60分[場所]隠岐郡隠岐の島町岩倉

 
 
屏風岩
 
島後(どうご)の最高峰大満寺山(だいまんじさん)北側の尾根に位置する鷲ヶ峰(わしがみね) 登山道入口から中谷駐車場までの1.7Kmの登山道が整備されています。

この大満寺山一帯は、貴重な野生動植物の宝庫となっています。

また、途中には屏風岩(びょうぶいわ)といわれているおよそ80mの柱状節理が発達した断崖や、トカゲ岩といわれる切り立った断崖面を全長35mの巨大なトカゲがよじのぼっている奇異な光景を見ることができます。

屏風岩は高温の流紋岩質火砕流堆積物が固まる時に,柱状の割れ目(柱状節理といいます)が発達し,この割れ目に沿って崩落したために急崖となり、それが屏風のように見えることから名付けられたものです。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[アクセス]布施村役場から車で15分の駐車場から徒歩10分[駐車場]30台[場所]隠岐郡隠岐の島町布施

 
 
トカゲ岩
 
トカゲ岩は、布施村から鷲ヶ峰にいたる途中の曲りくねった、いろは坂の展望台から見ると、切り立った80mの断崖を全長35mもある巨大な一匹の大トカゲがよじのぼっているような珍奇雄大な光景を眺めることができます。

このトカゲ岩はその奇景のみではなく、岩質はアノーソクレース響岩質粗面岩で露出としては、世界稀有のもので学術研究上大変貴重なものです。

トカゲ岩は粗面岩マグマが流紋岩質火山砕屑岩(火山噴火によって地表に放出された破片状の岩片と火山灰が固結してできた岩石)に貫入したもので、岩脈と呼ばれるものです。

この岩脈はまわりの岩石より硬く風化しにくいために飛び出しており、その姿がちょうどトカゲが岩をよじ登っている姿に似ていることから名付けられました。

手の部分は浸食を免れて残った部分ですが、足の部分は上から落ちてきた岩が割れ目にはさまったものです。

また、この一帯は自然回帰の森と呼ばれ、杉の天然林やオキシャクナゲの群落など自然が豊かに残っています。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[アクセス]布施村役場から車で15分の駐車場から徒歩10分[駐車場]30台[場所]隠岐郡隠岐の島町布施

 
 
浄土ヶ浦と崎山岬
 
地浄土ヶ浦は島根県隠岐諸島の島後、東部に位置する海岸。浄土ヶ浦海岸ともいう。

風光明媚な景勝地で知られ、また隠岐布施海岸の名で、国の名勝にも指定されている。

大山隠岐国立公園に含まれる。なお、名は一休宗純がこの地を訪れ、さながら極楽浄土のようだと謳ったとことにちなんでいるという。

島後東部に突出した崎山岬に位置し、一帯には隠岐地方随一の多島海風景が見られる。

島前の国賀海岸と比較すると規模は大きくないが、小島、岩礁の密度が高い。赤褐色の流紋岩、安山岩、堆積岩が混在しているため、地肌が赤褐色であるのが特徴。

小島には老松が潮風に耐え、逞しく生育しており、それが多島海風景と相俟ってさながら山水画のような美しさを見せる。

国立公園切手の題材にも採り上げられたことで、名が知られるようになった。

また、この一帯は布施海中公園にも指定されており、スキューバダイビングが盛んである。

国道485号あるいは西郷布施線で布施支所前まで行き、そこから北に約200m町道を行くと浄土ヶ浦入口の駐車場があります。キャンプ場横には、2本の遊歩道があります。一つは浄土ヶ浦経由、もう一つは灯台経由でともに崎山岬展望台に行きます。

…出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
 
よろい岩(国天然記念物指定)
 
隠岐諸島島後の北端に近い隠岐の島町下元屋地区の北東の海岸から北東に突き出した半島は「海苔(のり)田(だ)ノ鼻(はな)」とよばれています。

海苔田ノ鼻を遠望すると,一番最初に目に入るのは半島根元の暗灰色で見事な柱状の割れ目が発達した岩壁でしょう。

この岩壁は三水(さみず)崖(だき)とよばれ、玄武岩の溶岩でできております。

岩壁の割れ目は溶岩が冷え固まるときにできたもので,六角柱状に割れており,これを柱状節理といいます.

