伝統工芸陶器お酒水産農産菓子お店特産ぐるめ宿泊温泉観光
松江市 出雲市 浜田市 益田市 大田市 安来市 江津市 雲南市 隠岐 隠岐の島町 津和野 奥出雲町 東出雲町 斐川町観 出雲大社 出雲大社観光 石見銀山 石見銀山観光
鳥取市 米子市 倉吉市 境港市 大山 三朝町 湯梨浜町 吉岡温泉 皆生温泉 三朝温泉 はわい温泉 東郷温泉 玉造温泉 松江しんじ湖温泉 有福温泉 温泉津温泉 出雲そば
日本伝統芸能日本全国観光温泉日本特産品グルメ Quick Timeをインストール
 
  隠岐の島町特産品グルメ隠岐吉賀町津和野益田市浜田市江津市美郷町大田市飯南町邑南町川本町斐川町出雲市松江市東出雲町米子市境港市湯梨浜町三朝町岩美町智頭町若桜町鳥取市倉吉市奥出雲町安来市雲南市 神々の国ご案内
  神々の国へようこそ「ハイライトジャパン」山陰.島根県.鳥取県の観光ガイド 神々の国へようこそ「ハイライトジャパン」山陰.島根県.鳥取県の温泉ガイド 神々の国へようこそ「ハイライトジャパン」山陰.島根県.鳥取県の旅館.ホテルガイド 神々の国の贈物「ハイライトジャパン」山陰.島根県.鳥取県の特産品.グルメガイド 神々の国の贈物「ハイライトジャパン」山陰.島根県.鳥取県の特産品.グルメガイド 山陰.島根県.鳥取県「店.ショップ.企業ガイド」ハイライトジャパン Quick Time7をインストール
出雲大社観光「参拝.宿泊.アクセスガイド」ハイライトジャパン 石見銀山遺跡宿泊 島根県.鳥取県「特産品.観光.グルメ」山陰特産品はハイライトジャパン
鳥取砂丘 湖上に浮かぶ温泉 三徳山 投入堂 神々が宿る山
とっとり花回廊 水木しげるロード 隠岐島 美保関
松江城 堀川遊覧 足立美術館 出雲大社 古代出雲歴史博物館
石見銀山遺跡 アクアス グラントワ 津和野
大蛇退治 神々の温泉ガイド 神々の宿泊ガイド 神々のグルメガイド
 
