鳥居の向こう側は、神の空間。鳥居はその入口だ。くぐる前に、まず、自らの衣服を整えて軽く一揖(会釈)し、気持ちを引き締める。参拝は、すでにここから始まっている。参道は人の通り道である以前に、神が祭礼のときに神輿に乗ってお通りになる道だ。神への敬意を込めて、参道の中央ではなく端のほうを歩くようにしたい。この場合、右側、左側、どちらを歩かねばならないという決まりはない。参道は、ゆったりと歩を進めるのがいい。心が鎮まり、穏やかな気持ちになり、拝礼への心の準備ができるだろう。また、ゆっくり歩くことで、参道や境内にある多くの木が見られるはずだ。長い年月を経た巨木、古木は、それだけで見る者に安堵感と敬意を抱かせる。なかでも、注連縄(しめなわ)が張ってあるものは、神社がその木を神聖な木、神の依代としていることを示している。種類としては榊、杉などが代表的だが、松、桂などを神木とする神社もある。参道脇には絵馬を奉納する絵馬掛け所がある。そこでは、庶民のつつましい願い事を受け止め、敬愛を集めてきた神社の長い歴史を感じることができるだろう。
神社の参道を進んでいくと、境内の入り口に手水舎がある。ここは俗界の穢れを落とすところで、いつも清浄な水が水盤にたたえられている。ここに備えられている柄杓で心身を清め、清浄な身体で神の前に立つための場所なのだ。古い神社の場合、多くが清流のそば、もしくは湧き水の出る場所にあった。昔は禊をを行い心身を清めたが、現代ではそれが難しくなってきたため、手水舎はその代わりとも考えられる。手水舎での清めには、きちんとした作法がある。その方法を解説しよう。
拝殿の正面に立つと、多くの場合、賓銭箱が置かれ、その真上には鈴が吊るされている。神社によって多少の差異があり、鈴の代わりに鰐口が吊るされていることもあるが、晴々しい音を奉納して邪気を払い、神を呼ぶという意図に変わりはない。鈴、または鈴の音に魔除けの霊力があるという考えは、古来世界各地に見られ、日本でも鈴を身に付けた男性や巫女の埴輪が古墳から多く出土している。しかし、神社で鈴を鳴らすようになったのは比較的新しく、中世以降というのが定説である。鈴には布を編んでつくられた長い紐がつけられていて、これを引いて鈴を鳴らす。紐の引き方、鈴の鳴らし方に特別の作法はないが、神の座す空間を前にしているのだという心構えで鳴らしたい。ちなみに、この紐は一般的には鈴緒というが、「願いが叶う」という意味を込めて「叶緒」と呼ばれることもある。次に、捧げものとして賓銭を婁銭箱に入れる。硬貨を投げ入れる際に大きな音を立てたほうがよいとする俗説もあるが、これにも特別の作法はない。古くは神前に米を撒く、米を紙に包んで奉納するという風習があったが、貨幣が流通するようになってからは、米から金銭に代わった。いまでも硬貨を紙に包んで「おひねり」の形にして投げ入れる人がいるが、これは米を奉納していた時代のなごりだといわれる。神社によっては賓銭箱が置かれていないことがあるが、この場合は拝殿のなかに直接投げ込むのが正しい作法とされている。
頭を下げて、おじぎをする「拝」は、古今では生活のなかでも、感謝や敬意を表す行為として一般に行われているが、そもそもは敬虔な気持ちを表わす自然な作法のひとつであった。柏手を打つことは、すぐれた行為を称えるときにする「拍手」にも通じるもので、神前で打つ柏手は、神に捧げる感謝の心の表れといわれる。神社での参拝の作法は、二拝二柏手一拝が一般的であるが、出雲大社では、二拝四柏手一拝で拝礼を行います。また、参拝の前に修祓を受ける場合もある。修祓は、身を清めるお祓いである。頭を下げ、静かに受けよう。
拝礼する場所は一般的には拝殿の外であるが、特別な願い事がある場合などには、社務所に申し込めば拝殿に上がって昇殿参拝をすることができる。拝殿内に昇殿したら、玉串拝礼が行われる。玉串というのは榊の枝に木綿、紙垂という麻や紙をつけたもので、それを神前に捧げて拝礼するのを玉串拝礼という。私たちの祖先は榊に神を招き、祀ってきた。その神祀りの心が玉串を捧げるという方法として、今日まで受け継がれているのである。これには、玉串を神に捧げて祈ることにょって、神がもっている大きな力を自分にも分け与えていただくという意味がある。作法には、その神社独特の作法がある場合もあるが、ここではもっとも一般的な玉串拝礼の作法を解説する。
特に身を慎しまねばならない悪い年回りといわれている厄年がある。一般的には、神社に行って、厄除けのお祓いをしてもらう。これは災いを避け、福を呼ぶとされている。男は25歳、42歳、61歳。女は19歳、32歳、37歳が厄年にあたるなかでも男の42歳は「(死に)」、女の33歳は「サンザン(散々)」に通じるとして、大厄と呼ばれている。
文.薗田 稔著「神社参拝ガイドブック」参照