元屋(がんや)川河口から、遊歩道が整備されており、これをたどっていけば半島の先まで行けます。

遊歩道を入ってしばらく進むと、先ほどの岩壁の麓にさしかかった途端、突然,目の前に岩塊がごろごろと積み重なった驚くべき風景が我々を迎えてくれます。

玄武岩の岩塊は風化がすすみ割れやすくなっており、柱状節理に沿って崩れ落ちてきたものです。

ここで玄武岩を間近に観察することができます、また,雨のあとなど岩壁の上から滝がみられることがあり、三水の滝と呼ばれています.

岩壁下には多くの岩塊が集積しており,滝は雨の直後にだけみられます.

遊歩道を半島先端付近までいくと、粗面岩と呼ばれるアルカリ成分を多く含む火山岩の上に見事な放射状に割れ目(節理)の発達した玄武岩がみられます。

この岩はその鎧(よろい)のような形から鎧(よろい)岩(いわ)と呼ばれています。

鎧岩のすぐ近くに兜(かぶと)岩(いわ)と呼ばれる同様に節理の発達した玄武岩がありますが、残念ながら陸上からは見えにくい位置にあり、こちらは船からの観察となります。

鎧岩、兜岩を含む半島先端部は国の天然記念物に指定され、大山隠岐国立公園の特別保護地区にも指定されているので、ハンマーを入れることも石ころを採集することもできませんので注意してください。

この遊歩道は過去に災害で崩れたこともあり,途中落石等の危険もあるため注意が必要です.

遊歩道を利用せず、礫のごろごろした海岸線を半島沿いにいくと、鎧岩まではたどり着けませんが、600mほど行きますと、海岸に緑色〜褐色の礫が沢山落ちているのが見えます。

これらの表面をよくみると、貝や木の葉の化石をもった礫がみつかります。

これらの礫はそばの岩盤から落ちてきたものです。

岩盤は約2000万年前(中新世)に堆積した郡(こおり)層(そう)と呼ばれる地層で、島後各地に分布し、ヒメタニシやドブガイなど淡水棲の貝化石や木の葉の化石などがよくみつかっております。

…隠岐地方のジオサイト100選より

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[駐車場]周辺無料駐車場あり[アクセス]西郷港より隠岐一畑交通バス伊後行40分、中村より徒歩30分[場所]隠岐郡隠岐の島町中村

 
 
白島海岸(しらしまかいがん)
 
白島海岸(しらしまかいがん)は隠岐諸島の島後の北端にある白島崎を中心とした海岸。国の名勝及び天然記念物(「隠岐白島海岸」)。大山隠岐国立公園に属する。

白島海岸という名は海岸を構成する岩石が白いためである。この岩石は板状アルカリ流紋岩で、非常に脆いために浸食しやすく、その作用によって、一帯には無数の入り江と小島が見られるようになった。

また岬や小島にはびっしりと松が生い茂っており、白と緑、青のコントラストが美しく、島前の国賀海岸の勇壮さに比べると、非常に優雅な印象を与え、女性的と形容される。

岬には展望台が設けられ、そこからの眺めは圧巻である。

また、雨天時では海霧によって岩肌の白が霧に溶け込み、非常に幻想的な光景となる。浄土ヶ浦と並び、島後の代表的な景勝地の一つで、観光遊覧船が周航しており、海からこの奇岩、奇勝を探勝することもできる。

岬にある沖ノ島は、オオミズナギドリの繁殖地として国の天然記念物に指定(「沖島オオミズナギドリ繁殖地」)。

白島海岸から東方に進むと海苔田鼻(海苔田の鼻)といわれる奇勝がある(国の天然記念物・名勝「隠岐海苔田ノ鼻」)。

この海苔田という名は、源平合戦で隠岐に落ち延びた海苔田某という武士に因む。放射状に節理が刻まれた奇岩、よろい岩とかぶと岩がシンボル。

この岩は前述の流紋岩に玄武岩が被さっているために黒色をしている。

白島海岸遊覧船の周航コースに含まれるため、観光ガイドなどでは前述の白島海岸とセットにされることが多い。

自家用車あるいはレンタカーを利用する場合は、西郷港から原田・中村を経由して白島入り口まで約40分。原田・五箇経由あるいは大久・布施経由で約50分。白島入り口から約1kmに駐車場あり。中村から遊覧船で周遊可。