松江市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
松江市特産品グルメ 観光
松江市観光文化振興課(島根県松江市千鳥町59)0852-55-5214
松江地区特産品
松江藩7代藩主松平不昧公は茶道不昧流の祖、そのため松江では古くから茶の湯が発達し全国有数の茶処。銘茶はもちろん日本の三大銘菓として知られる山川をはじめ数多くの銘菓があります。宍道湖は淡水と海水が混じった汽水湖で魚介類が豊富。中でもシラウオ、シジミ、ウナギ、モロゲエビ、アマサギ、コイ、スズキは宍道湖七珍と呼ばれ、松江ならではの味覚。
松江商工会議所(島根県松江市母衣町55-4)0852-23-1616
美保関町特産品
海の守り神エビス様のお膝元というだけあって、美保関近海で一本釣りされるマダイは有名な逸品。熱々のご飯にタイのそぼろと薬味をのせ、出汁をかけて食べる鯛飯は不昧公好みの洗練された味わい。三方を海に囲まれた美保関の特産品は海産物を抜きにしては語れません。
美保関町商工会(島根県松江市美保関661)0852-73-0309
島根町特産品
島根半島の最も北側にあり、加賀の潜戸など美しい自然に恵まれた島根町。40キロにもおよぶ海岸線は、西は大芦の須々美湾の洗濯岩から東は瀬崎の岩脈まで日本海の荒波に浸食されたダイナミックな景色が続いています。晴れた日には遠く隠岐の島々が望め、大山国立公園の一部になっています。
島根町商工会(島根県松江市島根町加賀1451)0852-85-3443
鹿島町特産品
町を代表する特産品丸干しいわしは昔から「恵曇の丸干」のブランドで高く評価され中京、京阪神などへ出荷されています。新鮮な魚を使ったカマボコ、なかでも野焼は格別の風味。小ぶりのイワシを塩煮して乾燥させたいりこ、板ワカメなど海の幸はいずれも絶品。片句わかめは潮流の関係から高品質のわかめとして有名
鹿島町商工会(島根県松江市鹿島町古浦607-3)0852-82-2266
八束町特産品
八束町は薬用にんじんの国内三大生産地。八束町で生産される薬用にんじんは「雲州にんじん」と呼ばれ、本場の高麗にんじんにならぶ世界の最上級品として海外でも有名。粉末にして滋養強壮剤に用いるほか、天ぷらなど郷土料理の一品として幅広く利用されている。
八束町商工会(島根県松江市八束町波入2073-1)0852-76-2041
玉湯町特産品
玉造の地名の由来にもなったメノウは玉湯町の代表的な特産品。全国でここだけという青めのうは古くは弥生時代から加工され、平安時代まで勾玉、管玉などを作って朝廷へ献上されていた。現在はアクセサリーや置物などを製作している。布志名焼は鉛釉を使った黄色の櫛目紋、ユーモラスな絵付けのしてある茶碗などでも有名です。
玉湯町商工会(島根県松江市玉湯町玉造1419-4)0852-62-1116
宍道町特産品
宍道湖の南岸では良質の来待石が産出され、奈良時代から石の加工が行われていた。松江藩主の松平直政は、来待石をお留め石として藩外に持ち出すことを禁止し、灯ろうづくりを奨励した。来待石は青みをおびた白い石で、コケがつきやすく野外に置くと風格を増す。国の伝統工芸品に指定されている。
宍道町商工会(島根県松江市宍道町昭和1)0852-66-0861
八雲町特産品
出雲地方は和紙の原料が豊富で紙づくりは天平時代に遡る。松江藩主の松平直正が紙づくりを奨励、これが出雲和紙の基となる。昭和になり故人間国宝安部榮四郎が民芸運動の柳宗悦と出会、手すき和紙の創作にカを注ぎ出雲民芸紙の名声を高める。出雲民芸紙は素朴な美しさと強じんさを持ち特に雁皮紙は優れている。
八雲村商工会(島根県松江市八雲町西岩坂320-2)0852-54-0839
雲南市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
安来市特産品グルメ 観光
安来市観光協会(島根県安来市安来町878-2)0852-55-5214
安来地区特産品
清水羊羹は精進料理のひとつとして羊の肝の熱い吸物を真似たのが始まりといわれている。小豆、寒天、砂糖で仕上げ添加物を一切使用していないのが特徴であり、甘すぎない素朴な風味が特徴。出雲の国随一の霊場、瑞光山清水寺の懐で連綿と伝えられた数々の精進料理、清水寺の四季とともにお楽しみください。
安来商工会議所(島根県安来市安来町879)0854-22-2380
伯太町特産品
なすのビール漬は伯太町産の千両なすをビールとしょうゆで漬け込む。甘さをおさえた、ほろ苦さがユニークな逸品。
伯太町商工会(島根県安来市伯太町東母里431-2)0854-37-1154
広瀬町特産品
広瀬絣の特徴は「広瀬大柄、備後野中柄、久留米の小柄」といわれるように、大柄の絵模様にあり、藍一色の濃淡で図柄が浮かび上がるように織り上げられる。広瀬和紙は広瀬藩が祖父谷に御紙屋を設け、藩札発行のために紙を作らせたのが始まりといわれている。良質の三椏、楮に恵まれて上質の和紙ができ、とくに祖父谷紙や藁半紙で知られていた。
広瀬町商工会(島根県安来市広瀬町広瀬753-40)0854-32-2155
東出雲町「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
東出雲町特産品グルメ 観光
東出雲町観光物産協会(島根県八束郡東出雲町揖屋町1125)0852-52-2428
中海の恵みも豊かで水産加工製造が盛ん。特に揖屋のかまぼこは有名。中海の魚ゴスを使った関西の正月の必需品焼きはぜ。黄金の井戸で醸造される地酒や醤油。銘菓いさり火、手焼きせんべい。畑地区の干し柿は冬の北西風を通す地形に恵まれ、色・味・形三拍子揃った冬の味覚。
東出雲町観光物産協会(島根県八束郡東出雲町揖屋町1125)0852-52-2428
温の川温泉.斐川町「観光.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
斐川町特産品グルメ 観光
斐川町観光協会(島根県簸川郡斐川町大字荘原町2172)0852-55-5214
出西しょうがは小ぶりながらもショウガ独特の香りが豊かで、独特な辛みと歯ごたえの良さに特徴がある。斐川産のタマネギは光沢があって日持ちがすると大阪や広島市場で「斐川のみがきたまねぎ」として人気が高く冬季が比較的低温のため玉絞まりが良い。木工芸は江戸時代から伝わる技術で、ケヤキ、クワなどを使った茶道具や生活用品が作られている。
斐川町商工会(島根県簸川郡郡斐川町上庄原1749-3)0853-72-0674
飯南町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
隠岐の島町特産品グルメ 観光
隠岐観光協会(島根県隠岐郡隠岐の島町中町日貫の四61)08512-2-1577
西郷地区特産品
サバシャブは脂ののった新鮮なサバを薄く切り,熱いダシにさっとくぐらせて食べる料理で、好みのタレをつけて頬張ると、さばのとろけるような風味がたまらない。かって漁師たちが船の上で食べていた料理が評判となって広まった。サバシスキの主役は牛肉ではなくサバ、少し辛めのダシが特徴で、さっぱりしているがコクのある味わい。
西郷町商工会(島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫)08512-2-1157
布施地区特産品
明治時代から作られ、地元に自生するスギ、クワなどを使った美しい木目が特色で文箱、硯箱、花台,平卓などが作られている。
五箇地区特産品
黒曜石は溶岩がガラス状に結晶したもので、隠岐産のものは純度が高く優美な輝きをもっている。ネックレスなどのアクセサリーをはじめ、硯や花器などの工芸品が創られている。はりはり漬けは薄く切った干し大根とメノハ(ワカメ)を酢・しょうゆ・砂糖でつけたもの。海藻と野菜を合わせるのが隠岐ならではの特色。
都万地区特産品
作る漁業への転換を積極的に推進、栽培漁業の一環としてヒオウギ貝の養殖を行っている。ヒオウギ貝は暖海性の二枚貝で、栽培方法はイタヤ貝と同じですが、種苗生産は人工採苗を実地して安定供給できるようになりました。赤・黄・ダイダイ・紫と鮮やかな貝の色は、自然からの贈り物。ホタテ貝に似た食味で、刺身やバター焼きに最適。
隠岐「観光.グルメ.旅館.ホテル.民宿」ハイライトジャパン
海士町特産品グルメ 観光
島根県 海士町観光協会(島根県隠岐郡海士町福井1365-5)08514-2-0101
島前地区はみかんづくりのために気候風土が適しているため、東南部の気温の高い傾斜地に殖債栽されています。品質や味覚においても非常にすぐれているため島の特産品としての役割をは果たしています。
海士町商工会(隠岐郡海士町海士1490)08514-2-0376
隠岐「観光.グルメ.旅館.ホテル.民宿」ハイライトジャパン
西ノ島町特産品グルメ 観光
西ノ島町観光協会(島根県隠岐郡西ノ島町浦郷1)08514-6-0021
味噌を塗った焼きおにぎりを「やきめし」と呼ぶ。その焼きたてをどんぶりに入れ、薬味を添えた上から熱い番茶 (煎茶)を注ぎくずしながら食べる。味噌はコジョウユ味噌といってこの地方独特のなめ味噌だ。
西ノ島町商工会(隠岐郡 西ノ島町浦郷677-11)08514-6-1021
隠岐「観光.グルメ.旅館.ホテル.民宿」ハイライトジャパン
知夫村特産品グルメ 観光
知夫里島観光協会(島根県隠岐郡知夫村来居1730-6)08514-8-2272
知夫村は隠岐諸島の最南端に位置し本土に最も近い島です。「景勝地赤ハゲ山」「知夫の赤壁」などの雄大な自然があります。平成12年4月からは高速船レインボーが就航しています。
知夫村商工会(隠岐郡知夫村1020-2)08514-8-2166