…出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
 
ロウソク島
 
隠岐の自然が創りだした巨大なオブジェ「ロウソク島」は、尾白鼻の北東500mの沖合いにある高さ20mのちょうど一本のロウソクが海面より垂直にそびえ立っているような岩です。

尾白鼻の北東500mの沖合い、高さ20mでそびえ立つ姿には、夕暮れに真っ赤な夕陽が灯ります。

この瞬間は陸上からでなく、海へ出て船上からのみのウォッチング。眼に、心に焼きつくワンシーンです。

ローソク島遊覧船(要予約)運行期間 福浦〜ローソク島〜福浦(所要時間50分) 大人 2,000円 小人 1,000円  運行期間4月1日〜10月31日 お問い合わせ/隠岐島後観光協会 電話:08512-2-0787 ※季節によって発着時間に変更があります。また当日の天候によって欠航がございます。

 
 
福浦トンネル
 
五節村の最北端にある、重栖港の西にある凝灰岩をくり抜いて造ったのが、福浦トンネルです。

入口は高さ約100m、幅80mの黒滝岩で、日本では珍しい黒曜石からなっています。

トンネルの途中にいくつか開けられた窓から見える青い海は素晴しい眺めです。

[問]隠岐の島町五箇支所(08512-5-2211)[アクセス]七類港からフェリーで2時間20分、西郷港下船、隠岐一畑交通バス福浦行きで55分、福浦下車、徒歩10分[場所]隠岐郡隠岐の島町福浦

 
 
水若酢神社-流鏑馬
 
水若酢命(みずわかすのみこと)を主祭神とし、中言神(なかことのかみ)、鈴御前(すずごぜん)を配祀するとしているが、その出自などは不明である。

火災・水害などにより旧記を失なっており創建の由緒は未詳であるが、社伝によると仁徳天皇の時代の創建と伝えられる。

隠岐島後(どうご)北部、重栖(おもす)川上流に位置し、旧穏地郡の郡家所在地と考えられている。

周囲には小規模な古墳もあり、古くから隠岐北部の中心であった。

国史では、承和9年(842年)に隠岐国の他の3社とともに官社に預かったと『続日本後紀』に見えるのが初出である。

『延喜式神名帳』には「穏地郡 水若酢命神社 名神大」と記載され、『隠岐国神名帳』には「正三位」とある。

大宮司を称する社家の忌部氏は、天文年間には隠岐国造の隠岐宗清の支配に対して地元の勢力を味方につけて反抗した。

幕末には社内に私塾「膺懲館」を設けて尊皇攘夷を広め、これが隠岐騒動につながることになる。

明治4年に国幣中社に列し、社名を「水若酢神社」に改めた。

本殿は方3間の切妻造妻入の身舎の前面に片流れの向拝(ごはい)を付した隠岐造で、茅葺屋根、棟に千木・鰹木を置く。

寛政7年(1795年)の竣工で、国の重要文化財となっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[問]08512-5-2123[アクセス]七類港からフェリーで2時間20分、西郷港下船、隠岐一畑交通バス五箇行きで39分、水若酢神社前下車、徒歩3分[場所]隠岐郡隠岐の島町郡

 
 
村上家隠岐しゃくなげ園
 
日本のシャクナゲだけを集めたものとしては日本一と言われる。

4月下旬から5月上旬にかけて咲き誇るのは、オキシャクナゲという隠岐特有の品種で、名の通り、離島であるが故の環境によって変異した隠岐特有の品種。

中国山地に生息するホンシャクナゲに比べ、開花時期がやや早く、丸みを帯びた小さくて薄い葉が特徴で、布施には自生地もある。

広さは約2haで1万本が植えられ、ゴールデンウィーク頃に見ごろとなり、約2ヘクタールの山の斜面が一面ピンク色に染まる。

毎年、花の見頃には「しゃくなげ祭り」が開催される。

[問]村上家(08512-5-3256) [営業期間]4月下旬〜5月中旬[開館時間]9:00〜17:00(3月〜11月)[入館料]大人:500円(団体(15名以上)400円) 子供:300円(団体(15名以上)200円)[アクセス]西郷港 から バス で 40 分 (水若酢神社前下車)[場所]隠岐郡隠岐の島町郡860

 
 
隠岐郷土館
 
明治初期の洋風木造建築であり、県の文化財に指定されているのが隠岐郷土館です。

この白亜の建物は、明治18年(1885)周吉郡など3郡の郡役所として西郷町に建てられ、後に隠岐支庁庁舎として使用されていましたが、新庁舎の建築に伴い、五節村が明治百年記念事業として、この現在地である水若酢神社の隣接地に移転復元しました。

昭和45年(1970)の6月に隠岐郷土館として開館し、漁搭用具や農耕用具など生産用具674点が国指定重要有形民俗文化財として、又、家具調度や衣服装身具など1271点が県指定有形民俗文化財として展示されています。

[問]隠岐郷土館(08512-5-2151) [休み]12〜2月の土・日曜、祝日[開館時間]9:00〜17:00(3月〜11月)[入館料]300円[アクセス]西郷港から隠岐一畑交通バスで30分、水若酢神社前下車徒歩5分[駐車場]10台[場所]隠岐郡隠岐の島町郡749-4

 
 
壇境の滝
 
壇境の滝は、耶久地区から約4kmの横尾山山中にあります。

那久川の上流にまるで屏風を広げたような岩壁の中央に壇境神社があり、この神社を中心にして落差40mもある雄滝と雌滝があります。

この滝は、裏見の滝として有名であり日本の滝百選に選ばれました。

また、全国名水百選にも選ばれているほど水質がよく、牛突き大会や隠岐古典相撲大会の勝利を運ぶ水、万病に効く長寿の水としても地元の住民に重宝がられています。

また、その昔、嵯峨上皇の逆鱗に触れ隠岐に流刑された遣唐副使・小野篁が赦免を祈願してこの滝に打たれたとも伝えられています。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[アクセス]西郷港から車で40分[駐車場]10台[場所]隠岐郡隠岐の島町那久

 
 
亀の原水鳥公園
 
人なつっこい合鴨、池をにぎやかにさせる真鴨、美しい色の鯉、その他自然の生き物、植物、大人も子供ものんびりとできる自然に囲まれた公園です。

特につつじが咲く頃が見もの。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[料金]無料[施設]芝生広場、遊具、アイガモの放し飼い[アクセス]七類港から高速船約1時間で西郷港、そこから車約30分、または出雲空港から飛行機約30分(大阪空港からは約1時間)で隠岐空港、そこから車約30分[駐車場]無料[場所]隠岐郡隠岐の島町都万6714-4

 
 
那久岬
 
神功天皇が立ち寄られたという伝説の残る那久岬は古くからの隠岐島海路の要。

夕日の眺望は隠岐島の中でも一番のスポット。岬にたつと目前に島前諸島が広がります。

展望台には、明治43年に設置された救済灯(旧灯台)が残されています。また、展望台よりつづく遊歩道を下りると、眼下に広がる日本海を一望できます。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[料金]無料[施設]芝生広場、遊具、アイガモの放し飼い[アクセス]西郷港からタクシーで35分[駐車場]無料・10台[場所]隠岐郡隠岐の島町那久

 
 
油井の千畳敷
 
ここは僕が一番好きな島後の海岸です。

長さ30m位の砂浜があって、その先はまるでコンクリートでも張ってあるの?みたいに、一枚の岩で出来ています。

岩の先はどん深で何度か潜った事がありますが、大きく人が切ったかのような不思議な石がいっぱい沈んでいます。

もしかして大昔にここに何かあったのかな?と想像していますが、地元の人は自然に出来たんだよ!って言ってました。

魚は断然チヌが多いところです。

大きいチヌが群れで泳いでます。チヌ釣りする人にはここは絶対お勧めです! 去年の夏はうちと他3家族で、海に足をつかりながらバーベQをしました。

海水浴は水深が30センチぐらいしかありませんので子供たちには安全な場所です。

親父達は岩場の先端までひざまで水につかり、バス竿でフカセ釣りをし、40センチぐらいのチヌを釣り、そのまま豪快に焼いてみんなで食べました。

一昨年まではここで泳ぐのは自分達だけでしたが、去年から遊泳が許可されてたくさんの人が来るようになりました。 隠岐にお立ち寄りの際は、ここはお勧めです!!