出雲市出雲大社「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
出雲市特産品グルメ 観光
出雲市観光協会(島根県出雲市今市町中央通109-1)0853-30-6015
出雲地区特産品
江戸時代、出雲では雲州木綿が盛んに織られ、大正時代になるまで藍染で家紋を入れた風呂敷などは、嫁入り道具に広く用いられていた。このため筒描の技術が発達した。筒描では型紙は使わず、筒状の袋に防染用の糊を入れて、糊を押し出しながら模様を描く。
出雲商工会議所(島根県出雲市大津町1131-1)0853-23-2411
平田地区特産品
平田の西条柿は色・つや・香り・甘味ともすぐれ、シブを抜くと糖度がさらに増して甘味が濃くなりそのおいしさは格別。ブロッコリーは転作田で栽培されるため柔らかく食味がいい、収穫後すぐに温度を下げて出荷するので鮮度も抜群。5月から6月の収穫(初夏どり)が多いのが特徴で品質には定評がある。
平田商工会議所(島根県出雲市平田町2280-1)0853-63-3211
大社町特産品
あご野焼は「蒲の穂」に似たアゴちくわ、サイズが大きいので戸外や軒先へ持ち出して焼いたことから「野焼」と命名された。豪快な大きさと外皮の香ばしさ、中は他のかまぼこや竹輪にくらべてちょっと色黒。これは手を加えず素朴に仕上げてあることの表れ。食べる時は手でちぎって食べるのが一番! 中山製菓
大社町商工会(島根県出雲市大社町杵築南1244)0853-53-2558
佐田町特産品
佐田町の和牛飼育の歴史は古く、土を作り、牛を育てる喜びをかたくななまでに守り続けてきた人々に支えられています。そんな人々の取り組みが、その肉質の良さで「佐田和牛」の名声を確かなものにしています。新たな佐田町の味はコンニャクで本物志向の消費者に喜ばれています。
佐田町商工会(島根県出雲市佐田町反辺1586-44)0853-84-0508
湖陵町特産品
出雲ハムは湖陵豚肉だけを使用した新鮮な原材料を、おいしいうちにパックしています。ロース、プレスなど13種類のハムをはじめ、ソーセージやウインナー、ベーコン、内臓を加工したスモークタン、レバー、ハツの薫製はしっかりとした歯ごたえと中からにじみだす独特の甘味が特徴です。
湖陵町商工会(島根県出雲市湖陵町二部1668-1)0853-43-1344
多伎町特産品
海と山とに抱かれた多伎町には、海の幸山の幸と豊富な自然の味が生まれます。特にいちぢくは海に面した日当たりの良い場所が多く自然環境が栽培に適していることもあり、大粒で皮も薄く甘味も申し分のない最高品質のものが出来ます。姿煮やジャム、しそ巻きなどに手作りで加工し、瓶詰めにするなど年間を通していちじくの味が楽しめます。
多伎町商工会(島根県出雲市多伎町小田39-4)0853-86-3467
雲南市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
雲南市特産品グルメ 観光
雲南市産業振興部商工観光課(島根県雲南市木次町59)0854-40-1054
木次町特産品
奥出雲の中国山地は昼夜の寒暖の差が大きく果実が熟するための好条件を備えている。木次町では奥出雲地方で栽培される低農薬の山ブドウ系ブドウを使用し、栽培・収穫・ワイン製造までを手がける地ワインの生産を行っている。
木次町商工会(島根県雲南市木次町里方55)0854-42-1025
大東町特産品
幸印鍬は全国農機機具共進会で農林大臣賞を受賞。出雲型四本子の流れをくみ、伝統の技に新しい技法を取り入れ、ステンレス鍬、溝立鍬など多くの新製品が開発されている。
大東町商工会(島根県雲南市大東町大東1868)0854-43-2488
加茂町特産品
加茂刃物は出雲地方でとれる良質の眞砂砂鉄を原材料として、日本刀の工法を取り入れた製品を作っている。包丁、鍬、鍬などが作られ、手造りの使い良さと切れ味がよく、広く愛用されている。
加茂町商工会(島根県雲南市加茂町加茂中1318-12)0854-49-7227
三刀屋町特産品
斐伊川流域の一帯は古くから紙すきの里として知られ、江戸時代には木次に紙座もあった。特に上熊谷などで作られる紙は槻屋紙と呼ばれ、献上紙として藩へも納められていた。
三刀屋町商工会(島根県雲南市三刀屋町三刀屋274-10)0854-45-2405
吉田町特産品
役場と民間の共同出資による「吉田ふるさと村」は農産物の加工品づくりのほか、郵便局と提携してカブト虫の全国発送をおこなったり、各地で開催される物産展に参加している。
吉田村商工会(島根県雲南市吉田町吉田2540)0854-74-0150
奥出雲町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
奥出雲町特産品グルメ 観光
奥出雲町情報政策課(島根県奥出雲町三成358-1)0854-54-2524
仁多地区特産品
豊かな自然に恵まれた中国山地の山間部は仁多米としてもその名を馳せている。その美味しさは生産者の努力もあるが、その自然条件も大きなポイントで、山間地域のため日中と夜間の気温の差が大きく良い水に恵まれていることなど、これらの条件が重なりあって、うま味のある米が作られている。
仁多町商工会(島根県仁多郡奥出雲町三成324-15)0854-54-0158
横田地区特産品
横田町のそろばんは雲州そろばんとして全国一の生産量を誇る。そろばんづくりの技術は、伝統工芸品に活用され、ムク材をふんだんに使った、強くて美しい和風家具などの奥出雲銘木製品をはじめ、そろばんの珠を削るろくろを改良した技術から木工ろくろ細工が生まれている。
横田町商工会(島根県仁多郡奥出雲町横田992-2)0854-52-1119
飯南町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
飯南町特産品グルメ 観光
飯南町役場政策推進課(島根県飯南町下赤名町890)0854-76-2214
頓原地区特産品
とんばら漬は頓原町ならではの気候・風土から生まれた漬物で、塩出しした多種類多彩の山菜や野菜を細かく刻んで漬け込んだ福神漬。大万木山の清流を利用したヤマメの養殖。大万木山、琴引山、三瓶山などの栽培条件に適した豊かな渓谷を利用したわさび。昔からの優良牛「頓原和牛」の評価は高く県下常に上位クラスにある。
赤来町商工会(島根県飯石郡飯南町下赤名877-1)0854-76-2118
赤来地区特産品
澄んだ空気と美しい緑に包まれた高原でのびのび育った赤来和牛は全国トップレベルの肉質を誇っている。これまではそのほとんどを牛のままで出荷していたが、地元で育て、生産から肥育、さらに一部を加工している。ステーキハウス「萌美野」は赤来和牛と一流のシェフによる本格的肉料理はここを訪れる人々に大変な評判を呼んでいます。
頓原町商工会(島根県飯石郡飯南町頓原2212-3)0854-72-0907
美郷町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
美郷町特産品グルメ 観光
美郷町役場(島根県邑智郡美郷町粕淵168)0855-75-1211
邑智地区特産品
しいたけと和牛の生産が盛んで、その品質は全国的に高い水準にあります。しいいたけは県内はもとより全国品評会で農林水産大臣賞を獲得するという快挙を成し遂げました。和牛についても第四回全国和牛能力共進会でチャンピオンになり、島根和牛の名声を全国にとどろかせました。
邑智町商工会(島根県邑智郡美郷町粕淵400-7)0855-75-0805
大和地区特産品
椎茸の塩漬・粕漬は大和村、羽須美村、瑞穂町の秋の味覚。黒くラッパのような形で、その名の通り香りが強いのが特徴。この風味を長く保存するために考えられた漬物は、行事やハレの日に食する逸品である。
大和村商工会(島根県邑智郡美郷町都賀本郷34-14)0855-82-2132
邑南町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
邑南町特産品グルメ 観光
邑南町観光協会(島根県邑智郡邑南町八上)0855-95-2565
石見地区特産品
冷涼な気候、澄んだ空気と水、豊かな土地に青々と育つ牧草をはむ乳牛たちは健康そのもの。爽やかな牧場でしぼられる石見高原牛乳はとびっきりの風味でコクのある良質なもの。豊かな大地から収穫される実りを様々に加工したものをパックにして届ける「おふくろの味セット」や石見高原イチゴジャム石見高原みそなど大好評です。
石見町商工会(邑智郡邑南町 矢上3854-2)0855-95-0278
瑞穂地区特産品
椎茸の塩漬・粕漬は大和村、羽須美村、瑞穂町の秋の味覚。黒くラッパのような形で、その名の通り香りが強いのが特徴。この風味を長く保存するために考えられた漬物は、行事やハレの日に食する逸品である。
瑞穂町商工会(邑智郡邑南町出羽48-2)0855-83-0028
羽須美地区特産品
椎茸の塩漬・粕漬は大和村、羽須美村、瑞穂町の秋の味覚。黒くラッパのような形で、その名の通り香りが強いのが特徴。この風味を長く保存するために考えられた漬物は、行事やハレの日に食する逸品である。
羽須美村商工会(邑智郡邑南町下口羽1143-2)0855-87-0055
川本町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
川本町特産品グルメ 観光
川本町観光協会(島根県邑智郡川本町川本)0855-72-0636
川本町を代表する特産品といえば「江の川真鴨」野生の風味が自慢の江の川の味覚の一級品です。冬季に飛来した野生種を捕獲産卵、飼育繁殖させた二世真鴨を、野生の生息地に近い環境で飼育して野生の味を大切にしています。江の川の天然鮎も川本名物のひとつで、身のしまり、美味しさはまさに本場の味。