情報登録者:ひげ さん E-OKI.NET 観光情報より

 
 
屋那の舟小屋
 
島の南西端「白砂青松百選」に選ばれた「屋那の松原」に隣接する海岸線に、約20棟の舟小屋が一直線に並んでいます。

雨風などから舟を守る舟小屋は、昔ながらの杉皮葺きで隠岐独特の石置き屋根です。

現在の舟小屋は昭和62年に建設されたもので、都万のシンボルである高田山を背景に、長閑な漁村風景が撮影できるポイントとなっています。

また、屋那の海岸には長さ400メートル、幅40メートルにわたって200本余りの老松が枝を交えた美しい松林があります。

この松林は、昔、若狭の国(福井県)から隠岐にきて八百歳まで生きた八百比丘尼が、島内の各所に植えた木々の一部であると言い伝えられています。

その美しさが認められ、白砂青松百選にも選ばれています。

羽衣荘は、日本白砂青松百選にも選ばれている「屋那の松原」に隣接しています。

隠岐の新鮮な食材を使った郷土料理に舌鼓を打ち、眼下に日本海、遠く沖に漁火を眺めながら総檜造りの大浴場で伸びをする。

玄関を出て一分のところに小さな漁港もあり、波止場では手軽に釣りが楽しめます。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[駐車場]10台[場所]隠岐郡隠岐の島町釜屋

 
蓮華会舞 龍王之舞
 
隠岐国分寺蓮華会舞
 

天平13年(741)聖武天皇の「国分寺建立の詔」によ天平13年(741)聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって、隠岐にも国分寺、国分尼寺が建てられました。

七堂伽藍がそびえ、島内随一の壮麗さを誇ったと伝えられています。しかし、この国分寺の伽藍は明治2年(1869)の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって焼失してしまいました。

この国分寺の檀徒によって現在に伝えられている風流が蓮華会舞で、「蓮華会」とは蓮の花が咲くころに行われる法会がいわれとされています。

この舞楽や仮面劇の起源は奈良時代から平安時代に、インド・ビルマ・中国・朝鮮など広くアジア各地から伝えられたものとされています。

蓮華会舞は120種類以上の舞があったといわれていますが、現在は4月21日に、眠り仏・獅子舞・太平楽・麦焼き・山神貴徳(さんじんきとく)・竜王・仏舞の七番が、六孔笛・太鼓・饒ハチの雅楽が奏でられる中で舞われます。

国の重要無形民俗文化財に指足されています。

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[アクセス]西郷港から隠岐一畑バス(隠岐病院・有木、旧五箇役場前、重栖・福浦方面)20分、国分寺前下車[場所]隠岐郡隠岐の島町池田

 
久見神楽
 
島後久見神楽
 
島後久見神楽(どうごくみかぐら)は、島根県隠岐島の島後の久見(現隠岐郡隠岐の島町久見)に伝承される神楽である。

国の選択無形民俗文化財、島根県の無形民俗文化財。

いわゆる島後神楽の中の穏地神楽(おちかぐら)に含まれ、地域の豊漁や祈雨、家屋の建築、病気平癒といった祈願に奉奏され、また毎年7月25、もしくは26日(日は隔年交替)の伊勢命神社(字宮川原鎮座)の祭礼で、夜半から翌朝の夜明けまで同神社の神楽殿で奉納される。

隠岐島には古来、特定の神社に属さず、祈祷のための神楽を専業とする社家(しゃけ)と呼ばれる神楽師がおり、島後には13家の社家筋が神楽を伝えたが、明治の神祇行政の改革でこれらが廃止されたため、明治23年(1890年)に久見部落の有志が島後の西端、都万村油井(ゆい)(現隠岐の島町油井)の社家であった和田家から伝受したのが始まりである。

佐陀神能の影響の下に独特の発展を遂げた島後神楽の古態を残し、現在ではその代表的なものとされている。

昭和37年(1962年)に島根県の無形民俗文化財とされ、昭和53年(1978年)1月31日に国の選択無形民俗文化財となった。

祈祷を中核とし、その願解き(がんほどき)のために奉奏される本式の御注連神楽(おおしめかぐら)と、それを簡略化した毎年の伊勢命神社の例祭に奉納される儀式三番八乙女神楽(ぎしきさんばんやおとめかぐら)とがあるが、御注連神楽が行われるのは稀である。

それぞれ「前座七座(ぜんざしちざ)」、「儀式三番」、「入れ舞」、「注連(しめ)行事」の4部構成で、それぞれが数番の舞いからなり、直面(ひためん)で舞われる儀式舞と、神楽面を着した「能」とに大別される。