川本町商工会(邑智郡川本町川本558-10)0855-72-0123
大田市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
大田市特産品グルメ 観光
大田市観光協会(島根県大田市大田イ309-2)0854-82-2555
大田地区特産品
石見地方独特の赤瓦、黒瓦は石州水上瓦です。主産地は水上町であり、この地区から産出する瓦粘土は、石見一帯の海岸部に分布する都野津層に埋蔵されており、耐火度が高く、そのため摂氏1200度の高温で焼かれており、堅ろう性、耐寒性に優れるという特徴を持っています。梅のしそ巻きは石見銀山で働く人たちが防毒用に梅干しを食べていたことから、大田市周辺に伝わっている。赤シソの葉で梅肉を包みこんで漬ける。三瓶山周辺のわさび漬は砂糖としょうゆでわさびの葉を漬ける、清水が育んだわさびの独特の辛さが、ほかでは味わえない風味を醸し出している。
大田商工会議所(島根県大田市大田町大田イ309-2)0854-82-0765
湯泉津町特産品
温泉津の海産特産物を代表するものは板わかめ。ふるさとの味「温泉津の板わかめ」は全国でも、磯の香りと艶の良さから珍重されています。町内各地に良質の粘土層を持つ温泉津は陶芸が古くから盛んな地で、江戸時代から始まったといわれるほどの長い歴史を持っています。素朴な作風で評価の高い温泉津焼はやさしさとぬくもりを感じさせてくれる逸品。
温泉津町商工会(島根県大田温泉津町小浜イ308-6)0855-65-2065
仁摩町特産品
変化に富んだ漁場で獲れる新鮮な生鮮魚介類、岩のりとあわびの養殖。老人の豊かな知恵と経験を生かしたわらじの製作は仁摩町の特産品となっています。京都・太秦撮影場で採用されるわらじはすべてメイドイン仁摩。それがきっかけで今では托鉢用に、健康運動を勧める小学校や幼稚園児にとどんどん販路が拡大しています。
仁摩町商工会(島根県大田市仁摩町仁万837-1)0854-88-2513
江津市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
江津市特産品グルメ 観光
江津市観光案内所(島根県江津市江津町926-4)0855-52-0534
江津地区特産品
赤瓦の家並みは山陰のみずみずしい緑に映え、美しいコントラストを見せる。この地に豊富な良質の粘土を材料として焼き上げられる石州瓦は500年にも及ぶ歴史と伝統を持ち、江津市の文化の象徴。江津はあちらこちらに窯が立つ陶器の町。暮らしの中で育まれた石見焼は生活陶器として完成された美しさがあります。
江津商工会議所(島根県江津市嘉久志町2306-4)0855-52-2268
桜江町特産品
中国太郎「江の川」が町を貫く桜江町。江の川はその奔放な流れとともに、肥沃な土地と豊かな漁場としての恩恵を与えてくれました。江の川でとれるアユは、香りも高く、秋には体長30cm以上という大物もあがります。生アユは塩焼、田楽、刺身、背越しに、干アユはスキヤキ、吸い物などにとよく食卓にのぼります。ツガニも古くから親しまれているふるさとの味のひとつです。ととろ芋とも呼ばれる長芋は、この地方に自生する山芋との自然交配により生まれたもので、キメの細かさ、ネバリの良さは他に類をみないほど。川越地区を中心に栽培されるごぼうは、豊かな風味と柔らかい肉質で古くから「川越ごぼう」として全国的にも有名です。
桜江町商工会(島根県江津市桜江町川戸51-1)0855-92-1331
浜田市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
浜田市特産品グルメ 観光
浜田市観光協会(島根県浜田市浅井町777-19)0855-24-1085
浜田地区特産品
江戸時代より作られた長浜人形は素朴で郷土色に溢れ、雅びやかな姿のまま今にその技を伝えています。神楽面は和紙を一枚一枚入念に貼り重ねて作られ、郷土工芸品の飾面として海外にも紹介。手作りの素朴で独特の味わいと温かみをもつ石見焼。豊かな海の幸を使った水産加工品の数々。干かれい、ふぐのみりん干しなど左党にはこたえられません。
浜田商工会議所(島根県浜田市殿町124-2)0855-22-3025
三隅町特産品
三隅町の紙漉は1300年の歴史を有する。石州産のコウゾを使用し強靭で光沢があり、長期保存にも耐えるのが特徴である。かつて大阪商人は石州半紙を帳簿に使い、火災のときは井戸の中に投げ込み、火がおさまってから取り出して、また使ったといわれている。石州半紙技術者会が重要無形文化財に指定されている。
三隅町商工会(島根県浜田市三隅町向野田3150)0855-32-0214
金城町特産品
古くは津和野藩へ和紙を献上していたという歴史をもつ金城町の和紙。歴史の心すく和紙の里づくりを目指しています。和紙の原料となるミツマタやコウゾの栽培から和紙の本格的な生産、そして和紙を使った工芸品・民芸品・インテリア用品の販売「エクス和紙の館」では「和紙と遊ぶ」というテーマで紙すき体験などができます。
金城町商工会(島根県浜田市金城町下来原1409-2)0855-42-0070
旭町特産品
夢はばたく梨の里づくりをめざしています。山 ノ内地区の赤梨(幸水・豊水・新水・愛宕)は、その柔らかさ、多汁、高糖度などから評判も高く旭町の特産品となっています。木田地区では地区の人々が共同でイチゴジャムの生産販売に取り組んでいます。そのほかゆりの花、グラジオラスをはじめとする切花では島根県内の半数を超える出荷量を誇ります。
旭町商工会(島根県浜田市旭町今市627-4)0855-45-0056
弥栄町特産品
質量共に県下でも屈指の産地となっているしいたけや、清流で育まれる品質の優れたわさび、近畿市場に直送されている弥栄味噌、みつまた、トマトジュースなどが特産品としてあげられます。食べ物では珍しい猪鍋が美味で好評です。
弥栄村商工会(島根県浜田市弥栄町木都賀イ588)0855-48-2130
益田市「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
益田市特産品グルメ 観光
益田市観光協会(島根県益田市駅前27-1)0856-22-7120
益田地区特産品
山海の自然に恵まれた益田市は多彩な味覚の宝庫。ブリ、マダイ、スズキをはじめとする日本海の幸、高津川の鮎、スッポン、ツガニに代表される川の恵み、豊富な山菜などその楽しみは尽きない。
益田商工会議所(島根県益田市元町12-7)0856-22-0088
美都町特産品
11月の声を聞くと黄色くいろづいた柚子の出荷が始まる。柚子みそ、ゆべし、ゆず酢など様々な加工品が愛しむように作り上げられ、この季節美都は柚子の香りで満たされます。また自然の持ち味を生かした木工芸品や生しいたけ、いちご、メロン、わさびなど美しい自然に育まれた農産物は高い品質を誇り、訪れる人の郷愁を誘います。
美都町商工会(島根県益田市美都町都茂1885)0856-52-2537
匹見町特産品
匹見町の豊かな自然が育むわさびは、辛みの中に独特の甘味が感じられ、風味の良さは全国的にも高い評価を得ています。わさび漬けはわさびの葉を漬け込むもので、匹見町ではしょうゆでで漬ける。清水が育んだわさびの独特の辛さがほかでは味わえない風味を醸し出している。
匹見町商工会(島根県益田市匹見町匹見イ42-1)0856-56-0310
津和野町「観光.グルメ.旅館.ホテル」島根県観光はハイライトジャパン
津和野町特産品グルメ 観光
津和野町観光協会(島根県津和野町後田イ71-2)0856-72-1771
津和野地区特産品
元禄時代の忠臣蔵にまつわる史実がいまに生きる津和野銘菓源氏巻。津和野藩主であつた亀井茲親が接待役を仰せつけられ、うとまれて吉良義央を斬ろうと決心したとき。家老多胡主水が吉良へとりいり丸く治めることができたという。この時の進物として使われたのが源氏巻であり、以降この史実と共に津和野の代表銘菓として知られるようになりました。
津和野商工会(島根県鹿足郡津和野町後田口187)08567-2-3131
日原地区特産品
日原周辺古くからワサビの産地として知られ、西日本一の生産量を誇る、中国山脈から湧き出す清流で育まれるため品質も全国屈指。山菜加工場で生産される「しまねわさびの醤油漬」は味も技術も全国一との折り紙つき。高津川の初夏から初秋に旬を迎える鮎も絶品。ツガニや天然ウナギも日原の味自慢です。
日原町商工会(島根県津和野町日原225-1)0856-74-1221
吉賀町「観光.特産品.旅館.グルメ」島根県観光はハイライトジャパン
吉賀町特産品グルメ 観光
吉賀町企画観光課(島根県鹿足郡吉賀町六日市7501)0856-77-1111 
六日市地区特産品
六日市きのこセンターでは、マイタケやシメジの人工栽培に各農家と取り組み成果を上げています。指示用でも高い評価を受けており、今後町を代表する特産物として有望視されています。また本格的な出荷野菜づくりをめざしてインゲン・ミョウガ・青さやなどの商品化に取り組んでいます。
六日市町商工会(島根県鹿足郡吉賀町広石562)0856-77-1255
柿木地区特産品
柿木村の95%を占める山林、渓流からもたらされる豊かな自然の恵みはかけがえない財産です。椎茸は生産額が米を抜くまでになり、ワサビは清流に育つ新鮮で安全な食品として高い評価を受けています、栗の生産は県下第三位を誇り、ヤマメも天然のものはもとより養殖も盛んで増大する需要に応えています。
柿木村商工会(島根県鹿足郡吉賀町柿木村柿木538-1)0856-79-2239
特産リンク
日本最古の特産品…十六島ノリ
 
海苔史のあけぼの
 
海苔が文書に見られる最初は、飛鳥・奈良時代(600年ころから784年の間)である。中央つまり平城京と西日本の出雲国(島根県)、東日本の常陸国(茨城県)で、ほぼ同時代に記録されている。これは大和朝廷の版図全域に、この頃ノリが知られていた可能性を物語るものかも知れない。

まず中央では大宝元年(701)には律令が制定され、その税制のうち調の部で、「紫菜」が貢納品に指定されている。だが、『大宝律令』、またその流れを汲む『養老律令』にも紫菜の貢納地は記されていない。和銅六年(713)朝廷は、諸国に命令して風土記を編纂させた。諸国物産を調査して、貢納品を制定するのが主目的であった。そのうち現在まで伝わるのはごくわずかだが、幸いなことに当時の全国第一等のノリ主産地、出雲国の風土記は、ほぼ完壁な形で残されている。

紫菜の貢納地は、志摩・出雲・石見・隠岐・土佐の五カ国で、このうち隠岐では、調と中男作物と二通りで貢納している。神話によれば出雲・石見・隠岐は、いずれも最も古くから開けた国々であり、志摩国も伊勢神宮の草創とともに開けた国である。日本誕生に有力な一翼をになった国々が、紫菜の最古の貢納地=産地となっていることは、ノリと日本民族の祖との深い縁を示すものといえよう。

以下において、『出雲国風土記』により、同国のノリ産出状況を展望してみよう。産出地帯は、出雲半島の北岸一帯は、西は、日御碕辺から東は美保関に至る間に16カ所以上もあげられている。半島の東部に産地が集中しているが、『風土記』が「紫菜は楯縫の郡尤も優れり」と強調しているように、現在の出雲市十六島周辺が優良品を産した。

楯縫の郡は、産出地の数こそ少なかったが、郡内には「乃利乃(のりし)の社」「紫菜嶋(のりしま)の社」と呼ぶノりの神社が二つもあった。その昔、紫菜島(のりしま)の社は許豆岬(現在の十六島地区前面の海辺)やノリの生える島々(岩盤の意味)を指呼の間に臨む位置にあった。乃利乃(のりし)の社は能呂島(今の唯浦海岸天狗島)にあった。

『出雲国風土記』によれば、当時の人々は、祭の日になると神前に集まって酒宴を開き、遊興を楽しみ、もろもろの話し合いも行なった。

ノリ社の前でも、おそらくノリにより生計の道を得ていた人々が、神に感謝する祭を開いたり、年々のノリ採りに先立ち、打ち合わせをしたり、分け前を話し合ったり、ときにはノリ市を開いたりもしたのであろう。風土記撰上時代より1300年を経た今日でも、両社はノリを採る人々の崇敬の対象、集い合いの場所となっており、太古さながらの祭がとり行なわれている。

現存する風土記は少ないが、『延喜式』に記載されたノリ産地からみると『出雲国風土記』ほどたくさんのノリ産地を詳細に報告した書は他にはなかったことは間違いない。報告の結果、同国は全国で最大のノリ貢納地に指定された。貢納の済んだあとは、国内の各地で開かれた市に運ばれ、山の幸、野の幸と物々交換されたことであろう。

出雲国ならずともノリの産出地は、概して野山の幸に恵まれぬ海辺にあった。当時は冬の波の荒い日本海側では、冬期の漁猟はほとんど期待できなかったから、ノリはことのほか重要な貢納品であり、交換品だったことであろう。

 
十六島ノリ誕生地
 
島根半島は、最高500m程度の丘陵地帯を形成している。この半島の日本海側は、断崖が海に迫る岩石海岸で、石英斑岸の柱状節理が美しく連なった岩盤や海蝕によって生じた洞窟などもあって絶景を繰り広げている。この辺一帯は、国造りの神話の舞台であると同時に、『風土記』が讃美した「海幸の多(さわ)に生じ」た海辺であった。『風土記』に記された古代から現在に至るまで海藻を数多く産出し、しかも天下にその名を馳せた出雲ノリの産地とはこの辺一帯を指す。ノリ史の濫觴(らんしょう)の地として銘記されるべき地帯である。

『出雲国風土記』にはたくさんのノリ産地が記してあるが、その中で古今を通じて有名な場所は、十六島(うっぷるい)(現出雲市十六島)である。『風土記』の原本はすでに徳川時代にもなかったので、許津浜(現出雲市小津浜十六島の南隣)の次に記してある、弥豆推、於豆振、許豆埼がそれに該当するだろうといわれている。

楯縫(たてぬい)郡には三つのノリ島があったと『風土記』はいう。その中に許豆浜に近く「許豆島」のあったことが記してある。許豆島は記載内容から推して、十六島岬の一部を指す可能性が強い、それを立証するものに紫菜島社(のりしまのやしろ)がある。

同社は現在十六島地区が背負う山上にある氏神、津上神社の境内に併置されているが、元は集落のある位置からノリのとれる岬へ向かう岐路に祀ってあった。おそらくそこが『風土記』の頃から地区のノリ採りに関する話し合いの場であり、口明けの際に勢揃いする場所であり、ノリの集散の場とされたものであろう。

ところで『風土記』の記載が、弥豆椎、於豆振、許豆埼等々曖昧となっていたこの地は、いつごろから十六島と書くようになり、さらに「ウップルイ」と呼ぶようになったか。

これについてはかつて金関丈夫氏が『島根新聞』に詳細な研究成果を発表しておられるので、それを借用させていただき、本項を進めたい。

氏によれば、平安末期から鎌倉初期の作といわれる『堤中納言物語』の中に「出雲の浦の甘海苔」が出ており、『延喜式』で調(みつき)(租税)として都へ運ばれた紫菜が、京の都では名産として知られたことがわかる。まだ十六島の名はないが、出雲の紫菜の最良品が十六島ノリであったことは、後世に明らかとなる。

降って応永六年(1399)京の吉田神社の社家・鈴鹿氏が、聖護院の沢井・畠中両所をもてなした献立の中に、「吸物 十六島(うそて)」とある(『鈴鹿家記』)。十六島ノリの名が京に知られていたことは明らかである。はるかに降って天正年間(1573−92)には、神魂(かもす)神社社家・秋上(あきあげ)氏が、領主毛利輝元に献上した出雲国名産中にも「十六島」の名がある。それ以前天文元年(1532)には尼子経久が出雲一円を征服しているが、尼子氏は足利将軍家に通じていたから、この線から十六島の名が京で有名になった可能性は高い。

ところで「十六島」を正しくは何と読んだかが明らかでない。江戸初期にはウッフルイ、オッフルイ、ウップルイなどと読まれているから、室町時代にもこれらの読み方が知られていた可能性は強いとみられる。また、『雲陽軍実記』によれば、尼子の輩下に、山の上の城主・十六島弥六左衛門があり、天正のころ石見銀山の戦で部下160余名とともに戦死したとあるが、この場合もウップルイと呼ばれたのだといわれる。遅くとも室町末期から、十六島ノリをウッフルイノリ、またはウップルイノリなどと読むようになったものと考えられるが、それではなぜこの妙な文字と呼び方が生まれたのか。