儀式三番八乙女神楽は伊勢命神社の神楽殿で、御注連神楽の場合は適宜定めた祭場の天井から天蓋を吊し、その下で舞う。

男性は烏帽子をかぶり、紋付の上に陣羽織や水干、狩衣を着し、襷を掛ける。

能の時には大口袴も着す。巫女は紋付の上に千早を着し、京都の吉田家から与えられた裁許状が縫いつけ付けられた襷をかける。

採物は御幣、扇、中啓、剣、榊、杖、弓矢、茣蓙、釣り竿など。

[前座七座]

直面の儀式舞。祭場を御幣などで清め、神々を招く。

[儀式三番]

必須とされる儀式的な3番の能であるが、御注連神楽と八乙女神楽とで演目を異にする。

[入れ舞]

「式外(しきがい/しきげ)の能」とも呼ばれ、「鹿島」・「荒神」・「恵比寿」・「天神」・「金輪(かなわ)」など儀式三番以外の演劇要素の濃い能を適宜舞う。

[注連行事]

「神上げ」とも呼ばれ、1人舞の「切目(きりめ)」(「切部(きりべ)」とも)に始まり、「御戸開き」、「祝詞」、「注連行(しめぎょう)」、「注連潜り(しめくぐり)」、「剣舞」などを舞い、夜明けを迎える頃に「おのが住みかへ帰り給へや、あらみさきだち」と神歌を唱えて「神納め」を舞い、神楽を終える。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[問]08512-2-0787[場所]隠岐郡隠岐の島町久見

 
 
隠岐の宮相撲
 
近世に始まり、神社の遷宮などて行われてきた隠岐の宮相撲。

若者流出で昭和30年代に一時途絶えたが、地元愛好家らが「大巾(おおはば)会」を結成し、隠岐古典相撲として再興した。

土俵脇の四本柱を唯一の賞として持ち帰ることから「柱相撲」とも呼ばれ、授与された大関・関脇の役力士たちは誉れの柱を軒下に吊るしたり改築の際に使っている。

力士は強さのみならず人間性など心技体を備えた者が地域から選ばれる。

「一生一代の名誉なこと、肌を合わせた力士は一生の絆で結ばれ地域は一つになる」と大巾会の永海治(ながみおさむ)理事長は熱っぽく語る。

大巾会結成後、島後を中心に相撲場も増え、全隠岐大会などに小学生も参加するようになった。

再興後の隠岐古典相撲は、昭和47年の第一回大会から地鎮祭や慶事を祝う神事相撲として定着した。

  
しげさ踊りのパレード
  
しげさ節
 

隠岐は民謡の宝庫といわれます。隠岐を訪れた人がこの地の民謡を開いて、どこかで耳にしたことがあるような感覚を持つことがあります。

隠岐といえば昔から遠流の島といわれ、絶海の孤島のイメージがありますが、江戸時代の中期には本土の西からも東からも数多くの商船が往来して、西郷港などは大いににぎわいました。

遠路を航海する船乗りにとって、寄港地での楽しみといえば酒やお国自慢の歌で、これらの歌は船が出た後も島に置き土産として残りました。

いつの問にか日本各地の民謡は島の人情風俗に密着した歌詞に変えられて、やがて歌全体が島の人々のものになっていきました。

しげさ節は、越後民謡のメロディだけが残ったものといわれ、元歌は御開帳の様子を歌った真宗の和讃だといわれています。

隠岐で忘れてならないもう一つの民謡「どっさり節」は、「津軽じょんがら節」と同じ歌から誕生したものです。しかし、隠岐と津軽の風土の差でこれほど違った歌になってしまったのです。

 
 隠岐は絵の島花の島 磯にゃ浪の花咲き 里にゃ人情の花が咲く
    船は出でいく波止場には いとし島の娘が 涙でうたうしげさ節
 
しげさ踊り
 
隠岐民謡の代表曲「隠岐しげさ節」に合わせて、約1500人が隠岐のメインストリートを総踊りする。

基本は2枚の皿を鳴らして踊る皿踊りだが、その他にも各団体で趣向を凝らした踊りや衣装がみもの。

パレードの当日、飛込み参加もできる

[問]隠岐島町観光協会(08512-2-0787)[料金]入場無料[開催時期]2009年は5月9日※開催時期に関してはお問合せください。[アクセス]西郷港から徒歩2分[駐車場]有料・50台[場所]西郷港中心商店街

  
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