 
十六島の文字の由来
 

十六島の文字の由来には二説がある。

(一)約一千年前のある秋、この岬の突端にある岩ばかりの島へ、朝鮮半島方面から16人の僧が漂着した。僧らは、岬の人々から丁重にもてなされ、名産のノリの供養もうけた。その味に感じ入った僧たちは岩島で護摩をたき、読経しっつその灰を海へ投じてノリの豊作を祈念した。それ以後、ノリの出来栄えは素晴らしく、出雲の海随一の名声を得たので、人々は僧らを十六善神と崇め、この岬を十六島と名づけた。また、僧らが読経した島を経島と名づけ、祠を設けて祀った(経島の祠は波にさらわれ、今は岬の突端にある高台に移されている)。

16人は大般若経をはじめ相当量の経典を持参しており、これを京へ届けるのが目的だった。僧らはしばらくの間小津湾奥の名刹、鰐淵寺(推古天皇二年創建)を宿としていたが、のち峠を越え、斐伊川を渡り、宍道湖南方の山中に般若寺を建てて落ち着いた。十六善神の鴻徳を敬う、ノリ島の持主たちは、年々新ノリがとれると同寺まで持参し供物とするようになり、16人が京へ去ってのちはもちろん、現在にいたるまでその習慣は維持されている。

『三養雑記』は、「十六権現影向の地なりとて水底に気味よろしき海藻あり」と記し、続けて「十六善神島」の海苔と書いては長々しいので略して十六島海苔とし、この地の俗言「うっぶるい」というのをそのまま文字に読み慣わしたのだと説いている。

(二)この岬の周りは、『風土記』の説くように二里余り、断崖に覆われており、岩が波打際に迫るあたりに、真白な柱状節理が発達して石畳を連ねたような石廊下が形成され、岬を取り巻いている。この石の廻廊は概して平板で、広い所では幅が数メートルから10メートルにも及ぶので、夏の干潮時には集落から三キロもある岬の突端、経島の辺まで歩いてゆかれる。が、この廻廊も所によっては途切れかけたり、狭まったり、高低があったりするので、季節風の荒れ狂う冬ともなると、満潮時には怒涛の下に没する所もある。だからノリをとるには岬の脊梁伝いに歩き、崖降って波によって断たれたノリ場へ到達せねばならぬ。「嶋」と名づけられたのは、冬の荒波に前後の連絡を絶たれた石畳をいうのである。それも画然とした区分があるわけではなく、見方によっていくつかの島になるが、これが16あったので十六島の名が生まれたというのが第二の説である。

十六のノリ島は、数百年来この地の原住者12戸によって採取権を独占されてきたと伝えられている。

 
ウップルイノリのいわれ
 

十六島の文字もいわくありげであるが、また、ウップルイという語もなんとなく日本語離れがした妙な響きを持っている。このいわれを探求する人々の間に、日本語以外に語源を求めようとする考えが起こつたのは無理からぬことである。

その一つはアイヌ語説である。『大和本草』の「紫菜」の部の頭注に、「うっぶるいの名は多分アイヌ語なるべし」と記載してある。その二は朝鮮語説である。大槻博士の『大言海』に「朝鮮におっぷりという地名あり、変化ありし地の意という。関係ありや」と説いている。

さらに他に日本語説として、ノリをとり、露を「打ち振」って乾すという説もある。江戸時代後期の漢学者・小野蘭山がその著書『本草綱目啓蒙』の中で「雲州ノ十六島(うっぷるい)ノリハ 質細ク糸ノゴトクニシテシナヤカナリ ソノノリ海石二附テ衣ノゴトクナリタルヲ剥キ採り、露ヲ打フルヒテ乾ス 故ニウップルヒト名(なづ)ク 島ノ名モ之二困ル」と説いている。次のような伝説もある。

神代のこと、事代主命(ことしろぬしのみこと)(産業の神、恵比須様として知られる)が、居住地である美保関(島根半島東端にあり、美保神社祭神は同命である)から出雲(大社の所在地)にある父君(大国主命)の許を訪れようとした道すがらこの岬に立ちよった。この時、海の岩上に長く伸びているノリをみてこれをはぎとり、海水で洗って付着する露や砂を打ち振って食べたところ、大変においしかったので人々にも勧めた。以後、人々は命を見習い、うち振って食べるようになった。

しかしその昔から、地元では「ハギノリ」「アライノリ」「イタノリ」「カモジノリ」などと呼んだが、「ウップルイノリ」とは呼ばなかったことからみると、ノリに関連して生まれたものではないのではなかろうか。

要するに、ウップルイノリの語源はまだ断定できるまでに至ってはいないのである。また、ウップルイと十六島の関係も明らかではない。が、およその推理をすれば次のとおりとなろう。まず、『風土記』にある許豆浜は現在も小津浜として存在していることや、十六島岬とおぽしき地を許豆埼または於豆振と書いたらしいことなどにより、この岬は大昔にはコヅフルイとかオッフルイと呼ばれたとみる(その語源は詮索しない)。それが後年ウッフルイ、ウップルイと転託していった。一方、十六善神が渡来したという事実があったことと、この岬のノリ島(岩盤)がいくつにも分かれていることを合わせ考えた住民が、十六島鼻(岬を俗称ハナと呼ぶ)と書くようになった。十六島の地に産する比類ない良質ノリは、京へ伝送されるようになるとこの文字がそのままノリ名として知られ、ウッフルイノリという珍奇な呼び名とともに著名となった。『和漢三才図会』(正徳年間)には「十六島苔(うっふるいのり)」は「雲州十六島より出」るからこう名づけたとある。十六島産のノリ名はこうして天下に知れ渡っていったとみるわけである。

 
江戸時代の十六島ノリ
 

十六島ノリは、江戸時代に入るとより一層有名になる。室町時代の影響をうけて、精進料理や茶席などで珍重される一品となった。『寛永料理物語』には「十六島苔 冷汁、焙り肴、菓子」とある。菓子とあるのは茶席で用いたことを示す。茶席では吸物とすることも多かった。寛永十二年(1635)3月27日の京都大徳寺惣見院の茶事に際しては、「吸物 山の芋 十六島 オッフルイトヨム也、出雲ノ名物ノノリ也」とあるように、芋汁に振りかけても用いた。

たびたび引用しているように『毛吹草』(寛永十五年版)にも出雲国名産として十六島苔が出てくる。著者松江重頼は出雲国出身で当時京に住んでいたが、江戸にも往来して視野は広い。この本にのせられたノリは、浅草ノリ、葛西ノリ、品川ノリ、能登ノリと合わせ五種だけである。しかし、上記四種は当代に初めて紹介されたものであって、古代から出雲ノリとして知られ、室町初期には全国でただ一つ、地名を冠された十六島ノリの輝かしい伝統にはとうてい及ばなかった。

この名産品の名をより一層広めた人として茶人松平不味(ふまい)の逸話が残っている。不昧とは、明和四年(1767)から文化三年(1806)まで、出雲国一円、10万石を領した、松江城主松平治郷(はるさと)のことである。彼は、危殆にひんした藩政を建て直し、山陰一の富饒な藩に引き上げた英遇な殿様としても知られる。文化三年、藩主の座を去り、剃髪して不昧と号した。以後は悠々自適、禅を修め、俳句を噂み、茶道を極め酒脱の中に枯淡の境地を求めた人である。特に京都大徳寺の中に大円庵を営み、たびたび茶会を催したが、そのおり必ずといってよいほど十六島ノリを用いたという。在職中も将軍家に対する献上品としたほか、老中、知己の大名たちにも贈ったというからよほど自慢の品だったのであろう。ある時、諸侯を招き、宴席を開いたおり、このノリを張り合わせて仕立てた羽織を着て現われた。宴たけなわになると「各々方、今日は何もお口に合う肴とてないが、これなど悟って召し上がれ」と、羽織をぬぎ、まずみずからちぎっては食べ、ちぎっては食べして、人々にも進め、事情を知らぬ諸侯をあっといわせた。…かもじ海苔の由来

 
松江藩への献上
 

十六島ノリをも含め、出雲ノリが、奈良、平安朝時代の貢納品だったことはすでに記した。鎌倉、室町の世となると、中央政府向けの乾ノリ貢納はなくなるが、進献品、交易品となっていたほか領主に献上もされ、社寺にも寄進された。それらの手を通じて、中央の支配階層に贈られ、有名になったのであった。江戸期に入り、松江藩松平侯が当地方を支配すると、藩へ上納されるようになった。品川、大森から御膳ノリを献上した場合と同様に、運上的性格をもっていた模様である。

献上品は藩内要路にある藩士にも贈られた。献上は十六島ノリ産地だけでなく、島根半島全域でも行なわれたらしい。献上後は、松江市中をはじめ、遠くは宍道湖の南方山地まで売りに出た。これらの地方には、正月になると、ノリとモチだけの雑煮を祝う習慣が今も残るが、これは松江市中の武家の家風から生まれたものだという。もっとも、さらにさかのぼって存在したか否か、その辺まではわかっていない。

献上は、小津湾に近い鰐淵寺に対しても行なわれた。同寺は、出雲国第一の古刹であり、後醍醐天皇、後村上天皇らの尊崇もあつかった。中央との交流も多く、ノリを贈った文書も残っている。江戸時代というだけで年代はわからないが、年頭にあたって、東叡山へ「タバノリ 二把」を献上し、また、禁裏(宮中)で清宮皇子が青蓮宮を相続するに際しては鰐淵寺惣中より「鄙(ひ)産之洗ノリ一箱」を献上したなどの記録がそれである (タバノリは束ノリ─俗称カモジノリ─のことか。洗ノリは、砂の類を洗って仕上げたノリの類か。いずれにしろ、地元ではウップルイノリとはいっていなかった証拠の一つである)。

 
ノリ島と採取、販売
 
往時は十六の島があったといわれるが、明治になってから知られていたのは、入合島、小島、水尻島、大黒内島、内太平島、太平島、京(経)島(以上河下湾内)、根滝島、殿島、雲手島、橋島、谷福島、鰐口島、二の浦島(以上は岬の突端から半島の東側にかけて)の15島であった。

むろん、これらが本物の島ではないことは先に記したとおりである。この島々のうち入会島だけは共有だが、よいノリはとれなかった。他は個人所有となっており、江戸期においては12戸の持ち物で、昭和初期になると漸増し、28戸で分け持つようになる。総面積は約2700坪である。

以下に採取から始まって、製造、販売に至る諸慣習を紹介するが、それらは主として太平洋戦争以前大正年間から昭和初期までのものである。

ノリ島を所有する者は村内約百戸のうち12戸(共有場をもつ者を含めると20戸)、これらをシマモチとも御館(おやかた)ともいう。みな村の旧家であり、氏神(津上大明神、ノリの神も併祀してある)のお当屋は彼らだけが一、二年交代で勤める。昭和の初めまでは当屋を引き継ぐ(開きという)ときは、その家へ村中の人が集まり、酒は飲み放題、飯も食べ放題であった。シマモチの中には、ノリ収入だけで暮らせる家もあるほどであり、それぞれにノリのお蔭をうけていることを神に感謝する意味が寵っているのである。村民は、春から秋までは、アジ、サバ漁、一本釣、ワカメ刈りなどに従事する漁民ばかりであった。冬になるとシマモチが平均四人のシマコ(島子、ノリ採り女)を雇い入れるので合計80人、シマモチを除く村内80戸から一人ずつ出る計算になる。しかも、シマコは入会島に入るし、シマモチから給金のほかノリをも礼として受け取るので、全戸がノリ採りと製造に従事したことになる。

ノリ採り日には、丸形のやや深い竹籠を腰に下げ、手には楕円形の竹笊(べら)を持ち、わらじをはいて出かける。生ノリの採集は、凪の日を選ぶが、せっかく成長したノリが波涛のために洗い流されぬように、波の高い日でもとることがある。広くても10メートル、狭い所では1、2メートルの岩盤は、海面へ向けて多少なりとも傾斜しているから、押し寄せる高波やノリのぬめりと相まって転倒する危険性がある。シマコは、波が荒れる時は、うしろの山際に避け、引いた時に急いでノリの繁茂する岩場へゆく。そして岩面一杯に黒々とジュータンのように張り付いているノリを指先で巻きつけるようにしてとる。眼と鼻の先では大波が荒れ狂い、波打際から鋭く切りこんで深い海に臨んでいる。波に襲われたら命にかかわる危険な仕事だから「波見」と称する者を一人置いて監視する。未熟なシマコは縄を陸上の岩角と自分の腰に結び、巻きつけて、波にさらわれることを防ぐ。

干ノリをとるには海面が静穏で、天気晴朗の日を選ぶ。ウップルイノリは、本来糸のような細長い葉体だが、これが生長する過程で相互に粘着して織り上げた布のように連なり、平滑な岩床上に付着する。これが太陽により干上がったとき、はぎ取ったものを干ノリ(ハギノリ)というのである。これを一坪くらいの大きさに庖丁で筋を切り、切れ目からノリと岩との間に手を入れて、そのままはぎとる。天然の抄き製品のような見事なもので、代表的な十六島ノリだが、砂石がついているから庖丁でこすり落とす。

製造は、その昔からはぎノリが主体だったが、幅一尺、長さ六尺の板に打ちつけ、手で押し、陰乾しにする方法もあった。

販売方法はシマモチの家を村のにわか商人が廻ってせり売買するもので、地元以外のノリ商人はせることができずアキウドから買う。ノリ商は買い取った品を松江に持ってゆき、町宿に宿泊している奥方(仁多、飯石、大原各郡)の商人に売る。奥方(山間部の意)のノリ需要は松江市など諸都市と並んで非常に多く、十六島ノリのような上等品よりは、島根半島にある他産地の品の方がよく売れた。正月のノリ雑煮を祝う習慣のために、松江・三成(みなり)・木次(きすき)などの歳の市でノリ市が立つほか大社の節分市にもよく売れた。県内のほかでは鳥取の山間部へも少々出た。昭和初期における生産高は生ノリ900貫、干ノリ1400貫、金額にして約1000円である。

山間部に需要の多かったのは、運ばれるノリが天然自生のままの自然乾燥品だったことによる。その昔のノリは十六島ノリに限らず、現今の抄製品のように鹹味を洗い落とした製品ではなかった。やはり当地方の名産「メノハ」(大判ワカメ)も天然乾燥品である。これらは冬から春にかけて山地の住人の塩分補給源としての役割を果たしていたのである。日本最古のノリ産地では風土記の昔でも、塩ノリを市に出していた可能性も強い。出雲人、または日本海側に住んだ古代日本人のノリを重視する観念は、一つにはそれが製塩の特に困難な冬季における含塩食品であったところから生じたのではないか。

 
岩海苔(いわのり)と柴海苔(しばのり=養殖のり)
 
岩海苔とは、品種ではなく、文字どおり岩礁上に自生するアマノリの総称である。その意味では古代から近世初頭にかけて用いられた文字、紫菜・神仙菜・甘海苔・苔などと同義語といってよい。しかし、江戸期以前においてこの文字、語が使われた明確な形跡は見当たらない。

江戸初期、元禄時代(1688─1704)の大坂乾物市場における取り扱い物品中に、「木苔、石苔」があるが、この石苔は木ヒビに付くアマノリに対して石に付くアマノリ、つまり岩ノリの類を指すのではないかとみられる。木ヒビとは、現在のような網ヒビ養殖の行なわれる以前、漁猟やノリ、カキ養殖用として海中に建てられた、1〜2メートルくらいの小枝である。木ノリ、石ノリという文字は、右の記録以外には見られない。代わって、柴ノリ、岩ノリの字が現われ出すのだが、明確に記録の上で見られるのは、明治以降のことである。

明治時代に入って、ノリ養殖が、国家的見地から検討され始めた時、両者は厳密に区別されたものと見られる。柴(養殖)ノリは、葉が柔らかく混じり物がなくて商品価値は高いが、岩ノリは葉が剛く、砂や小貝などが混じることが多く、産地周辺以外に消費圏を見いだすことはできない。明治政府は、副業振興の上からも、課税上からも、区別の必要を感じたのである。

養殖ノリが発達した現在でも、全国各地に岩ノリを産する海は多い。産地付近の人々は、その岩ノリに対し、地名を冠したり(殿島ノリ、城崎ノリなど)、雪の降る季節に採れるので雪ノリ、色が黒く見えるので黒ノリと呼んだり、あるいは単にのり、あまのり、いわのりと呼んだり、地方によってまちまちな名称をつけている。それらの総称としていわのりと呼ぶ慣わしがある。この呼称はことによれば、アマノリと並ぶくらい古い歴史が地方の海辺にはあったのかもしれない。

現在の岩ノリ産地は、平坦な海岸線が長く連なり、冬季の荒波をまともに受ける日本海側に多い。岩ノリは、そこの岩礁上に付着し、太陽と波しぶきの栄養を摂取して生長する。波静かな内湾の多い太平洋側は、ノリ養殖地帯が開発されているので、内湾にはほとんど岩ノリはなく、わずかに岬周辺で採られているが、微々たるものである。

海苔養殖の始まった江戸初期より以前は、「あまのり」といえば一般的には岩礁上から採り上げたものを指していたのだが、現在は、のり(あまのり)といえば養殖ノリを指し、岩礁上に自生するアマノリは、特に「岩のり」と呼び、区別するようになった(柴ノリの呼称は、あまり広くは使われていない)。

岩ノリと(柴)ノリとの区別は、品種によるものではない。が、アマノリ属は、アサクサノリ、スサピノリなどのように、波静かな海を好む内湾性のものと、マルバアマノリ、クロノリなどのように、外海の荒波に打たれて生育する外洋性ノリとに大別され、後者が岩ノリと呼ばれるのである。

岩ノリは、質が剛いので、柴ノリのような仕上げはできない。多くは、荒叩き(切断)、荒抄きしたものゆえ、製品に穴が多く、舌触りも荒い。所によっては、素乾しにしたり、手でむしろや板に打ち(押し)つけ、押し広げて仕上げとする。抄製品は一般に柴ノリよりも判が大きく、なかには畳の半分程の大きさのものもある。素乾し物は俵詰めにして保管する所もあり、他の海藻類と取り扱いに変わるところはない。こうした岩ノリの遅れた製法や管理法は、急速に姿を消しっつあるが、これらの遺風によって、往昔の人々の岩ノリに対する関心の度合をある程度偲ぶことはできる。

 
生海苔(なまのり)・乾海苔(ほしのり)・漉海苔(すきのり)
 
海から採り上げたばかりのノリを生ノリという。岩ノリ産地では、煮染め、酢和え、味噌汁、醤油汁などでその風味を味わう。乾燥品にはない新鮮な香ばしさが鼻と舌を刺激して美味なものである。だが、養殖ノリ産地では原料として高価なものゆえ、生ノリの食用はあまり行なわれない。ノリの商品化率のきわめて高い所以である。

養殖ノリ産地では、ときおり生ノリの売買が生産地と抄製先進地との間で行なわれる。古くは享保年間、品川で採れた生ノリを浅草の製造家が買い取って抄き、幕末には、横浜野毛山下の生ノリが大森へ輸送され、抄かれている。また、広島では昭和初期まで、草津、江波の生ノリが大河方面へ販売されるための生ノリ市が立てられていた。

乾ノリとは、養殖ノリ、岩ノリを問わず、抄いて乾し上げた製品を指す。明治以後の公式統計には「漉(すき)海苔」(乾ノリと同義語)と共によく使われている。江戸後期になると、ノリ商の看板やノリ箱の表面などに「本場ほしのり」「乾のり」などと書くのがならいとなった。近代に入ってからは、この文字と呼称はますます普遍化し、現今では、焼ノリ、味付ノリなどの加工ノリに対し、普通判に抄き上げた製品を乾ノリと呼んでいる。

乾海苔こそは、紫菜・神仙菜・甘海苔・苔・浅草苔等々、時代性を背景にして、次々に現われ、消え去っていった、ノリ文字とノリの呼称の現代版なのである。

 
岩のりの格付け
 
岩ノリを産出する海は全国的に分布していたが、江戸期まではこの全貌を知るに足りる記録はなかった。

明治24年(1891)に入って農商務省が実施した「水産事項特別調査」によって、1道3府34県にわたってノリを産出していることが明らかにされた。

同調査による産地は、北海道のように郡名で表わされた所、長崎県のように海名(五島海、平戸海、壱岐海、対州海)で表わされた所などもあるが、大部分は村名で表わされているので、村数の比較により産地の広狭がわかる。日本の北から南まで、日本海側と太平洋側とを問わず、いたるところに岩ノリの産出地はあったのである。

これらの産地を三品等に分類し、さらに判型などを明らかにしたのは、『日本水産製品誌』である。

同書による分類は下記のとおりである。

第一等のノリ
十六島ノリ     出雲国(島根県)

艫(とも)島ノリ  出雲国(島根県)

それに次ぎ品質桂好なもの

北海道、静岡、東京、新潟、石川、京都、兵庫、島根の8道府県26種

上に次ぐもの

青森、岩手、宮城、福島、秋田、石川、福井、千葉、愛知、三重、岡山、山口、広島、愛媛、福岡、大分、和歌山、兵庫、鳥取、島根、長崎、能率宮崎、鹿児島、沖縄の25県57種

 
宮下 章著 ものと人間の文化史「海苔」より

宮下 章(みやした あきら)
1922年長野県伊那谷に生まれる.大倉高商卒業.長野県下の高校で教鞭をとるかたわら,長年にわたり和紙,凍豆腐,海藻,鰹節などの研究をつづけ,全国を調査旅行.現在,食物文化史の研究に専念.著書:『海藻』『鰹節』(法政大学出版局),『凍豆腐の歴史』(全国凍豆腐工業協同組合連合会),『海苔の歴史』(全国海苔問屋協同組合連合会),『御湯花講由来』,『味覚歳時記』(共著,講談社),『鰹節』上下(日本鰹節協会)

 
十六島のりには、「剥ぎ」と「スキ」の二種類があります。「剥ぎ」は海苔の根も一緒に剥いで採取するのに対し、「スキ」は根を残して採取します。市場においての値段は同じですが、品質においては、香り、味とも断然「剥ぎ」の方が優っています。それは、根が付着しているので、海苔が生きているからです。しかし、根とともに砂などが付着しているので、商品として見栄えが悪いので市場価値としては同じになっているのです。ハイライトジャパンが近日中に販売開始するのは、「剥ぎ」海苔です。「まえ浜」のラベルのとおり、地元の人が本物を知ってもらいたいと、精魂こめて仕上げた、十六島のりの至高の逸品です。ラベルは「十六島名産 剥ぎかもじ海苔」でお届けします。
日本全国の観光温泉特産品グルメガイド 日本.全国.GUIDE「観光.温泉」ハイライトジャパン お問い合せはこちらへ→ info@tokusen.info